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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.25

【連載小説】郷原の弟と、レナ。最悪の場所での最悪の出会い。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#25

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 身体全体に、妙に力がみなぎっていた。
 ぼくは自転車を飛ばしていた。負の力をエネルギーに変えて、ひたすらにペダルを踏み込んでいた。
 薄暗くなってきた街の景色が、ギュンギュンと後ろに遠ざかる。街灯。窓から漏れる光。自動車の白いヘッドライト。自動車の赤いテールライト。そこかしこに点在する光たちが、ぼくの乱れた感情と呼応し、錯乱する。
 雪と光の中、ぼくはひたすら走り続ける。
 歩道に、血を流して倒れている人が見えた。
 日本人じゃない、褐色の肌をしたどこの国の人かも判らない人間が、大きな怪我をして倒れている。無視して前に進むと、その数がどんどん増えていって、やがて車道にまであふれてくる。匂いは届かないはずなのに、びた鉄のような血の臭いが鼻をつきそうで、ぼくは口を開けて呼吸する。
 右隣を通り過ぎる車の中に、大量の犬の死体が見えた。空を見ると、囚人服を着て首をられた人たちが、ベルトコンベアに乗せられているみたいに空中を移動していた。
 ブブブと耳元で音がした。大量の蠅が現れ、綿わたあめみたいにぼくの頭をくるむ。払おうとしても、去ってくれない。ぼくは諦めて、蠅たちと一緒に走り続ける。
 空想が、溢れている。グロテスクな空想が、ぼくをでたらめに襲う。絶望に呼応して、ぼくの空想が暴走している。
 ぼくは目を閉じた。
 ペダルを漕いだ。無味乾燥な闇の中を、ぼくはひたすらに直進した。
 怒号のようなクラクションが鳴り響く。人の怒声がぼくを襲う。構うもんか。そんなもの知らない。現実なんかクソくらえだ。空想も何も、見たくない。
 ぼくが〈力〉を持っていなければ、よかったのに。そうすれば、真夜のことも見なくて済んだ。こんなつらい現実に直面しなくてよかった。
 少しでもそんなことを考えてしまう自分が、嫌だった。だってこの〈力〉があったから、真夜と仲よくなれたからだ。そして、ぼくがいなかったら、真夜は絶望の中、ずっとひとりで取り残されていた。ぼくは、真夜を救える、最後の可能性を持っている。
 真夜を殺して、あそこから解放する可能性を。
 何も見えない。何も聞こえない。何もない空間を、ぼくはひたすら走り続けた。

 ぼくは、エノルメにきていた。笹倉の中心にあるショッピングモールは、平日の十八時なのに人でごった返している。
 ──今晩、一緒にいるよ。
 ぼくは真夜に言った。真夜は最後まで遠慮していたけれど、あの状態の彼女をひとりにしておくわけにはいかない。母さんには怒られるだろうけど、真夜のためならなんでもない。
 ──いや、違う。
 ぼくは単純に、真夜といたかった。
 いつか嵐に巻き込まれ消えてしまう彼女と、もっと時間を共有したかった。
 一階にあるスーパーマーケットに向かい、食事や使い捨てカイロ、顔を冷やさないためのマスクなどを買い込む。真夜が好きだったチョコレートやナッツ類は、思いつく限り買うのを避けた。真夜とぼくは食の好みが似ているから、あまり好きじゃないものばかり買う羽目になった。
 ひと通りものを買い込み、フロアにあるベンチに腰掛ける。残金は二千円。真夜が喜ぶことに使ってあげたいけれど、何も思いつかない。暖かいマフラーも、甘いショートケーキも、いまの真夜には何の役にも立たない。
 防寒具でも買い足そうか。そう思って、腰を上げようとしたときだった。
「……ごめんなさい、無理です」
 雑踏の中から、声が耳に飛び込んできた。
 涼子だった。
 目の前を、ダウンジャケットを着た涼子が横切っていく。その隣には、レナと、もうひとり、高校生に見えるぽっちゃりとした色白の女性が歩いている。涼子もレナも、ぼくには気づかなかったようだ。
「無理? なんでよ」
「私、その、そういうことは……」
「なんでもやってみろって。涼子ちゃんのよくないところだよ、それ」
 三人は向こうに歩いていく。緊迫した雰囲気だった。涼子が、色白の女子になじられていて、レナはそれを静観している。
〈吉見くんが、私のことなんかどうでもいいと思うようになったら?〉
 そうだ。涼子のせいで、真夜はあんなことを思ったのだ。
〈涼子に、きっちり謝らせるぞ〉
 それが、真夜のためになるのなら。ぼくはマスクをつけ、あとを追いはじめた。
「お前、あたしたちのこと馬鹿にしてんだろ? 態度で判るんだよ」
「そんな。馬鹿になんかしてないです」
「なら、やってこい。スチュアートな。こっちがボブでこっちがスチュアート。全然ちげえから、間違えんじゃねえぞ」
「だから、私、そんな……」
 声が聞こえるくらいの距離を取り、後ろを歩く。色白の女子は、キーホルダーを見せながら何かを言っている。涼子が何を言われているのか、そこで気づいた。
 万引きだ。ものを盗んでこいと、怒られているのだ。
「あの……買ってくるんじゃ、駄目ですか」
 涼子が言った瞬間、色白の女子は涼子の脇腹を小突いた。わずかな動きで、目に留めた客や店員はいない。でも、見ていてヒヤッとするほど、勢いのある突きだった。
「あんず、やめろって。涼子、もういいから駐車場行ってな。あたしたち、買いものしてから行くから」
 レナが仲裁に入ると、急に涼子が振り返った。気づかれると思ってヒヤリとしたけれど、マスクをしているせいか、周囲が見えていないのか、涼子は目もくれずに遠ざかっていった。
「あんず、イライラしすぎ。怖いよあんた」
「だって、うざいんだもんあいつ。せっかく仲間にしてやろうっつってんのに、ノリわりいし」
「だからって殴ることないだろ。涼子が逃げたら、あんた郷原さんにボコられるよ。っていうか、ボブとかスチュアートとか、なんだよそれ」
「ミニオン、知らないの?」
「知らねえよ。子供かよ」
「子供じゃないし。可愛いし。レナのセンスがおかしいだけだし」
 色白の女子は、あんずというらしい。レナとは口喧嘩をしているようでいて、親密そうだった。
「ていうかさあ、あいつ、一緒にいて、ムカムカすんだよ」
「ムカつくんならほっときゃいいだろ。絡むなよっ」
「ほっときたいけどさあ。こういうことはやんないのに、金持ってくるから郷原さんに気に入られてるのが嫌なんだよ。やることが汚いっていうか」
「そう思う?」
 レナの声のトーンが、少し落ちた。
「涼子は、別に郷原さんに気に入られたくて金を払ってるわけじゃないと思うよ」
「じゃあ、なんなんだよ」
「あの子、金を貢ぐのが幸せなんだよ」
 驚いた。そんな考えかたは、したこともなかった。
「涼子ってさ、人に奉仕するのが好きなんだよ。自分を殺して、人に喜んでもらうことばかり考えてんの」
「別に金払う必要なくない? あたしなんか、みんなといるだけで楽しいよ?」
「涼子の家のパーティーとかに行けば判るよ。私みたいな使用人の子供にまで、平気で万券のお年玉を配る。涼子に聞いたけど、親が子に金を渡して歓心を買うみたいなことが日常でさ、あの子も親に似てきたんだよ。だから郷原さんとは、いいコンビなの」
「変なのー。ほかに楽しいことねえのかよ」
「だからそれが一番楽しいんだよ。まあ、いいんじゃない? 本人も喜んでるんだし。あたしはもうタッチしない」
「そんなことよく判るね。レナは頭いいなあ」
「あんずがバカなだけだろ」
「あ、バカって言わない約束ー」
 あんずはおかしそうに笑う。その笑いを見ていて、胸が痛んだ。
 それが、涼子の望みなんだろうか。
 確かに、空想クラブでの涼子は、潤滑油のような存在だった。ぼくたちがぶつかったときに、適切に全体のバランスを取って、関係をなめらかにしてくれた。
 涼子の人を支える資質が、お金を貢ぐという行動と結びついてしまったのだろうか。ならば、そんなものは真夜と合うはずがない。真夜は欲しいものがあったら自分で手に入れたい人だ。涼子が買ってあげられなかったという望遠鏡も、必要なら真夜はお金をためて買うだけだろう。
 ぼくは、映画館での涼子を思いだした。涼子はぼくと一緒に『ドラえもん』を観たとき、自分が観たいからとは言わなかった。真夜はひとりで映画を観るほうが好きだから、という理由で、ぼくについてきた。あのときだけじゃなく、涼子はずっと、人のことを優先に考えて動いていたのかもしれない。
 だとしたら、涼子は、このままが幸せなんだろうか? お金をせびられ、一方的に搾取されようとも、必要とされる、いまのグループにいることが。真夜があんなことになっているのに、涼子と仲直りさせようとするのは、間違いなんだろうか?
「レナ」
 しばらく歩いたところで、あんずが鞄の中からキーホルダーを出した。ミニオンのものじゃなく、ピンクの兎がついたファンシーなやつだ。
「バカ、何やってんの。いつの間に」
「えへん、気づかなかったでしょ。ちょっとシルバニアっぽくてよくない? この子」
 いつの間にか、万引きをしたようだった。どこでやったんだろう? 後ろから見ていたのに、全然判らなかった。
「あたしがいるときにやるんじゃねーよ。こっちまで巻き込まれんだろ」
「大丈夫だよ。あの店カメラないし、バイトもバカしかいないから。レナも欲しいのがあったら言ってよ。半額で売ってあげるよ」
「バカはお前だよ。その病気、脳と一緒に治してこいよ」
「もう、バカって言わないの」
 そこで、あんずが笑った。
「レナさあ」
「何」
「つけられてるよ」
 あんずが、いきなり振り返った。思い切り、目が合ってしまった。
 レナとも視線が合い、その目が見開かれるのが見えた。
 あんずがにやにやしながら、距離を詰めてくる。逃げる間もなかった。
「なあに君、中学生?」
 レナがぼくを睨みつけながら近づき、ぼくの横に立った。
「さっきから何かな? あっちの店からずっとつけてきたよね」
 あんずはあごをしゃくり、きた道を示す。距離は取っていたのに、どうしてバレたんだろう。リラックスして話しているようで、周囲に神経を張り巡らせていたのだろうか。
「まあいいや。学生証見せて。中学生?」
「あんず、気のせいじゃないの? こんなガキ知らないだろ」
「気のせいじゃないし。つけてきてたし。君さあ、大人しく見せたほうがいいよ。レナがキレるとやばいから。あたし、昔、ビンタされて鼓膜破られたことあるし」
「うぜーよ。あたしがキレる流れじゃないだろ」
「もう、怒らないの。怒ると病気になりやすいってテレビでやってたよ」
「お前のせいだろうが」
 郷原とぼくを会わせたくないレナは、微妙にぼくをかばってくれている。その隙を利用して、とっさに噓を考えた。
「あの、友達に似てるなって思って、それで見てただけなんです」
「友達?」
「はい、小学校のころの友達に、似ている人がいて。でも、別人かどうか判らなくて、ずっと見てたんです。じろじろ見ちゃって、ごめんなさい」
「ほら、あんず、それだけだって。こんなガキがつけてくる理由ないだろ? お前も、さっさと行け。消えろ」
 去れという意思を感じて、ぼくはきびすを返した。レナが上手くごまかしてくれたことに感謝しながら──。
「あ」
 そこで、ぼくは別の視線にぶつかった。
 郷原公輝が、そこにいた。『マンドラゴラ』の前で見た幼い顔が、ぼくのほうを向いていた。
「なになに、ふたり、知り合い?」
 あんずが目ざとく見つけて、詰め寄ってくる。ぼくの顔を、面白そうに覗き込んだ。
「君、何者なの?」
 レナと目が合った。レナは忌々しそうな表情になって、ぼくから目を逸らした。

#26へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


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