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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.22

【連載小説】生死を賭けた試練に挑む、遣唐使・井真成。死闘ののち、真成は 杜子春らと旅に出た。夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#96〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

     (三)

 食いものは、子供も、犬も、猫も、手に入らなかった。
 建物の壁に手をあて、身体を支えながら、盧生は、壺中天こちゆうてんへの道を歩いている。
 もしかしたら、途中で倒れてしまうかもしれないが、なんとか、壺中天までは、たどりつけるだろう。
 しかし、たどりついたら、もう、外に出ることはできないだろう。
 動けぬまま、そこで死を待つことになる。
 ならば、女に喰われてやろう。
 盧生は、そう思いながら、歩いている。
 二日前の晩、床に落ちていた包丁を拾って、女の手に握らせ、
「これで、おれの喉を裂け」
 盧生はそう言った。
「それで、おれの肉を喰えばいい」
 しかし、女は、包丁を取り落とした。
 どうした?
 おれを殺さないのか?
 そう問う盧生をそこに残したまま、無言で女は部屋を出ていった。
 翌日、食い物を探しに、盧生は出ていったが、何も手に入れることができずにもどってきた。
 そして、今日も――
 やっと、昼近くになって、包丁を持って外に出たのだが、食い物は見つからず、今、夕刻近くになって、壺中天に帰ろうとしているところだった。
 もどったら、死のう――
 盧生はそう思っていた。
 死のう。
 女に、おれを殺して食えと言っても、それだけの体力が女にあるかどうか。
 それなら、自分で死ねばいい。
 自分で、自分のくびを切って死ぬのだ。
 女の前で――
 それならば、女も、自分を喰うだろう。
 誰の役にも立たずにこれまで生きてきた。
 生きてきたそのことのどんづまりで、子供を何人か殺して食った。
 それしかなかった。
 しかし、もういい。
 あの女のために死ぬのだ。
 たん……
 あの子供のことも、今は、可愛い。
 あの、簞のためにも死のう。
 女と簞のための食い物になってやろう。おれの人生はそれでいい。
 そのためには、なんとしても、生きて壺中天まで帰らねばならない。
 たとえ、おれの肉を食っても、女と簞が、このあとどこまで生きのびることができるかはわからないが、ふたりに食われる――それが、この世に生まれてきた自分の役目のような気がした。
 暗くなる頃、うようにして、壺中天にもどることができた。
 建物の中は、外よりさらに暗かった。
 おい、もどったよ……
 そう言ったつもりだった。
 しかし、言ったつもりなだけで、声など出ていなかったのかもしれない。
 ふらふらと、建物の壁を伝って移動する。
 おい……
 しかし、女から声がかからない。
 あかりくらいは、もういていてもいい頃あいなのだが、それもともされていない。
 厨房ちゆうぼうの方に、人の気配があった。
 なんだ、いたのか。
 厨房へ入っていくと、ぷうん、と匂ってきたのは、血の臭いだった。
 なあんだ――
 盧生はそう思った。
 どこかで、肉を手に入れたのか。
 どこで、どうやって手に入れたのかはわからないが、女は、その肉を、今、調理しようとしているのだな。
 厨房の暗がりの中に、女がいた。
 暗がりの中で、前かがみになっている女がいた。
 両手で、何かを摑み、それに顔を伏せている。
 歯が、何かをむ音がする。
 くちゃくちゃという湿った音だ。
 なんだ、もう、食っているのか。
 調理をする前に、我慢ができず、生のまま口に入れてしまったのか。
「ひい……」
 かすかな声がする。
 女の声だ。
「ひい……」
「ひいいい……」
 女は、生の肉を食べながら笑っているのか、あるいは……
「おい……」
 盧生が声をかける。
 女は、気がつかない。
 手にしたものを、食い続けている。
 歩み寄って、
「おい……」
 盧生は声をかけて、女の肩に手をあてた。
 女が、ふり向いた。
 口のまわりが血だらけだった。
 女は、にいっと笑った。
 その歯に、血がからんでいる。
 そして、女の両のれていた。
 女は、泣いていたのである。
 女は、細い声で、慟哭しながら、その肉を食べていたのである。
 女が、前かがみになっていた台の上に、何かが横たわっていた。
 人だ。
 それも子供だ。
 まさか!?
 盧生の背に、戦慄が走り抜けた。
 台の上に横たわっていたのは、仰向けになった簞の屍体したいだった。
「まさか、あんた……」
 こらえきれずに、待ちきれず、簞を殺して、今、その肉を食っているのか!?
「ひいいいいいっ」
 女が、声をあげた。

     (四)

 許さない――
 盧生はそう思った。
 何を許さないのか、誰をどう許さないのか。
 それは、自分か。
 女か。
 それとも、しんか。
 この邯鄲かんたんを、こんなにした、秦を許さないのか。
 そんなことは、盧生には、わかっていない。
 ただ、
〝許さない〟
 それだけを、背骨の芯まで、盧生は刻んだのである。

(つづく)


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