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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.26

【連載小説】「郷原さん! 死んじゃうよ!」圧倒的な暴力が駿を襲う。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#26

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 つれていかれたのは、駐車場だった。
 モールの上階に入っているものじゃなく、建物の隣にある広い屋外駐車場だ。エノルメの構内の駐車場はいつも満車に近いけれど、ここは使い勝手が悪いのか、閑散としていることで有名だ。
 駐車場の奥。
 大きなバイクが止まっていて、そこに三人の人間がいた。ひとりは見たことがない男で、もうひとりは涼子だ。
 最後のひとりは、郷原だった。傘を差しながら、壁のような威容でぼくを見下ろしている。
 涼子はぼくを見た瞬間に「あっ」と声を上げる。「涼子とも知り合いかよ」あんずがますます面白そうな口調で呟いた。
「なんだお前は」
 郷原のたった一言に、ぼくは震え上がった。
 短い髪と、高い背丈。改めて見ると鍛えているのか身体はパンパンに膨らんでいて、熊のようだった。ぼくを見下ろす冷たい目は水生生物みたいに暗く、感情がない。
 現実だ、と思った。
 ぼくに時折立ちはだかり、問答無用で攻撃を加えてくる、現実。郷原の肉体と暗い目は、それを象徴しているみたいに見えた。
「あんずをつけてたって? それに、涼子とも、弟とも知り合いみたいだな。お前は誰だ。何を探ってる?」
 レナと一瞬だけ目が合う。ごまかせと、伝えてくる。
「その……ぼくは、涼子の同級生だったんです。最近涼子が怖い人とつきあってると聞いて、心配してて──どんな人と交際しているのかが気になって、なんとなく調べてたんです」
 郷原が涼子を見る。ぼくと同級生だったことを認めるみたいに、頷いた。
「ぼく、東中に通ってます。郷原さんの、後輩なんです」
「だからなんだ」
 仲間意識を喚起するつもりで言ったけれど、何の効果もない。たった六文字でぼくの思惑をすりつぶし、水生生物の目で見下ろしてくる。
「吉見、余計なことすんなよ」
 黙っていた涼子が、突然声を上げた。
「私がそんなこと頼んだか? 心配って、なんだよ」
「心配は、心配ってことだよ。だって涼子、昔はそんな人じゃなかった」
「お前は親かよ。こんなとこまでノコノコきやがって、頭おかしいんじゃないのか」
「うるせーな。黙れよてめー」
 あんずの言葉に、涼子は黙ってしまう。前まで恐れていた涼子の言葉は、いまは全然怖くない。レナやあんず、郷原という本当に怖い人の言葉に慣れてしまったからだ。
「俺の後輩ってことは、俺のことも当然知ってるな」
「……はい、少しは」
「涼子が心配ってのは、どういうことだ? 俺みたいな人間といるのが心配ってことか?」
 郷原の言葉には、雑味がない。こちらをあざけるようなニュアンスも、脅してやろうという意思もない。発する言葉のすべてを、ぼくを詰問することに割いている。
「俺が何をしたか、知ってるのか」
「……暴行事件を起こして逮捕されたとか、そういう話は聞いてます」
「それだけか?」
「詐欺の受け子をやって、逮捕されたって話も聞きました」
「それだけか?」
「……それだけです」
 こちらを探る感じでもなく、郷原はただぼくを見下ろしている。状況を判断するだけの、無機質なカメラのような、水生生物の目。
「吉見、だったか。心配なんかいらない。俺たちは楽しくやってる。そうだろ、涼子」
 涼子は頷いた。涼子もまた、水生生物の暗い目になっていた。
「お前が心配していることは判る。涼子が俺たちにむしられてるんじゃないかって、不安なんだろ。俺は詐欺で捕まってるしな」
 頷いていいのか判らない。
「確かに俺は、涼子からカンパをしてもらってる。でもな、これは涼子が自分からやっていることなんだ。涼子の家は金持ちだ。別に自分で稼いだわけじゃない。先祖が金持ちだったから自分も金持ちだというだけの家だ。涼子はそんな境遇が、嫌なんだよ。不公平な社会をなんとかしたい。そう思っている」
 涼子は頷いた。すべての感情を閉ざした表情で。
「涼子は俺たちに協力できて嬉しい。俺たちは涼子にカンパしてもらえて嬉しい。お互いに必要としている、いい関係だろう? 俺たちは仲間なんだ」
 郷原は周囲のメンバーをゆっくりと見回す。
 名前の判らない男性は、睨みつけるようにぼくを見ている。公輝とあんずは侮るような視線をぼくに向け、レナはいらったみたいに足を揺すっている。涼子はぼくと目を合わせようともしない。
 涼子は、ここにいることが望みなんだろうか。
 涼子は人を支えるのが好きだった。その対象が真夜である必要はなくて、涼子はここでお金を貢いでいるほうがいいのだろうか。そっちのほうが、幸せなのか──。
「判ったな、もう帰っていいぞ。お前は何も心配しなくていい」
 郷原は軽く身を乗りだす。それだけで、大きな壁が倒れてくるんじゃないかというほどの威圧感があった。壁がぼくに倒れてきたら、無事ではいられない。
 ──隼人なら、こんなときどうするだろう。
 涼子をどうしてあげればいいか、判らない。隼人なら、それが判るまで、郷原の圧力に負けずに対話を続けるだろうか。
 圭一郎ならどうだろう。岡本先生に怒られても部員のために指導を拒否し続けた彼なら、ここでも立ち向かえるだろうか。
 真夜なら、どうするだろう──。
〈やってみたいんだ。ほんのささやかでも、可能性があるのなら──〉
「早く帰れよ、お前」
 ぼくの前に立ちはだかったのは、レナだった。わずかに生まれていた仲間意識は消えせ、ぼくに対する苛立ちだけがあった。
「選択しようとしてんじゃねえ。帰れって言われたら帰れ」
 どん、と肩を押される。これまで彼女と築いてきた関係すべてを、断ち切るみたいに。
 視界の隅で、涼子がぴくりと動くのが見えた。
 うつむいている目線が、わずかに揺らぐ。こんなときに、真夜なら──。
「涼子、帰ろう」
 ぼくは言っていた。
「ここには涼子のことを大事にしてくれる人はいないよ。涼子だってもう、判ってるだろ? みんな、涼子に興味があるわけじゃない。涼子が持ってきてくれるお金に興味があるだけなんだ。お金を貢ぐのが幸せなんて、涼子は本当にそんな人間なの? ぼくたちと一緒にいたときの涼子は──」
「いい加減にしろよ、お前」
 のどに、圧を感じた。
 レナに胸ぐらをつかまれていた。女子とは思えないほどの力だった。気道を塞ぐやりかたを知っているのか、一瞬で呼吸ができなくなった。
 ぼくはその手を握った。もがいて、少しだけレナの手を引き離す。
「涼子、ぼくたちは光害の調査をやってる。こんなところにいるより、調査をやってるほうが楽しいよ。そうだろ?」
 涼子は答えなかった。少しだけ見えた感情は、また水面の下に潜ってしまっている。レナが、ふんの目でぼくを睨んでいる。
「涼子。真夜は、あそこにいるよ」
 ぼくは言っていた。
「真夜はもうすぐ消えるんだ。でも、いまなら会える。涼子、あそこに行って謝りなよ。真夜はきっと許してくれるから──」
 どんと、みぞおちに衝撃を感じた。全身がしびれるほどの痛みが走り、胃の奥から、酸っぱい液体がこみ上げてくる。ぼくは反射的にうずくまった。レナに殴られたんだ。彼女は再びぼくの襟元を摑む。
 身体に、穴が空いたみたいに痛い。だから、どうした。真夜はもっと痛いんだ。
「涼子、待ってるから」
 なんとか声を絞りだした。
「早めにきてよ。真夜はまだ、あの河原にいる。ぼくを間に挟めば、真夜と話すことができる」
「何言ってんだお前……?」
 レナが不気味そうに言った。
「真夜が死んだ、あの河原だよ、判るよね。ぼくと一緒にいきたくないなら、ひとりでもいい。真夜には声が聞こえる。謝れば、きっと許してくれるから……」
 その瞬間、目の前を何かが横切った。
 全身を、衝撃が襲った。車に追突されたと思うほどの、ものすごい衝撃だった。
 世界が揺れた。自分がどうなったのか判らない。地面に、手をついている──?
 靴が見えた。黒いスニーカーに、銀の紐。
 その銀がものすごい速度でぼくの前に迫り、ぐしゃっという潰れた音が響いた。
 景色がバラバラになった。どん、どんと衝撃が身体を襲う。痛くはない。何かをされているみたいだけど、よく判らない。
「……郷原さん! 死んじゃうよ!……」
 水の中にいるみたいに、声がくぐもって聞こえる。レナの声みたいだ。さっきまでぼくに怒っていたのに、いまはその声は慌てている。
 白んだ空が見えた。
 雪をしんしんと撒き散らす薄い雲を、街でついさっき生まれたばかりの若い光が白く染め上げている。汚い空だな。一枚のタイムマシンになるはずの夜空は、雲に遮られて見えない。
 でも、雪が降っていなくても、星なんかろくに見えないんだ。地上からの光が、強すぎるから。
 ぼくはなぜだか泣きたくなった。綺麗な夜空。涼子との関係。真夜の存在。確かにあったはずのものが、いまも、これからも、ずっと失われ続ける。この現実が、痛すぎて。
 髪の毛を摑まれた。ぐいっと上に持ち上げられる。ぶちぶちと毛の抜ける音が聞こえるけれど、痛くはない。どうして痛くないんだろう?
 曖昧な視界の中、涼子の顔が少し遠くに見えた。
「涼子。お前も殴れ」
 殴れ。その言葉を認識した瞬間、鼻からどろりと液体が垂れるのを感じた。ああ、そうか。ぼくは郷原に、殴られたりられたりしたのか。
「涼子。お前も殴れ、このバカを」
「郷原さん、死んじゃうよ? そんなやつ、ほっとけば……」
「涼子、やれ」
 もうろうとする意識の中、ぼくは涼子のほうを見た。
 目が合った。ぼくのほうを睨んでいるけれど、迫力がない。怯えを必死に隠しているような目だった。
 ──殴りたくないんだ。
 ふと、涼子のことが少し判った気がした。
 涼子は、人のことばかり考えて生きている人なのかもしれない。でも、自分が嫌なことはやらないんだ。平気でナイフを突きつけたり、平気で人をだましたり、平気で人を殴ったりするような人じゃない。さっきもそうだった。あんずの誘いを、涼子はしっかり断っていたじゃないか。
 涼子という人が、少し判った気がした。涼子はやっぱり、悪い人じゃない。涼子は全然、怖い人じゃない。涼子はきちんと、自分を持っている。
「何を笑ってる」
 水生生物の、冷たい声がした。
 後頭部が割れて、深い闇がぼくを包み込んだ。

#27へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


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