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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.21

【連載小説】生死を賭けた試練に挑む、遣唐使・井真成。死闘ののち、真成は 杜子春らと旅に出た。夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#96〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

これまでのあらすじ

遣唐使の井真成は、閉ざされた城内での殺し合いに参加した。心強い仲間を得て、襲い掛かる銭惟演を打ち破る。かつて城内では人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であった。戦いを生き抜いた十二名を含む四十九名は杜子春という青年と共に旅に出る。一行が立ち寄った屋敷で、真成は太公望の針の探索を命じられる。そして時代は遡る。秦の軍に包囲された邯鄲では飢えた人が人を喰らっていた。極限状態に陥った男と女は……。

  二十章 太公望の針

     (二)承前

 寝ているおれを殺して、肉を食うつもりなのだ。
 あの美しかった女の顔が、飢えのため、ゆがんで餓鬼がきのように見えた。
「ひもじや、ひもじや……」
 女が、低い声でつぶやいているのである。
 おれは、寝台から身を起こした。
「おれを、食うつもりか――」
 おれが言うと、女は、
「きいいいいっ!」
 声をあげて、襲いかかってきた。
 おれは、寝台の上に立ちあがって、身をかわし、寝台から飛び降りた。
「いききききっ!」
 女が、おれに向かって包丁を突き出してくる。
 狂っていた。
 刃をなんとかかわして、包丁を持った女の右手の手首を左手でつかみ、包丁を右手でむしりとって、そのまま包丁を握った。
 いくら、ものを食ってないとはいえ、それは女も同じだ。力はおれの方が強い。
 盧生ろせいは、女の身体からだを左腕で背後から抱え、包丁の先を、女の顔の前に突き出した。
「なんてことしやがる!」
 盧生は、背後から、女の耳に向かって叫んでいた。
「ひもじうて、ひもじうて……」
 女は、いていた。
「人の肉が、食いとうて、食いとうて――」
 涙を流して慟哭どう こくした。
「腹なら、おれだって減っている。へそと背中がくっついちまいそうだよ」
 盧生は言った。
「こうなったら、おれがあんたをってやろうか」
 そう言いながら、背後から女の身体を抱えているうちに、ふいに、欲望がこみあげてきた。
 女の髪の匂い。
 女の汗の匂い。
 普段であれば、欲情とは結びつき難いにおいである。はっきり言えば、不快な臭いだ。しかし、ずっと水も浴びてないその女の身体の匂いが、どこかなまめかしかった。
 盧生の身体の一部が、大きく硬くなって、もちあがってきた。
 そこで、盧生は、包丁を床に放り投げて、女を寝台の上に押し倒し、その痩せた身体を貪った。
 一度果てても、二度果てても、まだおさまらずに、三度、抱いた。
 終ったあと、女と並んで、寝台の上に仰向あおむけになったまま、盧生は暗い天井を見あげていた。
 欲望を吐き出してしまったら、放心したようになった。
 残っていた体力、生きたいという気持ち、そういうものの何もかもが、精と一緒に体外へ根こそぎ放たれてしまったような気がした。
 残っていたのは、女に対する不可思議な愛情のようなものだった。
 この女のために、死んでやるか……
 そのような思いもある。
 どうせ、死ぬのだ。
 生きながらえたとて、もう、二日か三日であろう。
 進士の試験には落ち、もう、天下に対する望みはない。
 妙な、縁とは言えぬような縁でこうなってしまったが、前にも増して、女がいとおしくなった。自分を食うために殺そうとしてやってきたこの女が、なんだかたまらなく愛おしくなった。よく考えたら、喰うために、子供をさらってくるという仕事にも、妙な充実感があったのではないか。
 それは、この女のためにやっているという思いがあったからに違いない。
「おい……」
 と、盧生は、女に声をかけた。
「喰われてやろうか……」

(後編へつづく)


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