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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.42

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#106〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

 兵たちが後方にゆくと、青壺は、剣を両手に握って、頭上に持ちあげ、
「むん」
 振り下ろした。
 ごがっ、
 と音をたてて、分厚い扉が斜めに裂けて、一方の側が、けたたましい地響きをあげて、向こうに倒れ込んでいた。
 そこに、水平に伸びる、せんの暗闇が覗いていた。
「行け」
 項羽の言葉に、後方にいた兵士たちが羨門から先へゆこうとすると、
「待て」
 青壺がそれを制した。
「何じゃ」
 范增が青壺を見やった。
「羊を」
 青壺が言うと、三頭の羊を繫いだ縄を握っていた兵士が、青壺のところまで羊をいてきた。
「縄を解け」
 青壺が言った。
 兵士が、羊の首に巻かれていた縄を解く。
「一頭だけでいい」
 青壺は、兵士に命じて、縄を解かれた羊の顔を、羨──つまり墓道の奥へ向けさせると、
「はやあっ……」
 まだ手に持っていた剣の腹で、その尻を叩いた。
 羊が、中羨門から奥に向かって走り出した。
 そこから先は、坂になっており、奥に向かって下っている。
 いくらも走らぬうちに、ひゅん、ひゅん、という何かが風を切る音と、硬いものに、ぎん、ぎんと何かがぶつかる音がした。それと同時に、羊はぎょん、と声をあげて横倒しになった。
「何があった」
 范增が問う。
こうていが、そこの工匠たちに色々と仕掛けさせたものがござりますれば……」
「そうたやすうは、中へは入れさせぬということかよ」
 青壺は、無言で剣を背の鞘にもどし、
「羊が倒れたあそこまでは、無事に行けましょう」
 項羽をうながした。
「ふん」
 項羽が先に立ってゆこうとすると、
「なりませぬ」
 范增がそれを止め、
「たれか」
 声をかけると、近くにいた数名の兵が、項羽の先に立って、松明を手に羨門の奥へと進んでいった。
 その後に、青壺、項羽、范增と続いた。
「これは⁉」
 先に進んだ兵たちが、立ち止まって、倒れている羊を松明で照らし出した。
 後から来た者たちが、それを見た。
 石畳の上に、羊が、身体中から血を流して倒れ、絶命している。その身体の左右に、合わせて十本の矢が深々と突き刺さっていた。
 その周囲には、それに倍する数の矢が落ちて転がっている。
か」
 項羽が言った。
 弩──石弓のことである。
 左右の石の壁を見れば、そこに棚ができるように四角い穴が穿うがたれていて、棚の上に弩が仕掛けられていた。侵入者があれば、入ってきた者に向かって、自動的に、矢が射かけられるようになっているものと思われた。
 そこでまた、
「羊」
 青壺が言った。
 また、一頭の羊を走らせる。
 ひゅん、
 ひゅん、
 ぎん、
 ぎん、
 という、矢の走る音と、その矢が石の壁に当たる音がして、
「ぎょおっ」
 羊の声があがる。
 羊が倒れるのが見えた。

     (二) 

 内羨門の前までたどりつくまでに、三頭の羊全てが、弩によって絶命した。
 松明の灯りに照らされた内羨門の前に、項羽たちは立った。
 内羨門手前の、左右の壁に、へきがんが設けられていた。犬小屋くらいの小部屋で、棚と呼ぶ方が実際のものには近いかもしれない。
 そこに、一体ずつ、二体のようが収められていた。
 内羨門に向かって右側の壁龕に収められた俑は、正座して、その手にせんがいを持ち、左側の壁龕に収められた俑は、やはり座して、墓道を下ってきた者に、ここは通さぬとでも言っているように、両腕を左右に広げ、その右手にはほこを握っていた。
ぐうじんじゃな……」
 それを見た、偉大な教養人である范增がつぶやく。
 貴人の陵の墓道の左右、あるいは東西の壁に設けられた壁龕に居る像が、偶人と呼ばれていることを、この老人は知っているらしい。
 一体ずつ二体、それが偶数であることから偶人と呼ばれているらしい。
「何故、このようなところに、このようなものが置かれているのか」
 項羽が范增に問う。
「わたしが知るのは名ばかりで、何のためかは、わかりませぬ。ただ……」
 范增が口ごもる。
「言え」
もうしようくんと、そのかくであるだいとの間で、次のようなことがあったとは耳にしております──」
 そう前置きをして、范增は語り出した。
 その昔、しんしようおうが、孟嘗君の評判を聞きおよび、ぜひとも一度会いたいと望んで、宰相としてむかえたいと、彼を秦まで呼ぼうとしたというのである。
 孟嘗君は、せいおうの孫で、父のでんえいは斉のせんおうの腹ちがいの弟だ。つまり、秦とは敵対関係にある人物である。
 しかし、昭王は、噂に聞く孟嘗君の人物に惚れ込み、人質まで送って、これを秦へまねこうとしたのである。
 それほどまでに乞われるのなら──
 と出かけようとした孟嘗君を止めたのが、蘇代であった。
「今朝のことですが、こちらにまいります途中、木偶人と土偶人が語り合うておりました」
 と、蘇代は言うのである。
 木偶人が、土偶人に言う。
「雨が降ったら、おまえはたちまちに崩れてかたちも残りはしないだろう」
 すると、土偶人が答えた。
「わたしは、雨に降られても、もとの土にかえるだけだが、きみは流されてどこにいったのかさえわからなくなってしまうだろう」
 蘇代はそう言って、さらに続けた。
「秦は虎狼の如き国にござります。あなたさまは、そこへ出かけようとしている。もしも、お帰りになられぬ時は、あなたは土偶人の笑うところとならずにすみましょうか」
 それで、孟嘗君は、秦にゆくのをとりやめたというのである。
 この逸話は、後に『史記』にも記されることになるのだが、この斉はやがて秦に滅ぼされ、その秦も、今はない。
 范增は言う。
「おそらく、この偶人は、今の故事をふまえ、この内羨門の中へはゆかぬ方がよいと、我らをいましめているのでござりましょう」
 すると、項羽は
「おもしろい」
 からからと笑って、
「試してみよう」
 このように言ったのである。

(つづく)


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