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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.28

【連載小説】「きっと、あのふたりはもう、大丈夫」そして仲間が加わった――。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#28

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 笹倉駅の出口で涼子を待つのも、もう慣れてきた。
 電車がやってきて、駅のほうからガヤガヤと人が降りてくる。ストーカーみたいで気持ち悪いと思われそうだけど、涼子が乗っている電車の時間も、大体判ってきている。案の定、駅から吐きだされる人混みの中に、ぼくは涼子の長身を見つけた。
 ぼくと目が合った瞬間、涼子は顔をしかめる。でもこれまでみたいに、単に不快だという感じじゃない。もう少し、複雑な感情がある気がした。
「何しにきたの」
 近づくなり言ったが、いままでのように吐き捨てる口調じゃなかった。強い言葉の中に、ぼくを気遣うニュアンスがある。
「涼子、大丈夫?」
「何が」
「ほっぺた、赤いよ」
 その右頰に、指先ほどの大きさの、赤い染みがあった。見られたくないものを見られたような気まずい表情になり、涼子はスマホを取りだす。
「殴られたの? 昨日の誰かに」
「違うし」
「ごめん、ぼくをかばったせいだよね。でも、涼子はぼくを殴らなかった。嬉しかったよ」
 涼子はスマホをしまおうとしない。だが、郷原に連絡を取ろうとしているわけじゃなさそうだ。スマホは涼子の手の中で、役目を失って宙ぶらりんになっている。
「吉見くん。もう、私なんかに構わないでよ」
 涼子はスマホを見ながら言った。
「SQMが欲しいんでしょ? なら、あげるよ。捨てたっていうのは噓だから」
「ありがとう。やっぱり捨ててなかったんだね」
「明日持ってくるから、ここで待ってて。それでおしまい。もう私のことは放っておいて」
「真夜が、涼子に会いたがってるんだ」
 涼子が、視線だけを上げた。
「信じてもらえないかもしれないけど、ぼくには真夜が見えるんだ。涼子も、ぼくの〈力〉のことは知ってるだろ?」
 涼子は表情を変えずに、ぼくを見つめている。
「お節介かもしれないけど──ぼくは、郷原さんのグループにいるのが、涼子にとっていいことだとは思えない。気に食わないからって殴ってくる相手と、一緒にいたいの?」
「ほんと、お節介だね」
「でも、心配なんだよ。涼子は、真夜と一緒にいたころのほうが楽しかったんじゃない? 涼子の本心は──」
「心配だからって、何をしてもいいわけじゃないよ」
 涼子はそう言って、疲れたようにため息をついた。
「別に噓は言ってないよ。真夜と一緒にいて、少しつらかったのは、本当」
「どうして?」
「自分には何もないことを、思い知らされるから」
 涼子はもう一度、ふっと息を吐く。寂しそうなため息だった。
「真夜は頭がいいでしょ。好奇心も強いし、すごい行動力があって、やりたいことに向かって突き進める。しかも、周囲をいくら振り回しても、なぜかみんなから好かれる。どれも、私には、ないものばかり」
「真夜と比べたら、ぼくだって何もないようなもんだよ」
「そんなことない。吉見くんには不思議な〈力〉があるし、自分なりの考えかたがある。伊丹くんには、絵の才能と、描きたいものがある。小瀬くんには運動神経と、みんなをまとめるリーダーシップがある。あのグループの中で、私だけが何もなかった」
「でも、涼子に助けられたことは何度もあったよ? 涼子がいたから、ぼくたちは上手くやれてたんだと思う」
「はは、全然嬉しくないよ。そんな、人をサポートすることしかできないなんて……お前には何もないって言われてるのと変わらない」
 そんなことないよ、と言おうとして、ぼくは口を閉じた。淳子はくるくると髪先を巻いて、苦しそうな表情になっていた。
 淳子の苦悩が少し判った気がした。
 涼子は人のことを考えて、空気を読んで、ついつい潤滑油になってしまう。ぼくたちはそれに助けられてきたけれど、彼女はそういう役回りを取ってしまう自分に、苦しんでいたのかもしれない。
「でもね、結局、私はそれしかないんだよ。親が、仲悪かったせいなのかもね。いつも目の前にいる人のことを考えて、その人が何をやったら喜ぶかを考えてる。もうこの性格、どうしようもないの。なら、困ってる人を助けたほうがいいでしょ?」
「どういうこと?」
「真夜は、ひとりでもやっていける。郷原さんたちは、私がいないと困る」
「だから郷原さんたちと一緒にいるってこと? 郷原さんたちが求めてるのは、涼子のお金だよ。涼子じゃない」
「そんなの判ってる。それでも、私は郷原さんの期待にこたえることができる。それでいいんだよ。私はその程度の人間なの」
 口にすればするほど、言葉が涼子の全身に取りいて、彼女の手足をからめ捕っていく。長い年月をかけて編み上げた網のようなものに、とらわれている感じだった。
「真夜が死んだのも、運命なんだと思う。お前の居場所は、いまのグループ以外にないんだって、何かに言われている気がする。だからもう、私のことは放っておいて」
「真夜は死んでない。ぼくには真夜の姿が見えるんだ」
「じゃあ、それでいいよ。とにかく私には構わないで」
 涼子は立ち去ろうとする。ぼくはその背中に向けて、言った。
「どうして真夜が、ひとりでやっていけるなんて思ったの?」
 涼子が足を止めた。振り返り、じろりとぼくを見る。苛立っているようにも、戸惑っているようにも見えた。
「だってふたりは、幼いころからずっと一緒にいた。真夜が突っ走ってるときに、涼子が上手くそれをなだめるところを、ぼくは何度も見たよ。どうして最近になって、そんなことを考えるようになったの?」
「それは……」
 涼子の戸惑いが強くなっていくのが判った。
「〈真夜は、事故で死んだんじゃない。去年もう、なくなってたのに。噓なんだよ〉」
「は?」
「真夜の告別式のときに、涼子が言ってた言葉だよ。真夜が河原で光害調査をしている最中、川に落ちたって言ったら、涼子はそう言った。これは、どういうこと?」
 覚えていないのだろうか。涼子の戸惑いの色が強くなる。やはりあれは、重い気分の中、ぽつりと言ってしまった言葉なのだ。
「忘れたのなら、いい。ぼくには、涼子が何を言いたかったか、判ってる」
 真夜が出した結論を、ぼくは言った。
「なくなってたのは、真夜じゃない。おひつじ座だ。違う?」

「真夜は、あの河原に、複雑な思いを持ってた」
 ぼくたちは歩きながら話していた。涼子は、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれている。
「小さなころの真夜はまつもとに住んでいて、年末にこっちに帰ってきていた。ぼくも年末に宮古島に帰ってたから、同じだって思った記憶がある。涼子とふたりであちこち遊び回って、最後はあの河原から星空を見るのが恒例だった。それは覚えてる?」
「……もちろん」
「真夜は、あの河原が好きだった。この辺では一番暗くて、星を綺麗に見ることができたから。でも、ここ何年かで、川沿いにマンションがたくさん建って、漏れ出る光のせいで河原から見える空はかなり明るくなった。真夜はそのことを、苦々しく思ってた」
 ぼくは、空を見た。どんよりと曇った空が、ぼくを見下ろしている。
「中学に入って、真夜は光害調査をはじめた。笹倉の空がどんなに明るくなっているかを調査して、警鐘を鳴らそうとしていた。涼子にそのことを話したら、涼子は自主的に手伝ってくれたって言ってた。涼子は本当は、真夜と光害調査をするのが、楽しかったんだよね?」
「……それで?」
「真夜は笹倉のあちこちを観測場所に選んで、毎月記録をはじめた。ところが、途中で気づいたんだ。あの河原を、観測地点に含めてしまったことに。このままだと、涼子と一緒にに行かないといけない。真夜はそれをどうしても避けたかった」
 隣を歩く涼子は、いつの間にか遠くを見ていた。あのころの河原を、見ているのだろうか。
「小学生のころ、修学旅行で長野に行ったよね。諏訪湖の近くのホテルで、ぼくは真夜と一緒に星空を見た。そのときに、真夜は星空の解説を色々してくれたけど、ひとつ面白いことを教えてくれた。
〈残念、隠れんぼの最中だ〉
 真夜は言っていた。修学旅行は九月で、ぼくの誕生星座であるおとめ座は、太陽の陰に隠れて見えていなかった。
「真夜は、誕生星座がいつ見えるかを知っていたし、気にかけていた。そんな子が、自分の誕生星座を見られる機会を、忘れるわけがない。真夜の誕生日は──」
「三月三十日」
「そう。そして、涼子の誕生日は、四月二日だ」
〈私と涼子って、下手したら違う学年だったんだよ〉
 ふたりは、なのだ。
「誕生星座は、その月の三から四ヶ月前に見ることができる。ふたりの誕生星座であるおひつじ座は、十一月から十二月によく見えるんだ。真夜と涼子は幼いころ、一緒に遊んだあと、河原から夜空を見るのが決まりだった。冬の河原の夜空には──おひつじ座があった」
 涼子は、ゆっくりと頷いた。
「真夜にとって、それは大切な思い出だったんだ。でも、おひつじ座は暗い星座なんだってね。一番明るいハマルが二等星、次に明るいシェラタンが三等星、ほかの星はもっと暗い。昔はなんとか見えていたおひつじ座が、いまはほとんど見られなくなっている。真夜はおひつじ座の消えた冬の河原の夜空を、涼子と一緒に見たくなかったんだ。だから、あることをした」

 やはり、気づいていた。ぼくは思わず、涼子の顔を見た。
「そう。真夜は、おひつじ座がもう河原から見えないことを、涼子に知られたくなかった。でも、河原だけを観測地点から外したら、あからさまでいぶかしがられる。だから、全部の観測地点を変えたんだ」
〈観測地点が、一回全部変わってるんだな。河原とか学校とかが入ってたのに、いまじゃ観測地点になってない〉
「真夜はエリアが広すぎたから、狭くしたと言っていた。あの子からしたら、上手くごまかせたつもりだったんだと思う。でも──涼子は、気づいてたんだね。真夜の噓に」
 涼子は小声で、うん、と答えた。
〈真夜は、事故で死んだんじゃない。去年もう、なくなってたのに。噓なんだよ〉
 あのとき、ぼくは涼子に、真夜が光害調査の最中に死んだという話をしていた。でも、涼子は判っていたのだ。観測地点を変えた真夜が、河原で光害調査などしないことを。だから、思わず、公にされているような事故で死んだんじゃないと呟いた。真夜は噓をついていて、あの河原からおひつじ座がなくなっていたことを隠していたのにと。
「それ──吉見くんが考えたの?」
 涼子の表情から、よろいが剝がれ落ちている感じがした。硬い鎧をまとって、やりをぼくに突き立てていた涼子は、もうどこにもいない。
「まさか。真夜が考えたんだよ。ぼくは真夜みたいに頭がよくないし、百歩譲って同じくらいの頭を持っていたとしても、材料がない」
「そうだよね。普通に考えたら、そう。じゃあ、真夜は──」
 ぼくは頷いた。涼子の目が、大きく揺れた。
「噓をつかれたことが、真夜から離れた理由?」
「……判んない。あのころの私は、毎日ぐちゃぐちゃだったから。でも、真夜が私に本当のことを言ってくれなかったのは、ショックだったかな」
「真夜も悪意があったわけじゃない。ほんの少し、ボタンの掛け違えがあっただけなんだよ」
 涼子は口をつぐむ。ぼくは、最後のひと押しをするように言った。
「とりあえず、真夜の謝罪は、受け取ってほしいんだ。真夜、噓をついたことを後悔してた。おひつじ座が見えないことを、涼子に隠さずにきちんと話しあうべきだったって」
 涼子は、返事をしない。思いつめたように、一点を見つめている。
 説得の言葉を続けようとして、ぼくはやめた。涼子はたぶん、考えている。ぼくの願望によって動くのじゃなく、自分の本心が、どこにあるかを──。
 ぼくたちは、無言で歩いた。気がつくと、荒川の土手の手前まできていた。
 そこに、隼人と圭一郎がいた。
 涼子と話してみて、つれていけそうなら河原に行く。ふたりにそう伝えたら、すぐに河原に集まろうという話になったらしい。圭一郎は「久しぶり」と言い、冷静な目で涼子を見ている。
 隼人と目が合った。彼は、明確に疑問があるみたいだった。涼子を真夜の前に出して、大丈夫なのか?
 ぼくは隼人に向かって頷く。ふたりの間をぼくたちは通り、土手を上がった。
「真夜は、あそこにいる」
 一面の芝生の上に、赤いパーカー。
 真夜は、こっちを見ていた。
 勘のいい犬が、遠くからくる待ち人に気づいたみたいに、真夜はこちらを見つめていた。でも、その視線の先にいるのは、ぼくじゃない。
「真夜、私のことを見てるでしょ」
 涼子が、閉じていた口を開いた。
「判るの?」
「なんとなくね」
 涼子は、ふーっと息を吐いて、ぼくたちを見回す。
「私には、何もないんだと思う。みんなが持っているみたいな、特別なものは、何も」
 隼人も圭一郎も、げんな表情で涼子を見つめる。
「でも、真夜のことは判る。たぶん、みんなより。それだけは、負けないのかもしれない」
 その声に、しんが通った気がした。そう、涼子は、真夜が巧妙についたはずの噓を見破った。真夜のことを、誰よりも判っているから──。
 涼子は、すたすたと歩きだす。慌ててそれを追おうとすると、涼子は手でぼくを制した。
「ここからはひとりで行く。こないでほしい」
「ひとりで? どうして?」
「真夜とふたりで話したいことがあるから。吉見くんがいたら、邪魔じゃない」
「でも、ぼくがいないと、真夜が何を言ってるか判らないだろ」
「判るよ」
 涼子は、ほんのかすかに笑った。
「私は、あの子のことには詳しいの。何を言ってるかは、判る」
 隼人と目が合った。さっきまで疑問の色を浮かべていた彼は、問題ないだろと言う風に頷いた。
 涼子が、土手を下りはじめる。
 真夜は、身じろぎもせずに涼子をじっと見つめている。その表情までは見えない。でも、涼子がひとりで近づいていることの意味は、伝わっているみたいだった。
 涼子が河原に腰を下ろすと、真夜がその横に座る。胸が熱くなった。自分が腰を下ろしたら、真夜が隣に座ると、判っているんだ。空気を吸うみたいに、当たり前のこととして。
「大丈夫だ」
 ぼくは言った。
「きっと、あのふたりはもう、大丈夫」
 涼子が何かを話している。真夜も、何かを話している。その声は聞こえなかったけれど、聞く必要はなかった。

#29へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


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