【連載小説】息子は身長も体重もぐんと増えた。食べている姿を見るだけでうれしくなる。 椰月美智子「ミラーワールド」#3-2
椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。
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このあと、クラスの懇談会があり、子どもたちは下校となる。保護者たちはいったん廊下に出てホームルームが終わるまで待機した。
「わたしはお先に失礼しますね」
池ヶ谷はそう言って、足早に帰っていった。懇談会には出席しないらしい。
ホームルームが終わり、子どもたちが教室から出てきた。蓮を見つけて声をかけたが、ひどく迷惑そうな顔だったのでおかしくなる。親と話しているところを友達に見られたくないのだろう。大人の階段を上っているんだなと、うれしいような、どこかさみしいような気分になる。
懇談会がはじまるまでの間、進は教室の壁に貼ってある自己紹介カードを眺めた。名前と写真、得意科目、好きなこと、将来の夢、目標、を書くようになっている。蓮のものはすぐに見つかった。入学当時の写真だろう、顔が幼い。まだまだ子どもだと思っていたが、こうして見るとほんの半年ばかりで驚くほど顔つきが変わっている。
名前──中林蓮
得意科目──理科、美術
好きなこと──漫画を読むこと、ピアノを弾くこと、絵を描くこと
将来の夢──お婿さん
今年の目標──勉強をがんばる
へえー、とうなずきながら読んだ。将来の夢に「お婿さん」と書くところが幼い気がして、多少心配になると同時に、素直ないい子だなあとも思い、すんでのところで涙ぐみそうになる。
蓮の他に「お婿さん」と書いているのは、もう一人だけだった。
女子の夢は、YouTuberなどの動画投稿者やゲームクリエイター、ものづくりエンジニア、会社経営者、弁護士、医師が多く、男子は公務員、ショップ店員、カフェ定員、サッカー選手、看護師が多かった。
池ヶ谷の息子のカードをさがす。あったあった。蓮と同じく、今日見た顔よりも幼い印象の写真だ。この年齢の男子は、成長の変化が大きい。
名前──池ヶ谷俊太
得意科目──体育
好きなこと──バスケットボール
将来の夢──毎日をたのしむことができる大人になりたい
今年の目標──数学をがんばりたい
なかなかしっかりしている、と進は思った。「毎日をたのしむことができる大人になりたい」とは、すばらしいではないか。父親は面倒くさいタイプだが、息子はいい子らしい。
先生が戻ってきて、保護者たちは自分の子どもの席についた。蓮の机のなかはきれいに整頓されている。というか、ポケットティッシュがひとつ入っているだけだ。教科書は持ち帰っているし、その他のものはうしろのロッカーにきちんと仕舞ってある。
ふと、前の席の池ヶ谷の息子の机のなかをのぞく。教科書やプリントがぎゅうぎゅうに入っていて、机の幅からはみ出している。思わず笑みがもれる。
懇談会では、ネット利用についての話が主だった。SNSの使い方、暴力的、性的な画像や映像の扱いについて、プリントが配られる。特に男子はSNSがきっかけで、性的な事件に巻き込まれることが多いとのことで、注意喚起がなされた。
確かにこのところ、少年がSNSで知り合った成人女性とトラブルになるという事件が頻発している。実際に相手の女性に会い、性行為に及んで写真や動画を撮られたり、または、うまいことを言われて自分の裸の写真を送ってしまったり。そして、それらの写真や動画をポルノサイトに投稿されたり。一度ネットに出たものは、瞬く間に全世界にさらされてしまう。たとえ元データを削除したとしても、一度ネットの世界に出たものは、完全に消えることはない。
おそろしい時代になったものだとつくづく思うが、でも蓮にはそんな心配はいらないだろう。そんなものに引っかかるほど、あさはかな少年ではない。
懇談会が終わり、進は校舎内をゆっくりと歩いた。蓮は今頃、部活だろう。美術室をのぞきたい衝動にかられたが、嫌がられるだろうと思い我慢した。体育館前を通ると、ボールを弾ませる小気味よい音が耳に届いた。バレー部だろうかバスケットボール部だろうか。懐かしいなあと思う。
進は中学時代、卓球部だった。弱小部で、卓球だかピンポン遊びだかわからないと、よくみんなにからかわれたが、部活動自体とてもたのしかった。高校は卓球部がなかったので、進は女子バレーボール部のマネジャーになった。強豪校だったので、彼女たちを支えるのは誇らしかった。
グラウンドでは野球部、ソフトボール部、サッカー部が走り回っている。吹奏楽部だろうか、トランペットの音がグラウンドに届く。夕暮れに向かう高い空。子どもたちの声。
ああ、健やかだ、としみじみと思う。この子たちみんなに幸あれ! 進は心からエールを送った。
「おかえり、蓮くん」
部活動を終えた蓮が帰ってきた。鈴はひと足先に帰宅して、二階の自室にいる。
「ただいま」
「授業参観、よかったよ」
進が言うと、こくりとうなずいた。
「今日は塾だよな。お腹空いたでしょ。おにぎり作ろうか」
「うん」
「着替えておいで」
蓮はかすかにうなずくようなそぶりを見せて、二階へと上がっていった。
進は、鈴と蓮のためにおにぎりを握った。今日は二人とも塾だが、別々の教室に通っている。鈴は集団進学塾で、蓮は個別指導塾だ。
ドタドタと勢いよく、鈴が下りてきた。
「これ、どっちがわたしの?」
「黄色のお皿が梅干しだよ」
鈴は梅干し、蓮は昆布だ。
「今日テストだから、早めに行く。行ってきます」
おにぎりをさっさと食べて、鈴は出て行った。
制服から着替えた蓮が下りてきて、テレビをつける。海外のテレビシリーズ。進にはどこがおもしろいのかさっぱりわからないが、蓮は昔から好きで、いろいろなシリーズを見ている。
「おにぎり、そこにあるよ」
「うん」
「一つでいい? 二つ食べる?」
「一つでいい」
テレビを見たまま答えて、テーブルの上に置いてあった頂き物の焼き菓子を食べはじめる。
「麦茶いれようか」
「うん」
相当甘やかしてるなあと思いつつ、進はかいがいしくグラスに麦茶を注いで蓮の前に出した。低体重で生まれてきて、病気がちだった蓮。小学校低学年までは、体調不良で学校を休むことも多かった。早生まれで、体格はまだ同級生たちに追いつけないけれど、それでも入学式のときに比べたら、身長も体重もぐんと増えた。蓮が食べている姿を見るだけでうれしくなる。相当な親バカだと、進も自認している。
「送っていこうか」
おにぎりを食べ終わった蓮に声をかけると、「なんで?」と返された。
「いや、寒いかなと思ってさ」
「お姉ちゃんは?」
「自転車で行ったよ」
「ぼくも自転車で行くよ」
そりゃそうかと思い、そうだな、とうなずく。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関先で言いつつも、そのまま一緒に外まで出て蓮を見送った。外はすでに真っ暗だ。日が短くなった。ついこの間まで夏だったというのに、季節はあっという間に秋を通り、もう、すぐそこまで冬が来ている。
風が吹き、足元の枯れ葉がカサカサと音を立てた。小さくなってゆく蓮の後ろ姿を見ながら、進はやけに郷愁めいた気分になる。
「なんだか、今日はいやにおセンチだなあ」
大きく伸びをして、自分に言ってみた。藍色の空に星がひとつ浮かんでいた。
▶#3-3へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第207号 2021年2月号でお楽しみいただけます!