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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.10

【連載小説】頑なに口を閉ざす美術部の面々。孤立を深める圭一郎は――。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#10

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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「伊丹のことをぼくに聞かれても、困るんだよな」
 放課後。ぼくと隼人は二年C組を訪れて、多湖大助を捕まえていた。
 名は体を表すで、大助は身体が大きい。身長は百八十センチあって、体格もラガーマンみたいに分厚い。入学するや否やバスケ部や柔道部などあらゆる運動部に勧誘された逸材だったが、本人は全くスポーツ向きの性格じゃなくて、誰かと戦うのは嫌だからと美術部に入ったそうだ。
 大助も、パーカーにチノパンという恰好だ。特殊なで立ちはしていない。
「困るったって、お前美術部の仲間だろ? 圭一郎はなんであんなことをはじめた?」
「知らないよ。エスキモーの文化を学びたいから、エスキモーの恰好をしてるとしか聞いてない。実際、そうなんだと思うよ」
「学校に着てくるこたないだろ。岡本ちゃんもキレてたし、コスプレしたいんなら放課後に家でやれよ。大体あんな衣装、どこから持ってきたんだ」
「彼のお父さんが、アラスカに出張に行ったときに買ってきたんだって。本物はアザラシの毛皮でできてるそうだけど、あれは観光客向けのお土産だって言ってたかな」
 大助は、わずかにイライラしたように答える。普段の大助は象のように穏やかで、彼と話していると賢くて大きな動物に諭されているような気がするのだけれど、今日の彼は足の裏に大きなとげが刺さっているみたいに苛立っている。
「岡本先生が怒ったくらいじゃ、伊丹はやめないよ。ぼくがやめろって言っても、まず聞かない。もう放っておきなよ。何を言っても無駄な人に、何かを言っても仕方ない」
 棘の正体は、圭一郎だ。投げやりな大助の態度を見て、圭一郎とふたりで新歓を頑張っている姿を思いだし、少し哀しくなった。
 小学生のころ、圭一郎は教室の隅から、猿山を見つめるオランウータンのようにクラスメイトを見ていた。絵の題材を探していたこともあるのだろうけど、ぼくは違う印象も持っていた。
 同類がいないことの、孤独だ。
 空想クラブには、絵を描く人はいなかった。ぼくも真夜も絵は下手くそだし、隼人と涼子は下手とは言わないまでも特別なレベルじゃない。
 いや、学年中を見渡しても、圭一郎と同じレベルで絵が描ける子はいなかった。圭一郎は頂点にひとりだけでいて、ポスターや学級新聞の挿絵を描くのも最初から彼だと決まっていた。
 圭一郎が文句も言わずにそれらを描く姿を見て、寂しくないのだろうかとよく思っていた檻の中のオランウータンは、絵を描ける仲間が欲しいんじゃないか、と。
ずみ先輩って、水墨画を描いてるんだ〉
 思いだした。東中に入学したころ、圭一郎は嬉しそうに言っていた。
とう先輩は彫刻が好きで、形の違う彫刻刀を二十本くらい持ってる〉
やまうら先輩はぼくと同じ油絵が好きだけど、全然目指してるものが違う。ベックリンとかマグリットとか、シュールな絵が好きなんだ〉
きく先輩は絵はあまり上手くないんだけど、批評眼がすごい。先輩に絵を見てもらってると、自分でも気づけなかったことに気づけたりする〉
 そうだ。圭一郎は、優秀な先輩がたくさんいると言っていた。部活のことを語る圭一郎の口ぶりは、うきうきとしていて楽しそうで、広い世界に初めて同類を見つけた喜びにあふれていた。
 でも、三年生は夏が終わったら、もう受験に向けて準備をしなければならない。彼は生まれて初めて出会えた群れを、失ってしまったんじゃないだろうか。
 オランウータンの群れを。
「圭一郎は、大助に感謝してたよ」
「なんで?」
「美術はまだ勉強中だけど、向上心がすごいから一緒にいると刺激になるって。まだ手が固まってないから、たまにびっくりするような絵を描いてくるって。先輩しかいないから、同級生がいてくれると嬉しいって」
「だから、何」
「美術部、大丈夫? バラバラになってない?」
 大助は、少し困ったような表情になる。
「去年の圭一郎は、もっと楽しそうだった。尊敬できる先輩がいて、大助もいて、もっとまとまりがあるグループだったよ」
「何の話? 質問をしたいんじゃなかったのか」
「少し、寂しいなと思ってさ」
 真夜からの質問をぶつけるのが最初の目的だったけれど、ぼくは同じくらい、圭一郎のことが気になりだしていた。
「小学生のころ、圭一郎はひとりだった。いい仲間に巡り会えてよかったって、思ってたんだ。それが、どうしてこんなことになっちゃったの?」
 巨象の心が、少し動いたみたいだった。大助は痛みを嚙みしめるような表情を浮かべて、ぼくから目をらす。
「別に、あいつは、あれでいいんだよ」
 突き放すみたいに、大助は言った。
「圭一郎は、ぼくたちを仲間だなんて思ってない。誰もあいつには追いつけないさ。絵を描くためにあんな恰好して学校にこられるやつに、誰がついていける?」
「大助……」
「美術部が気になるんなら、入部すればいい。外側からあれこれ言われたくなんかないよ。伊丹のことが知りたいなら、あいつに聞け。以上」
 深い断絶を感じる言葉だった。
 真夜は何が知りたかったのだろう。美術部の現状を聞けば聞くほど、圭一郎が小学校のときよりも孤立している話ばかり聞こえてくる。圭一郎は部内で孤立して、生徒会とも対立して、わけの判らない奇行に走っている。それを証明したいのだろうか。
「もういいだろ? ぼく、塾があるんだ」
「大助、もうひとつ聞かせてくれ。九月に、美術部から小火が出たって話、本当か?」
 その瞬間、大助の雰囲気が変わった。
 動揺していた一年生たちとは、違う。感情の蛇口を、最後まできっちり締めた音がした。
「何のこと? そんな話、初めて聞いたな」
「とぼけんなよ。生徒会で噂になってるんだよ。圭一郎が煙草を吸ってて小火を出したって」
「さあ、知らないな。どいてくれ、遅刻しちまう」
 大助は立ち上がり、ぼくたちを見下ろす。その圧力に、さすがの隼人もおくしたようだった。大助は苛立ったように足音を立てながら、教室の外に出ていく。穏やかな彼があんな態度を取るところを、初めて見た。
「何かあるな、美術部」
 隼人が、扉のほうを見つめながら言う。
 確かに、何かある。そして、真夜はその何かを、知っているのだろうか。

「これが伊丹の絵だよ」
 石田先生と一緒に、ぼくたちは美術準備室にきていた。
 ──美術部員たちの絵を見せてくれませんか。
 先生に頼んでみたら、いま準備室に何点かあるからおいでと言われて、つれてこられた。教え子たちの絵に興味を持ってもらえたのが嬉しいみたいで、石田先生はにこにこしながら解説をしてくれる。
 圭一郎は、花瓶に挿さった花束の絵を描いていた。ピンクや赤やオレンジの花が、みつにカラフルに描き分けられていて、生きた花束をそのまま閉じ込めたようだ。小学校の時点でめちゃくちゃ上手かったのに、段違いに上達している。偏屈な性格なのに、画風が開放的なのも圭一郎の特徴だ。この鮮やかな絵を、不機嫌そうにパンをかじっていた彼が描くのだから、絵は面白い。
 隼人は顔を近づけ、さり気なく匂いを嗅いだ。「絵の具の匂いがしますね」煙草の匂いは、しないらしい。
 先生は、次々に絵を見せてくれる。
 大助も同じ花の絵を描いていた。圭一郎のものよりもだいぶ下手だけれど、華やかな圭一郎の色使いに比べて、淡色の優しい絵だった。一方で、一年生たちの絵はバラバラだ。学級新聞に描かれた漫画は増田くんの作品、女の子のCGをプリントアウトしたものは肥後くんの作品だろう。
「なんか、まとまりのない部活っすね」
「部員のやりたいことを重んじているからね。みんな、それぞれの表現があっていいでしょう」
 なんとなくいいことを言っているように聞こえるけれど、生徒の活動に興味がなくて、放置しているだけとも聞こえた。実際に石田先生はあまり部活動には干渉していないみたいで、小火の件をそれとなく聞いてみても「そんなことがあったら、自己申告すると思いますけどねえ」とかわされただけだった。
 隼人と目を合わせ、頷きあう。真夜に報告する内容が、固まってきた。
 圭一郎は美術部で、孤立している。
 尊敬していた三年生が抜けて落ち込んでいたところに、それぞれの活動をする一年生が入ってきて、まとまりがなくなった。相方だった大助も、絵については圭一郎と対等に話せる存在じゃない。
 そこで彼は、また檻の中に戻ってしまったんじゃないか。部活動に興味を失って、自分のやりたいようにやりはじめ、ほかの部員との溝は深まった。その結果、小学校のときよりもさらに、檻の奥に潜り込んでしまった。エスキモーの恰好をして学校にくるまでになったし、ストレスをため込んでいるせいか、もしかしたら煙草も吸っている。
 見せられた美術部の作品たちは、てんでバラバラだ。それは圭一郎の引き裂かれた気持ちを、象徴しているみたいだった。
「あとは、これだな」
 石田先生が最後に見せてくれたものは、いままでのどれよりも強烈だった。
 小さなカンバスがナイフで切り刻まれていて、傷の縁がひとつひとつ赤に塗られている。白い肌を滅多刺しにして、あちこちから出血しているみたいに痛々しい。
「なんですか、これ?」
「弓場くんという子の作品だよ。前衛芸術の好きな子でね、実験的なものをよく作ってる」
 今日、昼休みに捕まらなかった最後の一年生のようだ。どうもさらにあくの強い下級生が、美術部にはいるらしい。
「弓場くんは面白くてね、ゴミ捨て場にあるものを拾ってきてさらに壊したり、友達の抜けた歯をもらってきて綺麗にペイントしてみせたり、とても個性的なものを作る」
「そんなもの、部活でやらせていいんですか?」
「部員のやりたいことを重んじているからね」
 ──そんな、無責任な。
 石田先生がもっと美術部をコントロールしてくれたら、圭一郎は普通に部活動ができたかもしれないのに。やりたいことを重んじるといいながら異常な行動を放置している石田先生に、少し嫌な気持ちが湧いてくる。
「噂をすれば──あれが弓場くんだよ」
 石田先生は窓の外、校庭のほうを指差した。
 なんとなくそっちのほうを見る。そこで、ぼくと隼人は同時に声を上げた。
 どこか女子を思わせるような、すらりとしたシルエットの生徒だった。向こうにある校門のほうに歩いていて、顔はよく見えない。
 弓場くんは、和服を着ていた。
 紺一色の着物に身を包んで、草履を履き、歩きづらそうに足を進めていた。
「あいつ、圭一郎と同じじゃんか……」
 隼人と顔を合わせる。
 どういうことだろう。ここまでぴたりとあっていた真夜の予想が、ついに外れた。
 大助や美術部の一年生に言わせると、圭一郎の恰好は、彼がひとりで暴走した結果だという話だった。でも弓場くんの服装は、明らかに圭一郎と同じ種類のものだ。
 声をかける暇もなかった。和服姿の彼は、校門から出ると姿を消してしまった。

#11へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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