文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:
担当編集者から解説を依頼された。
あらためて、あとがきを読んだ。以前、読んだときには
この小説の解説は、獏さん自身があとがきで雄弁に語っている。そこへ何を付け加えればいいのか?
『ヤマンタカ』は、単行本になる前に、ゲラを送って
第一に、音無しの構えの正体が暴かれていた!
第二に、肩に〝大菩薩峠血風録〟と銘打ちながら、主人公は
ぼくは、この小説の感想を獏さんに送るべきかどうか思い悩み、悩んでいる内に単行本が送られて来て、そうこうするうちに、
そこへ今回の依頼だ。もう逃げられない。ええいままよ。書くしかない。と、ここまで書いて来てふと思い出した。今を去る30年くらい前の話か。獏さんを巻き込んで、映画の企画を考えたことがある。
現代の東京を舞台にした冒険活劇で、「アンカー」というタイトルだけが決まっていた。東京が世界の大都市と違っているのは路地の多い街。そんな大都市は、世界広しといえど東京しか無い。
路地から路地へ。ビルからビルへ逃げ回る主人公。バトンをしかるべき人に手渡せば自分は難から逃れられる。その姿を
主たる舞台は、お
宮さんが獏さんと直接会って、イメージを伝える。いずれも、言葉で話すイメージボードだ。獏さんが
すべてを分かるものに置き換えるのか。あるいは、分からないものをそのままにするのか? 争点はひとつだったと記憶している。宮さんは東京に残る土俗にこだわり、獏さんは論理にこだわった。
夢の企画だった。映画界ではよくある話だが諸般の事情で、残念ながらこの企画はボツになった。
以上、落語で言えば〝枕〟、このあとが解説になる。
獏さんはつくづく不思議な人だ。ご本人と話していると、勘が鋭くて、理屈よりも直感や情緒が先に立つ人のように感じる。しかし、こうして作品を読むと全編に
獏さんと『大菩薩峠』の話をしたのは、ぼくのラジオ「ジブリ汗まみれ」(東京FM)に出ていただいた時のことだった。そこでぼくは、
受身と消極の人生
子供時代に見た一本の映画が、人生に大きな影響を与えることがある。
小学校の3年生頃だったと思う。親父に連れられ、映画館で「大菩薩峠」(
なにしろ、冒頭から恐ろしかった。大菩薩峠で、机龍之助は、いきなり何の罪もない老巡礼を試し斬りにしてしまう。
そして、必殺の〝音無しの構え〟。剣を構えて、相手が動くまで微動だにしない。しかし、相手が斬り込んで来るや、龍之助の剣は
子供ながらに、これはただならない映画だと思った。話は、龍之助の苦悩に満ちた地獄巡りに終始する。しかしなぜか、ぼくは、その魅力に取り
そして、龍之助の生き方が強烈な印象を残した。生きる目的が無く、なりゆきで果てもない旅を続ける。これも、その〝受身〟の剣法に相通じるところがあった。
後に、堀田善衞の解説を読んで納得をした。この受身と消極の姿勢を主調とする剣法をたとえとして見るなら、それは圧制に苦しむ民衆というものの姿であり、そこに、民衆に愛される理由の一端があると。そして、龍之助は世界には珍しい、日本に特異なヒーロー像だとも教えられた。
目的を定めず、目の前のことをこつこつとこなす。それが、いわゆる庶民の生きる知恵だ。ぼくは、そう考えて受身と消極で生きてきた。
その考えと生き方の元になったものが、「大菩薩峠」にはあったのだ。
ぼくの身体の中には、いまだ龍之助の血が流れている。
庶民の生きる知恵。受身と消極で生きるとは、過去を悔やまず、未来を憂えない。今、ここに生きるという意味だ。
そんな話が、獏さんの筆に火を
獣道が続く人間が分け入ったことがない山を、獏さんは登ることに決めた。用意したのは土方歳三だった。土方を対比させることで、机竜之助が際立っていく描写は見事に成功している。
たとえば、土方の隣には
土方はお
音無しの構えとは、どんな剣なのか?
音無しの構えには決まった形が無い。それは序盤から語られている。中盤、
「父上……勘違いでござりましたな。わたしが見切っていたのは、剣の長さでも、間合いでもなかったのですよ……」
だとしたら、机竜之助は何を見切っていたのか? そして、なぜ誰も机竜之助の剣の謎を解き明かせないのか? 土方が机竜之助と向き合ったとき、初めて読者は知ることとなる。
後は、本文のこの箇所をじっくり時間を掛けて読んで欲しい。
獏さんならではの、なるほど、そういうことかという理屈が大展開される。話は抽象的じゃない。全て具体的だ。獏さんの面目躍如。これぞ、格闘小説の真髄に触れた気がした。ぼくは大いに納得した。
ぼくは、その理屈を読みながら、子どもの時に読んだ
相対する敵との間に大きな距離がある。その敵を離れた距離から一瞬で打ち破る。それはこういうことだったと説明されると、なるほどと感心せざるを得なかった。
主人公にあえて土方歳三を配置し、音無しの構えへ真正面から論理という剣で獏さんは挑んだ。「アンカー」がそうだったように、獏さんの書いたものには
獏さんが踏破した山には、道が出来ていた。後に続いて登った読者の一人として、ぼくは合点がいった。
ぼくの大好きな
大菩薩峠を読みて
二十日づき かざす刃は音なしの
虚空も二つと 切りさぐる
その龍之助
風もなき 修羅のさかいを行き惑ひ
すすきすがるる いのじ原
その雲のいろ
日は沈み 鳥は寝ぐらにかへれども
ひとはかへらぬ 修羅の旅
その龍之助
※獏さんは、龍之助を竜之助と表記しました。
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