遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#104〈後編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。
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寝台の上を見ると、そこに、黒い
頭には、冠巾を被り、足には小さな
「
真成は、つい今まで自分が横になっていた寝台まで歩み寄った。
「こちらまで、来ておられたのですか」
「そろそろ、何か起こるころであろうかと思うてな」
「そろそろ?」
「うむ」
と、うなずき、
「真成よ、もう少しで、その胸のもの、奪われるところであったな」
鼠公は、
微笑したらしい。
「先生が、お声がけくださらなければ、奪われていたやもしれません」
「奪われぬでよかった」
「これを奪おうとした、あの猿の如きものは、いったい何だったのです?」
「この世のものでないものたちさ。
「陰態?」
「おまえさんたちの知らぬものさ。まあ、知らぬであたりまえだがね」
「しかし、どうしてこれを……」
真成は、胸にぶらさがっている
「これ?」
「この袋の中のもののことです……」
「宝骨じゃな」
「御存じだったのですか」
「多少はな。おまえさんが、どうしてその宝骨を身につけるようになったのかも見当がつく。もろうたのであろう」
「その通りです」
真成は、
「誰が、それを、おまえさんに渡したのかも想像がつくが、わからぬのは、その目的じゃな」
「目的?」
「うむ」
「教えてください。この宝骨、いったいどういうものなのですか?」
「胡宝のひとつじゃ……」
胡宝のことなら、
胡の国──唐から見て西、つまり西域の国々のことだ。
それらの国々の者たちが、珍宝としてあがめているのを総称して、胡宝と呼んでいるのである。
そういう名の胡宝のことは、今も覚えている。
いずれも、手にすれば、膨大な宝が手に入る品物だ。
「おまえさんが手にしている破山剣も、そういった胡宝のひとつよ」
「しかし、これは、胡の国のものではなく、
「それは、黄帝が、胡宝である破山剣を手に入れて、それを使うたということさ。軒轅剣と名づけたのは、後の世の人間さ。黄帝が名をつけたわけではない。それにな、その今あるかたちをそのまま信じてはならぬぞ。いまでこそ剣の姿はしていても、その実態はまた別のものでもあるということだな──」
言われても、真成には、鼠公の言葉がうまく理解できなかった。
「おまえが胸に下げているその宝骨、今はどのようなかたちをしている?」
「胡の国の金貨と見えますが──」
「それとて、仮の姿でありかたちよ。その実態は誰にも
「この、宝骨には、どのような力があるのでしょう」
「わからぬ……」
鼠公は、首を小さく振って、
「商胡や、胡客たちが集まって、胡宝を見せ合い、売り買いする宝会が十年に一度開かれるが、この数百年、その宝骨が出たことはない」
そう言った。
「さきほどの陰態のものたちですが、どうして、この宝骨を、わたしから奪おうとしたのでしょう」
「さあて──」
「この破山剣で、黄帝は
「わしの知るところでは、その斬った刑天の首を、軒轅がいずこかへ隠したらしい。その時に使われたのが、その宝骨であろうとは噂を耳にしている。しかし、どのようにその宝骨を使ったのかは、知らぬ──」
「そうですか……」
「いずれ、わかる時が来る。その時まで、おまえさんが生きていればだがな──」
「いつ死のうが、自分の命などはどうでもよいと思うていたこともありましたが、できることなら、今、自分の身に何が起こっているのか、これからどうなるのか、生きてそれを知りたいと、今は思うようになりました……」
「ふん……」
鼠公は、ちょっと鼻を鳴らして、
「ともあれ、今夜は、眠っておけ。明日は、さらに色々のことが起きよう。さきほどのようなものたちが入って来ぬよう、窓や、あちこちに結界を張っておいてやろう。しかし、妖異のものたちは、それでいいが……」
「なんでしょう?」
「人は、あの扉から、いつでも好きなように入ってくることができる。真に恐ろしいのは人じゃからなあ。くれぐれも、気をつけることじゃ」
「はい」
頭を下げ、わずかに眼を伏せた。
真成が顔をあげた時には、もう、寝台の上から鼠公の姿は消えていた。
(つづく)