遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」#107〈前編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」
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※本記事は連載小説です。
これまでのあらすじ
閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。さらに姜一族の南家・姜竜鳴に面会し、竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことになった。時代は遡り、西楚の覇王・項羽は始皇帝の陵墓に侵入する。
二十四章 青 壺
(三)
四重に囲われた、
金と、ラピスラズリやトルコ石で装飾された蓋を開けると、そこに、飾りたてられた青銅の柩が入っていた。
この柩の蓋には、様々な文様が刻まれていた。
まずは、柩の蓋の右側、そこに、巨大なる神樹が描かれていた。その枝には、それぞれ十羽の
「これは、
扶桑樹というのは、この世界の東の果てに生えている、巨大な神樹である。その枝には、十の太陽が宿り、それを背に負った烏が、東から西へ天を移動してゆくから、日は東から昇り、西へ動いてゆくのだとされている。
「見られよ、この烏、足が三つござりますれば
この、十ある太陽のうち、九つを、弓の名人である
そして、柩の逆の側に描かれているのは、月を思わせる球体であった。その月は、やはり一本の樹の上に大きく描かれていて、その月の中に、兎、
「こちらの樹は、おそらくは月に生えているという
月は、不死と再生の象徴であり、羿の妻であった
そして、その内側の柩は、
金もまた、
その金の柩のさらに内側に、石の柩が安置されていた。
四人がかりで、その蓋をはずして、石の床に落とした。
「おう……」
と、声をあげたのは、
項羽に続いて、中を覗き込んだ者たちが、そこに見たのは奇怪な光景であった。
その石の柩の中は、半分ほどが水銀で満たされていた。
その水銀の中に、人のかたちをした緑色のものが浮いていたのである。
緑色の
ひと目見た時にはそのように見えた。緑色の鱗におおわれた人──しかし、よく見てみれば、そうでないことがわかった。それは、一片がおよそ一寸四方の、
碧玉もまた、不死の象徴である。
さらに、その人物は、顔にも、同じく碧玉の仮面を
本来であれば、そのようなものを身に纏った者は、柩に溜められたものが水であれば、沈んでしまっているところだが、それが水銀であるために、浮いているのである。
揺れる炎の色が、水銀や、碧玉に映って、その人物がゆらゆらと身をゆらしているようにも見える。
「哀れ」
項羽が言った。
「
項羽が、剣を抜き放った。
剣を高く持ちあげ、
「政よ、その
その剣を打ち下ろした。
剣の先が、仮面の額を斜めに断ち割っていた。
割れた仮面が、左右に落ちる。
その下から、半分腐れた、人の顔が現われた。
鼻は崩れて、ふたつの鼻の穴がそれとわかるだけだ。
口は──
唇はほぼ形状としてわからなくなっていて、上下のむき出しになった歯が、半開きになっている。
「この歯のかたち、まさしく始皇帝のもの……」
つぶやいたのは、
「おまえ、始皇帝の顔を知るか?」
項羽が問う。
「生前、何度も、近くでその顔を見た……」
「ほう……」
「始皇帝を殺したのは、このおれじゃ……」
「なに?」
「この男が、何故に死んだかわかるか。この男は、死を恐れるあまりに、死んだのよ。
水鉄、すなわち水銀のことだ。
「このおれが、水鉄を飲むようにすすめたのさ……」
水銀──またの名を
日本国では
この丹を練って作る不死の仙薬が仙丹であり、それを作る技が練丹術である。西洋ならば、錬金術というところだ。
不死の仙薬として、太古より使用されてきたものだが、実は猛毒であり、いかに少量ずつであれ、服用していれば、やがて水銀中毒で死ぬ。
「おまえが──」
項羽が問う。
「おれは、
青壺はそこで言葉をいったん止め、眼をぬぐった。
「……我が子を
「おまえ、青壺と言うたか、何者だ!?」
「何者でも、もうよかろう。ほれ、項羽よ、見よ、ここにある財宝、珍宝の全てはおまえのものぞ。
青壺は、周囲を見回した。
言われるまでもない。
項羽にも、そこにいた誰にも、それはわかっていた。
柩を囲む壁際に、
(後編へつづく)