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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.34

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城——⽉の船——」#102〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

     (三)

 真成は、石でできた橋の上に立っている。
 橋の下には、水があり、面に浮いた水草がゆっくりと足元の橋の下に消えてゆくところを見ると、わずかに流れがあるらしい。
 池に立てられた何本もの石の柱の上に、石の板が渡され、そこから、膝を越えるほどの高さまで、飾りの彫られたらんかんがある。
 水面は近かった。
 鳴花は、真成の左横に立って、水面を見つめている真成の横顔を眺めている。
 手を引かれるまま、外へ出た。
 出たところが庭だった。
 中央に池があり、池の周囲は、大小の石で囲われていた。池の対岸には、築山があり、その築山の手前──池との境目に、背の高い岩が、無数に突き出ている。
 庭全体を囲んでいるのは、白い土塀で、その遥か向こう──東の方向に、頂からふたつに裂けた岩山、常羊山じようようざんがそびえているのが見えた。
 夏であり、放っておけば、木の枝も草も伸びっぱなしになるところ、そう見えていないのは、きちんと手が入っているからであろう。
 池の中には、石に彫られた亀があった。
 そして、池の中央には、四本の石の柱を使って立ちあげられた、あずま風の、壁のない堂のようなものが建てられていた。
 反りの大きな瓦屋根が、その上にのっている。
 今、真成と鳴花が立っているのは、その堂へと続く、石の橋の上ということになる。
「あなたが、杜子春の飼っているいぬね」
 鳴花が言った。
「狗?」
 真成が、池から鳴花へ視線を向けなおした。
「我は狗なり。飼うてくれる者あらば、糞も食す……」
 鳴花がつぶやいた言葉の意味が、初め、真成にはわからなかった。
 しかし、それは、ほんのひと呼吸ほどの間だった。
 それは、自分が、胸に掛けていた札に書かれていた言葉だ。自分が書いたものではない。自分を捕えた者が書いた言葉である。
 自分が書いたものではないが、あの時、確かに自分はそのような者であった。
 長安ちようあんの、東市ひがしのいち──
 あれから、どれだけの刻が過ぎたのか。
 一年?
 一年半か。
 二年は過ぎていないだろう。
 それなのに、十年以上も前の、遥か昔のことのように思われた。
 しかし、忘れたことはない。
 思えば、今、この時のように、胸をえぐられるような痛みがある。
 呼吸が苦しくなる。
 しようりん……
 こうぎよく……
 ああ──
 しかし、どうして、そのことを、この女は知っているのか。
「どうして、そんなことを……」
 知っているのか、という言葉を真成は吞み込んだ。
「色々、耳にしているわ」
 誰が言ったのか。
 陳範礼か。
 杜子春か。
 自分を見つめてくる鳴花の紅い唇に、微かに笑みが浮いたように思えた。
「北家では、指南車を見せられたそうね」
「ああ──」
「それで、太公望の鉤を探せと言われたのでしょう」
 真成はうなずく。
「でも、どうやって探すのか、どこへゆけばいいのか、それについては何も言われてはいない……」
 その通りだった。
「この南家でも同じよ。北家で言われたことと、同じことを言われるだけ──」
「何故だ?」
「北家も、南家も、鉤がどこにあるかなんて、わかっていないの。わかっていることや、こちらがあれこれ考えたことをあなたに教えたからって、どうにもなるものじゃないわ。あなたに役目があるとするなら、探すことではなく、この土地をあちこちと動くことよ。昨日は北家、今日は南家、きっと明日あたりはあの常羊山へでも行くことになると思うわ。動いていれば、向こうからあなたをみつけるでしょう」
「向こうから?」
「それは、夢かもしれない。他の人には聴こえない声かもしれない。あるいは、現実的な何か、事件のようなものとしてやってくるのかもしれない。あなたは、それを待てばいいの……」
 そういうことなのか――
「どう?」
 鳴花が、真成の眼を覗き込んでくる。
「もう、何かあった?」
 それならば、心あたりはある。
 北家に入った時に、声を聴いた。
 門をくぐった時だ。
 来た……
 来たぞ……
 という、誰かの喜悦のような声──
 そして、渦門か もんもまた、その声を聴いたらしい。
 さらには、陶友章とうゆうしようの奇妙な死。
 そして、王菲おうひが目撃したという、夜半のできごと──陶友章が、寝床を脱け出し、庭で、幻のごとき踊る人間たちを見たのだという。
“あんたも、あの顔のないやつに、頼まれたのかい……”
 陶友章は、王菲にそんなことを言ったというのである。
 そして、翌日、陳範礼が、陶友章の死体を馬で運んできたのである。
「いいや」
 真成は言った。
 言ったがしかし、鳴花はまだ、真成の顔を覗き込んでいる。
「いいのよ、噓をついても……」
「──」
「噓は、何かが起こるためには、必要なものなの。その噓によって、あらゆるできごとは深みを増して、人はそこから出られなくなるものなの。噓をつけばつくほど、真実はより明確なものになって、いつか、その人に襲いかかって、露わになる。その時は、もうそんなに遠くないでしょう……」
 そこで、ようやく鳴花は、真成の眼を覗き込むことをやめた。
「何故、おれなんだ」
 真成は言った。
 それを、前から訊ねたかった。
 杜子春が、どうしてこの常羊へやってきたのかも、どうして自分が、北家、南家へと連れ出され、太公望の鉤を探すことを命ぜられねばならないのかも──
「あなたでないと、駄目なのよ」
「駄目?」
「いえ、正確に言った方がいいわね。何故、あなたか。それは、あなたが今、その背にざんけんを負っているからよ。あなたが、今、その軒轅剣の所有者だからなの──」
「この破山剣が、どうしたというのだ」
「あなた、その軒轅剣がどういうものか、誰からも聞いてないの?」
「ない」
 そこで、ようやく、鳴花は無言でうなずき、視線を転じて、右手を持ちあげ、人差し指を立てた。
 その指先の示す方向を、真成は見た。
 そこに、ふたつに裂けた岩山、常羊山があった。
「あれよ」
「あれ?」
「あの常羊山が、ふたつに裂けているでしょう」
 その通りだった。
 それは、見ればわかる。
「あの常羊山をふたつに裂いたのは、あなたが背に負っている、その軒轅剣なのよ」
 鳴花は言った。

(つづく)


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