遣唐使・井真成は太公望の鉤を探す任務を言い渡される。 真成一行に魔の手が忍び寄る! 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#98〈前編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。
これまでのあらすじ
遣唐使の井真成は、閉ざされた城内での殺し合いに参加した。心強い仲間を得て、襲い掛かる銭惟演を打ち破る。かつてこの城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられる。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った屋敷で、真成はひとり呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。その翌朝、旅を共にする陶友章が姿を消していた。
二十一章 指南車
(二)承前
「ああ、聴いたよ」
この屋敷の門をくぐった時、
くくくくくっ……
きききききっ……
という笑い声のようなものを耳にしたのだ。
来た……
来たぞ……
待ったぞ……
百年?
五百年……
千年!
ついに……
ついに……
そのような声だ。
誰か独りの
自分だけに聴こえた声だ。
横にいた
昨夜、寝床の中でも、同様の声を耳にした。
忍び笑うような声と、
おるわ……
我らの仲間も、きゃつらの中におる……
そういう声だ。
きゃつら――というのは、我々のことだろう。我々の一行の中に、笑い声を発していたものたちの仲間がいるということであろうか。
その声のことを、これまで、真成は誰にもしゃべっていない。もしかしたら、あるいは自分の気のせい、幻聴のようなものであるのかもしれないとの思いがあったからだ。
しかし――
渦門までが、同様の声を耳にしたというのなら、それは、幻聴ではない。
この屋敷、もしくはこの土地に、
「あれは、何だ?」
真成は渦門に問うた。
「まだわからぬ」
「まだ?」
「いずれはわかるであろうが、今はまだわからぬということだ」
「いつわかる?」
「いずれだ」
渦門、得体の知れぬ老人であった。
常人にはできぬ、不思議な術を操り、ここにきてなお、
その見当がつかない。
「あの声だが、昨夜も耳にした」
「ほう……」
「眠る寸前に聴こえて、すぐに聴こえなくなった」
「何と言うていた」
「おれたちの中に、自分たちの仲間がいると……」
「仲間?」
「そう言っていた。何のことかわかるか?」
渦門は、ほんの少し、考えるように沈黙し、
「それもいずれ、な……」
声を低くしてつぶやいた。
「渦門、あんた、何者なんだ。どうして、こんな企てに参加することになったんだ」
真成は、疑問に思っていたことについて、
渦門は、その問いについては答えずに、
「ところで、真成よ、昨夜、
逆に問うてきた。
「たいしたことじゃない」
真成は答えなかった。
昨夜のことについては、もどってきてからも、何があったかを、誰にも言っていない。
まだ、それは、言うべきことではないであろうと判断したからだ。
椿麗も、
渦門にも、そのことが伝わったらしい。
それ以上訊ねてくることをせず、
「では、真成よ、ぬしは、この土地がどういう土地であるか、知っているのか?」
話題を変えた。
「この土地?」
「この
「知らん。どういう土地なのだ」
「この土地は、
「なんだと!?」
真成は、驚いた。
神農、それは、この中華の始まりの
そのくらいはわかる。
日本国にあった時に、この唐の国の始まりのことについては学んでいる。この国に渡ってきてからも、
そうか、あの炎帝――神農が、若き頃暮らしたというのが、この土地か。
本当に?
が――
「それが、いったい何だと……」
そこまで真成が口にした時――
背後が急に、騒がしくなった。
「
「どうした、死んでいるのか」
そういう声が響いてきたのだ。
渦門は、背後に首を向けて、
「どうやら、この話の続きは、後にした方がよさそうだな……」
そうつぶやいた。
(後編へつづく)