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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.8

【連載小説】女男平等なんておかしな話。女が外で稼いで、男は家を守る。それが上等。 椰月美智子「ミラーワールド」#1-8

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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 進は今日のPTAの集まりを思い出した。学童指導員だという池ヶ谷辰巳。辰巳のような男が、血眼で総理の夫を糾弾し、白石さんの悲劇を福山さん、ひいては秋葉首相のせいにして、涼真の自作自演の言動に踊らされて、女男同権! とフェミニストを気取るのだ。
 辰巳の今日のあの態度はなんだ。大人げないと思って、空気を読んで取りなしてやったというのに、最後まで頑なに反抗しやがって。
「ああっ、ムカつく。クソが」
 思わず口から漏れ出て、あっ、と口を押さえる。蓮に目をやると、テレビに夢中で進の言葉など耳に入っていないようだった。子どもの前では言葉遣いに気を付けたい。
「進さん、どうしたの? めずらしいわね。そんなにイライラして。なにかあった?」
 おどけた部分八割、残り二割をちょっと真剣な顔で、千鶴がたずねる。ビールの酔いも手伝ってか、進は「実はさ、」と今日のPTA会のことを切り出した。名前を伏せれば、誰のことかは蓮にはわからないだろう。
「ごちそうさま」
 蓮が席を立つ。煮物にまったく手をつけていない。
「煮物おいしいぞ」
 進が声をかけるも、お腹いっぱい、と言って、二階へ上がっていった。長女の鈴はなんでもよく食べるけれど、蓮は好き嫌いが多く食が細い。
 蓮が二階の自室のドアを閉めた音がかすかに聞こえた。進は、名指しで話の続きをした。
「今、そういう人けっこういるよね。エセフェミニストっていうの。少数派の味方です、って主張して、これまでの体制を叩きたくて仕方ないんだよねー」
 千鶴は同情顔だ。
「ほんと呆れたよ。ペットボトルを配るだけの仕事に駄々をこねるなんてさ。まるで子どもだよ。いや、子どものほうが従順だよな。ったく、そんなくだらないことで、みんなに迷惑をかけて会議を長引かせてさ。中学校のPTAの集まりで、演説ぶっちゃってさ。そんなに自分の主張をしたいなら、別のところでやれっての。五木会長が気の毒だったよ。みんなで頭を下げて、やっと会長を引き受けてもらったんだぜ。それなのに、PTA自体いらないんじゃないか、なんて言い出してさ。みんな困って固まってたよ。ほんっと迷惑だ」
「妻さん、教師なんでしょ? どんな人なのかねえ。夫さんと同じタイプなのかなあ。君が代で起立しないみたいな?」
 そう言って笑う千鶴を見て、さすが気が合うなと思う。同じことを考えるのは、仲のいい夫婦の証拠だ。
 進は、辰巳の妻さんのことは知らないが、夫婦なんだからきっと同じ考えだろうと思う。もしかしたら、妻さんに扇動されたのかもしれない。それにしても幼稚すぎる。
「女と男は違うのにね。なんでわかんないかな」
 千鶴が首をすくめる。進は大きくうなずいた。
「ほら、医学部の不正入試の件。女男差別だっていうけど、女と男は違う生き物なんだから仕方ないよねえ。女のほうが基礎学力が高いんだから、人数が多いのは当たり前だよ。医者っていうのは、国家試験通ったからって終わりじゃないのよ。ずっとずっと勉強なの。勉強し続けていかないといけないの。そういうこと、男はできないでしょ。受かったらそれでおしまい。現場でも女のほうが重宝されるのよ。男の医者の前で肌を見せるのを嫌がる女性は多いもの。それに、結婚して子どもができたら、男は家庭に入る人が多いでしょ。そういう面でも、女のほうを多く合格させるのは理にかなってる」
 千鶴の言うことはもっともだと思う。昔から一番は女で、そのあとをついていくのが男と決まっている。これまで連綿と続いてきた人間史に間違いはないのだ。
 古代は女男が逆転していたという。体力の差があるというだけで、男は暴力で女を支配下に置き、世界中のあらゆる場所で戦争が起こった。このままでは、人類が滅亡してしまうと危惧した神々が、女に権力を与えたという。どこにものない、至極正しい神話であり、歴史だと進は思う。
 そもそも、女が能力を発揮できるのは、男のおかげだ。男がお膳立てをしてやってこそ、女が輝くのだ。近頃、家事をやらない女や子育てを手伝わない女が、悪のように言われるが、男が女と同じだけ稼げるのかと言ってやりたい。
「池ヶ谷さん、要注意人物だね。お疲れ様でした、進さん」
 むずかしい顔をしていたのだろう。妻が自分のグラスを進のグラスに当てて、進の顔をのぞき込む。
「ワインでも開けちゃう?」
 笑顔で言う千鶴が愛おしく、誇らしく思う。進は席を立って、とっておきのブルゴーニュワインを持って来た。
「たまにはいいよな」
 進がワインボトルを掲げると、「いいねえ」と千鶴が指でOKマークを出した。進はテーブルの上を片付け、手早くチーズを切って出した。たまには夫婦で家飲みするのもいいだろう。
 今日の辰巳の言動が発端だったのか、話しているうちに進はこれまで抑えていた近頃の風潮に対する苛立ちが噴出してきた。
「シングルファザーに支援を、とか耳にタコができるほど聞くけど、シングルになるのを選んだのは自分だろ? って話。自分の失敗を世間や制度に押しつけるなんて、厚顔無恥も甚だしいよな。すべて自己責任だろ」
 ほんとほんと、と妻がうなずく。
「だいたいさ、日本は島国なんだから、欧米に合わせなくてもいいのよ。女男平等なんておかしな話。女が外で稼いで、男は家を守る。それで上等じゃないの。だって考えてもみてよ。男性進出なんていうけど、政治家が男ばかりになったら日本は終わりよ。男にまつりごとができるわけないじゃないの。単細胞同士が国会で殴り合いになるだけよ」
 酔いが回ってきたのか、妻が景気よくしゃべる。
「進ちゃんはさ、看護師に戻りたいなんて思ったりするの?」
 進ちゃん、だなんて、本格的に酔ってきた証拠だとおかしくなる。もう風呂は済ませてあるから、妻が酔いつぶれても、ベッドに運ぶだけでOKだと算段する。
 進は看護師だった。医師である千鶴と恋愛し、結婚を機に辞めた。なんの未練もなかった。千鶴のために生きようと心に決めたのだ。
「看護師に戻りたいなんて、ぜんぜん思わないよ。ちーちゃんががんばって働いてくれるから、いい暮らしができてるし。ちーちゃんが輝いてるのを見るのが、ぼくの幸せだから」
 進も、妻に合わせて「ちーちゃん」と呼んでみた。くすぐったい気持ちになる。
「SNSでハッシュタグをつけて男性解放運動を呼びかけるのが流行ってるみたいだけど、結局今の若い人たちは、男性解放なんてどうでもいいんだよ。今の子たちは頭いいから、逆らって墓穴を掘るような真似はしないぜ」
「うんうん、だよね。蓮くんなんて、きっといいお婿さんになると思うわ」
「だな。反対に鈴ちゃんは大物になりそうだな。弁護士になりたいって言ってたぜ」
「そうなの? 医者じゃないんだー。まあ、わたしもただの勤務医だしね」
「なに言ってんだよ。ちーちゃんはただの勤務医じゃない。最高の内科医だ」
 心から思って、進はそう言った。
「進ちゃん。なんだかわたし、気分よくなっちゃった。どうかな」
 千鶴の言葉に、進はハッとして妻を見た。ひさしぶりの誘いだった。壁にかかっている時計に目をやる。時刻は八時半。鈴が帰ってくるにはまだまだ間がある。進は、千鶴の目を見て小さくうなずいた。
「あ、でも、おれは風呂まだだけど……」
「いいのいいの。進ちゃんの匂い好きだから」
 頰を上気させた、ほろ酔いの妻がかわいい。進は、千鶴に手を引かれて階段をのぼった。蓮の部屋からは音楽が聞こえてくる。イヤホンなしでスマホで聴いているのだろう。
 下着姿になった千鶴が、進のシャツのボタンを外す。妻の手がズボンにかけられ、進は思わず恥じらった。電気を消してもらう。
 服を脱がされベッドに押し倒されたところで、スマホのライトで下半身を照らされ、虫眼鏡で見るかのように、千鶴にまじまじと見つめられる。
「ねえ、もうこんなになっちゃってるよ、進ちゃん」
「……恥ずかしいよ」
 思わず隠そうとした手を、ピシッとやられる。
「男ってほんと滑稽な生物だよね。こんな不自然なものが、身体の真ん中についてるんだもんね。かわいそう」
 妻がそう言いながら、男性自身をいじめる。営みのとき、千鶴はSになる。揺さぶられ、引っ張られ、言葉責めを受ける。
「……うっ、もうやめて……無理……」
 進の切ない声を聞き、千鶴が満を持してまたがった。
「……ねえ、進、今どんな気持ち?」
 腰を揺らしながら、千鶴がたずねる。
「……気持ちいいよ、とっても。ああ、こんなこと……」
「先にイッてもいいからね」
 千鶴がやさしい声でなぐさめる。夫婦の営みに演技は必要だ。女が思うような男の役割を果たしてこそ、男だ。
 千鶴が喜ぶツボは心得ている。懇願するような切ない表情、恥じ入る仕草、もうたまらないという、しずかな催促。技術的なことよりも、妻の好きそうな男の姿態を演じてあげることがなにより大事なのだ。女に主導権を握らせて、女が理想とするセックスをすれば、仕事もはりきるし、家での機嫌もよくなるのだ。
 進は絶妙な角度で身体をくねらせながら、先日読んだ「世の男たち、セックスのときの演技はもうやめよう!」という男性誌の特集記事を思い出した。銀行の待ち時間に見た週刊誌だ。
「進ちゃん、どう? どんな感じ?」
「あっ、そこだけは勘弁して……はあっ……ちーちゃん……」
 進は息も絶え絶えを装って、あえぎ声をあげながら、週刊誌の内容を思い出して噴き出しそうになる。演技をやめて、一体どうするというのだろう。そういう奴は自分一人でマスターベーションすればいいじゃないか。
 女の自尊心をくすぐるためのセックスだ。男のほうが上手で利口なのだ。男を組み敷いて、いい気になってる女なんて、愚かでかわいいじゃないか。こんなことで機嫌良く過ごしてくれるなら、いくらでも演技してやる。性交中演技をしない男なんて、世の中にいないはずだ。
 蓮の部屋から、かすかに音楽が聞こえる。人気ドラマの主題歌だ。なかなかいい曲だなと、進は思う。
「ああっ、すごくいいよ……。ちーちゃん……もう助けて……ああ、すごく上手だ……」
 進は、隣の部屋から流れる曲の歌詞を脳内で口ずさみながらハアハアと悶えてみせ、明日の夕飯のおかずは何にしようかと考える。肉続きだったから魚料理にしようと決めつつ、妻好みのいやらしい声を出し続けてあげた。

▶#2-1へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第205号 2020年12月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第205号 2020年12月号

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