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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.29

【連載小説】再び集まった「空想クラブ」の5人。真夜の解放も近い――? 少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#29

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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第五章 空想クラブ

は……そんな風に亡くなったんだ」
 翌日。
 ぼくは自分の部屋で、りようこと向かいあっていた。椅子がひとつしかないので、ぼくはベッドに腰掛けて、涼子に椅子を渡した。
 今日の涼子は、黒いセーターにジーンズと、ラフなかつこうだった。再会してからずっとセーラー服姿しか見ていなかったから、普段着の彼女を見るのは小学生のとき以来だ。ラフな服装をしていても涼子はスタイリッシュで、ぼくが同じ恰好をしてもこうはならないだろうなと思った。
「何じろじろ見てんだよ」
 口の悪さは、すぐに抜けるものじゃないらしい。ぼくはごほんとせきばらいをした。
「そう。光害調査をしてない河原で亡くなったのは、〈子供〉を助けようとしたからだよ」
「真夜──足は遅いのに、走るのは速かったからね」
「どういう意味?」
「真夜は運動神経が悪かった。運動会の徒競走なんかだと、毎回ビリだった。でも、こうだと決めて、一直線に突っ走るときの真夜は、すごく速かった」
 なんとなく判る。遠足や修学旅行で自由行動がはじまったとき、真夜は弾丸みたいに飛びだして見たいものに向かって突っ走っていった。きっと、死んだ日の河原でもそうだったのだ。
 真夜の足が、もう少し遅かったら──。
 突然、涼子が涙をこぼした。慌ててティッシュを差しだそうとすると、いらないという感じで手を振られる。
 涼子は無言で、ぽろぽろと涙をこぼし続けた。涙が止まったかと思うと、次の一滴が落ちる。そのたびにいらったようにそれを指先でぬぐい、舌打ちをする。なかなか泣き止むことができない自分が、もどかしいようだった。
「……その子の似顔絵、見せて」
 しばらく泣いていた涼子は、ようやくぼくに手を伸ばした。ぼくは似顔絵アプリで作った〈子供〉のアバターを見せた。
ごうはらさんの弟に、似てない?」
「そう言われると似てる気もするけど、髪型が全然違う。こうくんは去年から、ずっと短髪の黒髪だよ」
「女装する癖とか、ないよね?」
「あるわけないでしょ。大体あの子を川に放り込んだりしたら、郷原さんに殺されるよ。公輝くん、郷原さんに可愛がられてるから。小学校にもろくに行ってないみたいだから同級生がやるわけないし、行ってたとしても、彼みたいな強い子をいじめられる人なんかいない」
「そっかぁ」
 やはりどう考えても、公輝が〈子供〉という話は成り立たない。公輝を虐待する相手もいなければ、髪型の問題もある。
 そこでぼくはひとつ、思いだした。エノルメの隣の駐車場でのことだ。
〈真夜が死んだ、あの河原だよ、判るよね──〉
 河原。その単語を出した直後に、郷原が殴りかかってきた。
 それは、たまたまなんだろうか。郷原が河原にきていたのは、ただの野次馬だった。公輝がアプリの似顔絵となんとなく似ているのもたまたまで、河原という単語が出たすぐあとに殴りかかってきたのも、たまたまだと。
 偶然が重なりすぎている気もするけれど、公輝が虐待の被害者だとすると、さっきの壁が立ちはだかる。公輝を虐待できる人なんて、いないということが。
「まあ、どうしても気になるなら、聞くことはできるよ。あの日、川でおぼれてたのは公輝くんなのかって」
「え? まだ、あそこに顔出すつもりなの? やめときなよ。あんなやつらとつきあってても、何もいいことない」
「そんな、甘くないよ」
 あの夜、水生生物の目をしていた涼子が、少し顔をのぞかせた気がした。
「縁を切るなんていったら何されるか判らない。私だけならまだしも、そうなったらよしくんも危ないかもしれない」
「まさか。そこまでやる?」
「やるよ。郷原さんって、お金が絡むと人が変わるから。金のトラブルで友達を半殺しにしたって話、聞いたでしょ? 甘く見ないほうがいい」
 半殺しというのは、『マンドラゴラ』の店主とめたという話だろう。
「とにかく、しばらく郷原さんのグループには顔出すよ。みんなに迷惑はかけられない」
「大丈夫だと思うけどな」
 そのとき、部屋のドアが開いた。母さんが、お盆にお茶を載せて持ってきてくれていた。
駿しゆん、あんたお茶くらい出しなさいよ。全く、わざわざ女の子がきてくれてるっていうのに、気が利かない……」
 涼子が慌てて組んだ足をほどく。
「すみません、お気遣いいただいて。お構いなくお願いします」
「いーえ、構わせてくださいな。ほんとすみませんね、無神経で無配慮な息子で。昔からマイペースで何考えてんのか判んない変な子なんですけど、懲りずに仲よくしてあげてくださいね」
はやけいいちろうがあとでくるから、すぐに出かけるつもりだったんだよ。もういいから早く出てってよ」
「いつもそうやって母さんを邪険にする。元はと言えばあんたが気が利かないから私がフォローしてるんでしょ? 全く、そういうところばっかり父さんに似て……」
「もう、本当にいいから……」
 普段は反論をしたらとんでもないことになるのだけれど、涼子がいるせいか今日はぶつぶつと言いながら部屋から出ていってくれた。全く、母さんは怪獣だ。真剣に話をしていた空気が、ぺしゃんこにつぶれてしまった。
「お母さん、パワフルだね」
「パワフルなんてもんじゃないよ。ゴジラだよ。人間じゃ立ち向かえない」
 笑いを誘うように言ってみたけれど、涼子は乗ってこない。浮かべている笑みは、どこか寂しい。
「私、いま母親と暮らしてるんだよね」
 罪の告白みたいな口調になる。
「父親、ひどいモラハラ人間でね。私が小さなころから、もうふたりの仲は最悪だった。それでもなんとか持ってたんだけど、最近母親も年取って気力がなくなっちゃったのか、精神的に限界になっちゃって。私から見ても、父親のほうがひどいと思ったから、母親と一緒に家を出た。おとの家は、私を手元に置いておきたかったみたいなんだけどね」
「モラハラって?」
「暴言がすごいんだ。いつも不機嫌そうな顔しやがって。結婚は失敗だった。お前は早乙女の寄生虫だ。金食い虫。出てくなら一文無しでたたきだしてやる。こんなこと普通、子供の前で言わないよね」
 胸が痛んだ。ひどい言葉の嵐だ。
「でも、家を出たころは結構前向きだったの。家から少し離れたアパートに逃げるみたいに引っ越して、来週にはもっと遠くに出て行こうって母親と話してた。学費がかからないところに転校もすることになるだろうけど、母親とふたりでつつましくやっていこうって決意してた。でも、いまから考えると、そんなことを本当に考えてたのは、私だけだったのかもしれない。母親はいつまで経っても、笹倉から出て行こうとしなかったから」
「どうして、お母さんは出て行かなかったの?」
「父親からお金を引っ張るためだよ」
 心底けいべつしたように言う。さっきから両親を〈父親〉〈母親〉と呼んでいるところに、涼子と親との距離を感じた。
「お金に不自由しなかった人が、お金がなくなるとこんなにみじめなんだって、母親を見てよく判ったよ。最初は〈貧乏になってもふたりでやっていこうね〉って言ってたのに、一ヶ月もしたら私にあたりだした。お前がいなければもっと生活が楽だったのに。どうしてついてきたの? 挙げ句の果てに、離婚したのは私のせいだって言いはじめた。私が生まれるまでは、くいってたのにって。まるで、父親が乗り移ったみたいだった」
「……ひどい」
「ひどいのはここからだよ。母親は言った。金を、父親からもらってこいって」
 自分で言った言葉で、涼子が傷つくのが判る。でも、止めたほうがいいのか判断がつかない。
「結局、母親は最初からひとりでやっていく覚悟なんかなかったんだよ。だって慰謝料とか全然もらってなかったんだよ? 自分はひとりでやっていける、早乙女の力なんか借りないって家を出たのに、本心は父親に頼るつもり満々だったんだ」
 涼子が傷ついていくのを、ぼくは見ていることしかできない。
「毎月、父親の家に行って、お金をくださいって頭を下げるのが、私の仕事になった。きつかったな。もう早乙女は頼らないんじゃなかったのか。やっぱりお前の母親は、自活もできないクズだな。ひと通りとうしたあと、父親は言うんだ。母親を説得しなさい。もう一回、家族で仲よく暮らそうって。そのときの勝ち誇った顔を見ると、本当に、死にたくなるんだよね」
 涼子がごとのように言うのが、つらかった。でもそんな風にして言わないと、涼子自身が押しつぶされてしまうのかもしれない。
「まあ、駄目なのは私も一緒だけどね。父親にお金をもらいに行って、そのうちの一部を郷原さんに渡してたんだから」
「そうなんだ……」
「真夜だったらよかったのにって、思ったよ。真夜にお金をあげて、あの子が喜んでくれたんなら、きっと一緒にいられたのにって。最低だよね。そんなことを思ってまた、すごく死にたくなった」
 涼子の声は暗く沈んでいく。
 涼子は、恵まれた子だと思っていた。地主の本家に生まれて、欲しいものをなんでも買ってもらえて、なに不自由なく暮らしていると。でも、彼女はその家に、ずっと苦しめられていた。そしていまでは自分自身に深く失望している。
 なんて声をかけてあげればいいんだろう。涼子の深い傷をやす言葉を、ぼくは持っていない。自分が無力なのが、嫌になる。
「おっすー」
 それでも何かを言おうとしたそのとき、場違いな明るい声で、隼人が入ってきた。その後ろには圭一郎もいる。
「待たせて悪かったな、冷凍みかん持ってきたから許してくれ」
 隼人はいきなり、みかんを配りはじめる。やけにテンションが高く、部屋に満ちていた重い空気は吹き飛んでしまった。涼子も空気を読んだのか、隼人に合わせて明るい表情になっている。
 勇気を出して話してくれたはずなのに、涼子がさらけだしてくれた失望は、何も埋められないままどこかへ行ってしまった。
「あと一週間で、ギプスが取れるとさ」
 圭一郎の手を指差して言った。「右腕が描けってうずうずしてるよ」と、珍しくおどけたことを言う。
「きちんとした似顔絵ができれば、調査の精度が上がる。ネットにも載せられるし、親父のルートでささくらじゅうにばらくこともできる。とにかく、ちゃっちゃっとやって真夜を解放しようぜ。そしたら一緒に学校にこられるようになるかもしれない。駿、お前カンニングとかすんなよ」
「カンニング?」
「真夜が近くにいたら、試験の答えとか教えてもらい放題だろ」
「真夜は不正なんかしない」
 涼子がすかさず突っ込むと、「それもそうか」と頭をかく。隼人のおどけた調子が面白くて、思わず吹きだしてしまう。
 ──寂しいんだ。
 異様にテンションの高い隼人に笑いながら、ぼくはそう感じた。隼人も、この集まりがなくなるのが寂しいんだ。もしあの〈子供〉が見つかったとしたら、もう真夜とはしょっちゅう会えなくなる。その寂しさが、隼人のテンションを高めている。
 いまさらそんなことを言っても意味がない。ぼくたちは共犯者みたいに、みんなでそれをごまかしている。冗談を言って、冷凍みかんを食べながら。
 でも、ぼくたちが選べる現実は、ひとつしかない。〈子供〉を捜しだして、真夜を解放すること、それだけだ。
 たとえそれが、彼女をことになったとしても。
「さて、相談だ」
 隼人の合図で、ぼくたちは床に車座になる。
 そう、今日はひとつ、決めなければいけないことがあった。

#30へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年9月号

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