遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城——⽉の船——」#102〈前編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。
これまでのあらすじ
閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。その後、真成は陳範礼に連れられて、姜一族の南家・姜竜鳴に面会する。
(二)承前
しかし、彼らからすれば、そのようには見えるかもしれない。
杜子春の
すると、
北家と南家──どのような関係にあるのか。それは、互いに敵対するものであるのかどうか。
そこまではまだわからないものの、何か微妙なものがあるらしいということは、今の蝶鳴と竜鳴の言葉からも推測できた。
しかし……
真成は陳範礼を見やった。
蝶鳴が口にした言葉について、どのように応答したらよいか、迷ったからである。
その鉤を見つけたら、自分たちに渡せと南家は言っていることになる。さらには、杜子春ではなく、自分たちに飼われたらどうかとも提案してきた。
現在、自分は、あえて言うなら北家側にいる人間である。
その自分に、彼らは、
「北家につかず南家につけ」
と提案してきたことになる。
しかも、北家の側についていると思われる陳範礼の前でだ。
当然、南家の者は、陳範礼が北家の側にいる杜子春の従者であり、兵士であることを充分に知っているはずだ。その上で、今のような言動ができるというのは、存外に、二家はうまくやっているのか、あるいは……
自分は、どこにも飼われてなぞいない――
そう言いたいところであったが、その言葉も、口にできなかった。
それで、真成は、陳範礼を見たのである。
しかし、陳範礼は、真成を
好きにしていい──
陳範礼は、真成にそう言っているようであった。
しかし、いいのか、南家のその言葉に応えても。
それとも、自分は今、何かを試されているのか。
真成が答に迷っていると、
「もう、お着きになっていたのね」
女の声が響いた。
真成は、その声の方に眼をやった。
入口に、胡風の衣装を身につけた、二十七、八歳かと見える女が立っていた。
髪を頭の上に高く結いあげて、そこに
女は、真成に視線を止めてから、竜鳴、蝶鳴にその視線を移し、
「父上、兄上、お客様がお着きになったのなら、すぐにお知らせ下さいな」
そう言いながら、部屋に入ってきた。
「おう、
竜鳴が、その女の名を呼んだ。
ほぼ同時に、蝶鳴が立ちあがり、
「こちらが、陳範礼殿、
その女、鳴花に紹介した。
「わたしの妹、姜鳴花です」
続いて、ふたりにその女を紹介した。
「今、真成殿には、鉤が見つかったら、北家より先に、我らにそれを持ってこぬかと言うておったところだ」
竜鳴が言う。
「ついでに、
蝶鳴が言った。
「聞こえたわ」
女──鳴花は、真成の前に立った。
しげしげと真成を見つめ、
「よい顔をしてるわ」
真成に顔を近づけてきた。
なんという香を使っているのか、よい匂いが真成の鼻に届いてきた。
鼻と鼻が触れ合いそうになった時、鳴花の口から赤い舌が伸びてきて、真成の唇をべろりと舐めていった。
「ふたりの話は、退屈でしょう?」
鳴花の口の中で、今、真成の唇を舐めていったばかりの赤い舌が動く。
「庭へ行きましょう」
鳴花が、真成の手を取った。
真成は、まだ、竜鳴、蝶鳴と会ったばかりだ。
退屈も何も、ここへ来てから、まだどれほどの時間も過ぎてはいない。
真成は、姜竜鳴親子と、陳範礼の顔を見やった。
竜鳴と蝶鳴は、
「かまわんよ」
「鳴花にまかせた方が、ことが早かろう──」
そう言って、うなずいた。
陳範礼は、ふたりの言葉を受けて、無言で顎を引いた。
(後編へつづく)