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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.32

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#101〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

     (二)

 陽差しの中を、馬で出立した。
 陳範礼が、同じく馬に乗って、真成の横に並んでいる。
 真成と陳範礼、ふたりと二頭である。
 門を出てゆく時に、番をする者たちが何人もいたが、とがめだてする者はいなかった。
 南へ向かった。
 せいきように沿って、河を右手にして進んでゆく。
 森はすぐに終って、左右は、一面の綿畑となった。
 前方にも、右手にも左手にも、夏の陽差しの中で、綿畑が広がっている。右手の綿畑の奥に木立ちがあるのは、そこが清姜河の川岸だからであろう。
 ぽつん、ぽつん、と家が立っているのが見えるが、畑に人の姿はない。綿のつぼみがほころびかけて、できた裂け目に白い綿が見えているものもある。
「どこへゆくつもりだ?」
 門を出て、しばらく進んだところで、真成は陳範礼に声をかけた。
 陳範礼は、答えない。
「向こうと言っていたが、それは、昨夜、姜亀鳴が口にしていたあっちということだな──」
「そうだ」
「何なのだ、向こうってのは?」
なんだ」
「南家?」
「今までいたのが、姜一族のほく。これからゆくのが南家」
「なに⁉」
「ゆけばわかる」
 陳範礼は、口数が少ない。
 ぽつんぽつんと見えている家の周囲に、樹が生えていて、そこから蟬の声が届いてくる。
 真成は、背にざんけんを負っている。
 二里半ほどゆくと、急に人家が増え、歩く人影もちらほらと見えるようになった。
 やがて、正面に、土塀が左右に続いているのが見えてきた。
 門があり、乗馬したまま、真成と陳範礼は、そこをくぐった。
 広場と建物。
 中の建物の造りは、北家のそれと似ていた。
 くぐったところで馬を下りると、すでに、周囲を何人かの人間に囲まれていた。
「陳範礼だ。こくの、せい真成を連れてきた。姜りゆうめい殿にとりついでくれ」
 陳範礼が言うと、すでに承知のことらしく、ほとんど何も問われることなく、
「承知」
 と、ひとりの男が答えて、母屋の方へ走った。
 通されたのは、よく手入れがされた庭が見える部屋だった。
 床には石が敷かれ、配置された机や椅子などの調度品も、飾りの彫られたごうしやな作りのものであった。
 椅子に、ふたりの男が座って、真成たちを待っていた。
 六十代後半と見える男と、四十代後半と見える男。
 ふたりの背後には、油断のない光を眼に宿した男たちが、六人立っている。いずれも腰に剣を帯びていた。
「姜竜鳴殿、姜ちようめい殿だ」
 陳範礼が言った。
 六十代後半と見える男が、姜竜鳴、四十代後半と見える男が、姜蝶鳴であると見た。
「井真成、倭人は初めて見るが、顔つきは我らと似ているな……」
 姜竜鳴が、つぶやいた。
「おまえが背に負っているのが、けんえんけんか」
 姜蝶鳴が言う。
「軒轅剣?」
 真成は、眉を寄せた。
「これは、破山剣だ」
「ああ、なるほど、破山剣か。どちらでもよい。千年もあれば、名も変わるであろうよ」
 姜蝶鳴が、気の遠くなるような歳月を口にした。
 今、耳にした“けんえん”が、文字で“軒轅”と書くなら、それは、こうていの名ではないか──
 真成はそう思い、それを問おうとしたのだが、
「おまえ、それを、一度、使つこうてしまったそうだな。もったいないことをした」
 姜竜鳴が、姜蝶鳴の言葉にかぶせるようにそう口にしたため、真成はその問いを発することができなかった。
 唐では、東西南北の方位には、古来、それぞれ色と聖獣の名が与えられている。
 東が、青の青龍である。
 西が、白の白虎である。
 南が、赤の朱雀すざくである。
 北が、黒の玄武である。
 そして、日本国から見れば少し特異であるのが、中央もまた方位のひとつであり、色が決められていることであった。
 中央の色──それが、黄帝の黄色である。
 四頭の聖獣に囲まれて、中央に黄の人が立つ図となる。
 この大陸に最初に生まれたみかどに、黄の色が与えられたのは、そういう理由による。
「倭人よ、おまえ、昨夜、わが祖父の屋敷で、指南車を見せられたと思うが、どう思うた?」
 蝶鳴が問うてきた。
 祖父というのは、あの、昨夜会った、八十代の老人、姜玄鳴のことであろう。
 すると、ここにいる姜蝶鳴は、玄鳴の孫であり、竜鳴は玄鳴の息子であり、蝶鳴の父ということになるのであろう。
 真成は、その思いをみ込んだ。
 今、ここで、あえてそれを口にせずともよかろうと考えたのである。
さとい顔をしているな」
 竜鳴は言った。
「よきつら構えじゃ」
 これは、蝶鳴が口にした。
「で、真成よ、おまえ、向こうで頼まれごとをしたであろう。太公望の鉤を手に入れよと──」
 竜鳴が言う。昨夜のことを、皆知っているらしい。
「ああ」
 真成はうなずく。
「その鉤だが、もしも手に入れたら、我らのところへ持ってこぬか?」
 なんだって?
「鉤だけではない。その、背に負うた、軒轅剣も、我らは欲しい──」
 蝶鳴が言う。
「今、おまえ、杜子春に飼われているそうだが、どうじゃ、倭人よ、ぬし、我らに飼われてみる気はないかえ……」
 姜竜鳴は、下からのぞき込むように、真成を見た。


(つづく)


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