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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.37

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#104〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

これまでのあらすじ

閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。さらに姜一族の南家・姜竜鳴に面会し、竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことに。

 二十三章 けんえんけん

     (六)

 声が聴こえた。
 小さな、細い声だった。
 すぐにその声に気がついたのは、完全には眠っていなかったからだ。
 寝台の上に横になり、眼を閉じてはいたが、眠らずに考えていたのだ。これまでのことや、昼のことを。
 いったい、自分はここで何をすることになるのか。
 昼に会ったあの女──めい
 明日は、じようようざんに出かけようと、鳴花は言った。
 何かが起きるのなら、その時に起きるであろうとも鳴花は口にした。
 常羊山で、いったい何が起きるというのか。
 昨夜泊まったきようげんめいの屋敷で、今、椿ちんれいはどうしているか。
 椿麗に会いたかった。
 椿麗の声や、肌の温もりを想い出した。
 その、覚えている温もりにすがるように、しんせいは自分の肩に腕をまわし、寝台に横になって両眼を閉じ、これまでのことや、明日のことを考えていたのである。
 そこで、声が聴こえたのである。
「起きよ」
 そういう声であった。
「起きよ、真成、来るぞ」
 来るぞ──
 と、声が言った時には、真成は覚醒していた。
 上体を起こした時には、床から、何者かが跳びかかってきたところだった。
 いったん起こした上体を、真成はその瞬間再び倒していた。
 仰向けになった真成の上を、黒い影が飛びこえていった。
 猿!?
 猿ではないが、猿ほどの大きさの何かだった。
 真成の上を跳びこえる時、そいつは、おそらくは、左右どちらかの手を伸ばしてきて、真成の身体の上の空間をひと撫でしていった。
 その指が、何かに引っかかり、いったんはその何かを摑みかけていたのだが、真成が上体を倒していたため、そいつは、それを指先にほんの一瞬ひっかけただけで、寝台横の壁にぶつかり、ひと呼吸だけその壁にしがみつき、次の瞬間には、たちまち壁をかけ登って、屋根裏に通っている太いはりの上にその身を置いたのである。
 真成は、また、上体を起こした。
 その時には、左手にざんけんさやを握っている。
 そいつの指先に引っかかったのは、真成が胸から下げたほうこつの入った袋の紐であった。
 猿のような影は、あきらかに今、真成の胸にぶら下がっている宝骨をねらったものらしい。
 いったい、何故。
 梁の上から、その猿のようなものが、真成を見下ろしている。
 そのが青く光っている。
 その時、真成は気がついた。
 まだ、いる。
 部屋の隅だ。
 部屋の隅の暗い場所に、やはり、猿くらいの大きさのがうずくまっている。闇よりも濃いわだかまり。
 その頭部には、二本の、角のようなものが生えているのが見てとれた。
 人でないのはもちろん、それは、猿でもないものだ。
 その中心から、一対の碧く光る眸が、真成を見あげている。
 窓は、格子になっており、そこから、夜気と月光が部屋の中まで入り込んでくる。
 その光で、梁の上や、部屋の隅の暗がりにいるたちも、おぼろにその姿が見てとれるのである。
 耳を澄ませば、
 しゅっ、
 しゅっ、
 という、小さな音も聴こえてくる。
 そいつの呼吸音らしかった。
 しゃっ!
 と、鋭い呼気を洩らして、そいつが真成に跳びかかってきた。
 剣を抜く間もなかった。
 宙に浮いたそれを、真成は剣の鞘ではたいた。
 そいつは、声もあげずに壁まで飛んで、そのまま壁にしがみついた。
 しゅっ、
 しゅっ、
 ち、
 ち、
 と、壁と梁から、そいつたちの呼吸音や、さえずるような声が聴こえてくる。
 二匹か、二頭か、彼らの碧い眸としばらく睨みあっていると、
 ふっ、
 ふっ、
 と、彼らの眸の光が消えた。
 眼を閉じたのか、顔のむきをかえたのであろう。
 ほぼ同時に、ふたつの影が動いた。
 真成に襲いかかろうとしたのではなかった。ふたつの影は、窓に向かって動いたのである。
 するり、
 するり、
 と、ふたつの影は格子を抜けて、外へ出ていった。
 窓から差し込んでくる月光が、格子の模様を床に浮きあがらせている。
 その上に立って、真成は、溜めていた息を吐いた。
 何であったのか、いまのは。
 それにしても、が飛びかかってくる寸前で、声をかけてくれたものがいたが、それがなければ──
 真成がそこまで考えた時、
「行ったな……」
 さきほどの、細い、高い声がした。

(後編へつづく)


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