遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#105〈前編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。
これまでのあらすじ
閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。さらに姜一族の南家・姜竜鳴に面会し、竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことになった。
二十四章 青 壺
阿房宮賦 杜牧
六王畢
四海一
蜀山兀
阿房出
覆壓三百餘里
隔離天日
驪山北構而西折
直走咸陽
二川溶溶
流入宮牆
六王
阿房出づ
天日を
流れて
(一)
大きな男だった。
両足を肩幅に開き、岩峰の如き巨軀を支えているのだが、その両足には、男の両肩にかかる天の重さがそのままかかっているようである。
丈八尺二寸。
男は、
男の周囲を、何人もの兵士が囲んでいるが、男の肉が発する圧に押されたように、少し距離をおいて立っている。
男は、腕を組んで、眼の前を睨んでいる。
無言であった。
男の眼の前には、幾つもの巨大な岩が積み重なって転がっている。
手前の岩の下からは、兵士のものと思われる、膝から下の部分にあたる左右の足が見えている。うつぶせに倒れた兵士の上に、その岩が落ちてきたのだろう。そして、その周囲の地面が赤黒く濡れているのは、岩に押し潰された兵士の血のためだ。
他にも、岩の間から、手や、甲冑の一部が覗いているところを見ると、崩れ落ちてきたと見える岩に押し潰されている兵士の遺体は、ひとつやふたつではないらしい。
「まだか……」
男は、腕を組んだまま、声を発した。
静かな声であったが、背後を囲む兵たちの間に緊張が走ったのは、よほどこの男が恐れられているからであろう。
「じきに……」
と、背後から声がかかった。
白髪、
七〇代半ばになるであろうか。
顔に、皺が深い。
皺に埋もれたような眼の奥に、針先のような、よく光る瞳があった。
その老人は、甲冑も、何も身につけてはいなかった。
剣すらも、腰から下げてはいない。
「
男が、後ろも見ずに言う。
「はい」
「
「
「
男は、眼前の陵墓に眠る人物の名を口にした。
組んでいた太い両腕をほどき、
「死してなお、この地中で死をおそれている。あさましきことよ」
顎を小さくしゃくって、また、崩れた外羨門を睨んだ。
「
「ふん……」
范增の言葉に、項王と呼ばれた男、
すでに、
この男、項羽が、
その後、
そして、今、始皇帝の陵墓をこじあけようとしているのである。
始皇帝が、
しかし、陵墓の入口を閉じている外羨門──吊るし扉を開こうとした時、左右に積みあげられていた、石垣と見えた岩が崩れ落ちてきて、そこにいた兵士たちを押し潰したのである。
項羽は、財宝そのものには興味がない。
財宝の価値は、それでどれだけの武器や、食料を買えるかという、それだけだ。
そして、略奪は、働いた兵や臣下たちへの褒美だと思っている。この略奪を楽しみに、野を駆け、命をかけて、これまで兵たちは血生臭いことを続けてきたのだ。城を落とせば、部下には略奪を許している。
戦の前、
「恣に
項羽が、太い声でそう言えば、兵たちは奮い立つ。
この驪山陵でも、そうするつもりだった。
それの、どこがいけないのか。
おれは、おれだ。
ある論客が次のように言った。
「人は『
その論客を見つけだし、項羽はこの男を釜で煮殺した。
「楚人とは、このおれのことではないか」
項羽は、このような男を許さなかった。
始皇帝が、生涯をかけて集めた諸国の宝物が、嬴政の死体と共にここに眠っている。
おそらく、この陵墓は、始皇帝の人格そのものであろう。
(後編へつづく)