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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.41

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#106〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

これまでのあらすじ

閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。さらに姜一族の南家・姜竜鳴に面会し、竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことになった。

     (一) 承前

 剣先が、触れなかった。
 触れずに、岩を斬った。
 不思議という以上の、奇跡である。
 その奇跡を目の前で見て、こうだけは微塵も揺るがなかった。
 そこにいた全ての者たちが、
「おう」
「なんと」
 声をあげ、どよめいたのに、項羽だけは、腕を組んだまま、開いたばかりの通路を睨んでいた。
 めったなことでは動揺することのないはんぞうですら、
「むう」
 驚きの呻き声をあげた。
 かようのこともあるか──
 項羽は、そういう顔をしている。
 現実主義者である項羽にとっては、眼の前で起こったことは起こったことだ。どのような不思議であれ、奇跡であれ、ある、としてそれを呑み込むのにためらいはない。
「首がつながったな」
 項羽は、短くそう言っただけだ。
 せいが、無言で、剣を背のさやに収めた。
 項羽が、後ろにいる者たちに向かって、小さく顎を横に振ってみせた。
 兵士たちが、
「おう」
「ゆくぞ」
 うなずいて、がいせん門をくぐって先へ進んでゆく。
 その数、五人。
 そのうち三人が、手に火の点いた松明たいまつを握っている。
 ゆるい、石畳の坂が、奥に向かって下っていた。
 左右の壁は、せんと呼ばれる黒い煉瓦を積みあげたものだ。
 そこを、五人の兵士、項羽、青壺、范增、三頭の羊を繫いだ縄を握った兵士の順で下ってゆく。その後ろに、二十人ほどの兵士が続いている。
 松明を持った三人の兵士のうちのふたりは、後ろに続く項羽たちのために、その足元を照らしている。
 後方の兵士も、三人にひとりは火の点いた松明を手にしていた。まだ、火の点けられていない、予備の松明を手にしている者たちもいる。
 しばらく進んだところで、
「おわっ」
 先頭を歩いていた兵士が、声をあげて足を止めた。
 その兵士が手にしていた松明が、大きく揺れた。
「むおっ」
「これは」
 後に続いた兵士たちも、口々に叫び声をあげて、足を止めた。
「どうした」
 項羽の巨体が、兵士たちを押しのけ、前に出た。
 墓道の一番下だった。
 すぐ向こうに、銅板を張りつけた、墓道のけいとほぼ同じ大きさの扉があった。
 その中央に、巨大な銅でできた錠が取りつけられている。
 しかし──
 兵士たちが声をあげたのは、その扉を見たからではなかった。
 その扉の手前に、おびただしい数の、人の屍体が転がっていたからである。
 むっとするような異臭が、そこにわだかまっていた。
工匠たくみだ……」
 青壺が、項羽の横に並んで、つぶやいた。
「工匠?」
 范增が訊く。
「このきゆうの、からくりを作った工人たちだよ」
 その屍体の数、百は下るまいと思われた。
 ある屍体は横たわり、ある屍体は屍体の上に重なり、別の屍体は壁に背を預け、座り込んだまま死んでいる。
 ひからびたがんが、いずれも黒いふたつの穴のようだった。
「そうか、そういうことか──」
 何事か、気づいたように、范增がうなずいた。
「そうだ。この地宮のからくりの秘密を外で洩らさぬように、中羨門と外羨門の間に閉じ込められたのさ」
 言いながら、青壺はしゃがみ込み、手を伸ばして、屍体を持ちあげたり、ひっくり返したりしはじめた。
「何をしている」
 范增が問うたが、青壺は答えない。
 やがて、腰を落とし、屍体を見物していた青壺が立ち上がり、
「やはりな……」
 誰にともなくつぶやいた。
「やはりとは?」
「互いに、ここでくらいあったのだろうよ」
 范增の問いに答えたのは、青壺ではなく、項羽だった。
「みんな、こうなる」
 青壺は立ちあがって、そう言った。
 これが、人の正体だとそこにいる者たちに告げているような言葉だった。
 青壺は背から剣を引き抜き、両手で握ると、
退けい」
 周囲の兵たちに言った。

(後編へつづく)


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