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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.39

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#105〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

これまでのあらすじ

閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。さらに姜一族の南家・姜竜鳴に面会し、竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことになった。

 二十四章 せい

 
阿房宮賦 杜牧

 六王畢
 四海一
 蜀山兀
 阿房出
 覆壓三百餘里
 隔離天日
 驪山北構而西折
 直走咸陽
 二川溶溶
 流入宮牆

 ぼうきゆう ぼく

 六王をはりて
 かい一たり
 しよくざんこつとして
 阿房出づ
 うことさんびやくにして
 天日を
 ざんの北より構へて西に折れ
 ただちにかんようおもむ
 せんようよう
 流れてきゆう しやう

     (一)

 大きな男だった。
 両足を肩幅に開き、岩峰の如き巨軀を支えているのだが、その両足には、男の両肩にかかる天の重さがそのままかかっているようである。
 丈八尺二寸。
 男は、かつちゆうを身につけていたが、その甲冑の間から、その巨軀がはみ出てきそうに見える。
 男の周囲を、何人もの兵士が囲んでいるが、男の肉が発する圧に押されたように、少し距離をおいて立っている。
 男は、腕を組んで、眼の前を睨んでいる。
 無言であった。
 男の眼の前には、幾つもの巨大な岩が積み重なって転がっている。
 手前の岩の下からは、兵士のものと思われる、膝から下の部分にあたる左右の足が見えている。うつぶせに倒れた兵士の上に、その岩が落ちてきたのだろう。そして、その周囲の地面が赤黒く濡れているのは、岩に押し潰された兵士の血のためだ。
 他にも、岩の間から、手や、甲冑の一部が覗いているところを見ると、崩れ落ちてきたと見える岩に押し潰されている兵士の遺体は、ひとつやふたつではないらしい。
「まだか……」
 男は、腕を組んだまま、声を発した。
 静かな声であったが、背後を囲む兵たちの間に緊張が走ったのは、よほどこの男が恐れられているからであろう。
「じきに……」
 と、背後から声がかかった。
 白髪、はくぜんの老人が、男のすぐ背後に立ち、その言葉を発したのである。
 七〇代半ばになるであろうか。
 顔に、皺が深い。
 皺に埋もれたような眼の奥に、針先のような、よく光る瞳があった。
 その老人は、甲冑も、何も身につけてはいなかった。
 剣すらも、腰から下げてはいない。
はんぞうか……」
 男が、後ろも見ずに言う。
「はい」
がいせん門をくぐろうとしただけで、これだ」
こうていは、用心深い人物でござりまする故、な──」
えいせいめ、臆病なだけではないのか──」
 男は、眼前の陵墓に眠る人物の名を口にした。
 組んでいた太い両腕をほどき、
「死してなお、この地中で死をおそれている。あさましきことよ」
 顎を小さくしゃくって、また、崩れた外羨門を睨んだ。
こうおうよ、誰もがあなたさまのようであるわけではありませぬ」
「ふん……」
 范增の言葉に、項王と呼ばれた男、こうは、興味なさそうにまた腕を組んだ。
 すでに、しんはない。
 この男、項羽が、かんちゆうに入って秦の最後の皇帝であるえいを殺してしまったからだ。
 その後、りゆうほうが去った後のかんようで、ほしいままに財宝を略奪した。
 そして、今、始皇帝の陵墓をこじあけようとしているのである。
 始皇帝が、ざんにあるこの陵墓に葬られたのは、四年前である。葬られてから、わずか四年で、始皇帝は、その墓をあばかれようとしているのである。
 しかし、陵墓の入口を閉じている外羨門──吊るし扉を開こうとした時、左右に積みあげられていた、石垣と見えた岩が崩れ落ちてきて、そこにいた兵士たちを押し潰したのである。
 項羽は、財宝そのものには興味がない。
 財宝の価値は、それでどれだけの武器や、食料を買えるかという、それだけだ。
 そして、略奪は、働いた兵や臣下たちへの褒美だと思っている。この略奪を楽しみに、野を駆け、命をかけて、これまで兵たちは血生臭いことを続けてきたのだ。城を落とせば、部下には略奪を許している。
 戦の前、
「恣にれ」
 項羽が、太い声でそう言えば、兵たちは奮い立つ。
 この驪山陵でも、そうするつもりだった。
 それの、どこがいけないのか。
 おれは、おれだ。
 ある論客が次のように言った。
「人は『ひととは猿が冠をつけているのと同じである』と言うが、まことにその通りである」
 その論客を見つけだし、項羽はこの男を釜で煮殺した。
「楚人とは、このおれのことではないか」
 項羽は、このような男を許さなかった。
 始皇帝が、生涯をかけて集めた諸国の宝物が、嬴政の死体と共にここに眠っている。
 おそらく、この陵墓は、始皇帝の人格そのものであろう。

(後編へつづく)


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