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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.25

遣唐使・井真成は太公望の鉤を探す任務を言い渡される。 真成一行に魔の手が忍び寄る! 夢枕獏「蠱毒の城――⽉の船――」#98〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

これまでのあらすじ

遣唐使の井真成は、閉ざされた城内での殺し合いに参加した。心強い仲間を得て、襲い掛かる銭惟演を打ち破る。かつてこの城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられる。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った屋敷で、真成はひとり呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を探すよう命じられる。その翌朝、旅を共にする陶友章が姿を消していた。

  二十一章 指南車

     (二)承前

「ああ、聴いたよ」
 渦門かもんがうなずく。
 真成しんせいは、昨日のことを思い出す。
 この屋敷の門をくぐった時、
 くくくくくっ……
 きききききっ……
 という笑い声のようなものを耳にしたのだ。
 来た……
 来たぞ……
 待ったぞ……
 百年?
 五百年……
 千年!
 ついに……
 ついに……
 そのような声だ。
 誰か独りのささやくような声にも聴こえ、何人かが会話する声のようにも聴こえた。
 自分だけに聴こえた声だ。
 横にいた椿麗ちんれいは、その声に気づいているようには思えなかった。他の者たちにも、その声は聴こえてはいないようだった。
 昨夜、寝床の中でも、同様の声を耳にした。
 忍び笑うような声と、
 おるわ……
 我らの仲間も、きゃつらの中におる……
 そういう声だ。
 きゃつら――というのは、我々のことだろう。我々の一行の中に、笑い声を発していたものたちの仲間がいるということであろうか。
 その声のことを、これまで、真成は誰にもしゃべっていない。もしかしたら、あるいは自分の気のせい、幻聴のようなものであるのかもしれないとの思いがあったからだ。
 しかし――
 渦門までが、同様の声を耳にしたというのなら、それは、幻聴ではない。
 この屋敷、もしくはこの土地に、に見えぬ何者かがいて、我々のことをどこからか眺めているというのか。
「あれは、何だ?」
 真成は渦門に問うた。
「まだわからぬ」
「まだ?」
「いずれはわかるであろうが、今はまだわからぬということだ」
「いつわかる?」
「いずれだ」
 渦門、得体の知れぬ老人であった。
 常人にはできぬ、不思議な術を操り、ここにきてなお、かねのことも、自分の命のことも口にしない。自分たちや、他の参加者とは、異なる雰囲気をその身にまとっている。そもそも、渦門はどうして、このような剣吞けんのんな企てに参加するようになったのか。そして、どうやって、あの皇城で生きのびたのか。
 その見当がつかない。
「あの声だが、昨夜も耳にした」
「ほう……」
「眠る寸前に聴こえて、すぐに聴こえなくなった」
「何と言うていた」
「おれたちの中に、自分たちの仲間がいると……」
「仲間?」
「そう言っていた。何のことかわかるか?」
 渦門は、ほんの少し、考えるように沈黙し、
「それもいずれ、な……」
 声を低くしてつぶやいた。
「渦門、あんた、何者なんだ。どうして、こんな企てに参加することになったんだ」
 真成は、疑問に思っていたことについて、たずねた。
 渦門は、その問いについては答えずに、
「ところで、真成よ、昨夜、ちん範礼はんれいに呼び出されて、出かけていたようだが、あれは何だったのだ」
 逆に問うてきた。
「たいしたことじゃない」
 真成は答えなかった。
 昨夜のことについては、もどってきてからも、何があったかを、誰にも言っていない。
 こううんちようが訊ねてきたが、あえて、そのことについては答えなかった。
 まだ、それは、言うべきことではないであろうと判断したからだ。
 椿麗も、もう天籟てんらいも、夢蘭ぼうらんも、その場にはいたのだが、真成が何も答えようとしないのを知って、それ以上訊ねてはこなかった。
 渦門にも、そのことが伝わったらしい。
 それ以上訊ねてくることをせず、
「では、真成よ、ぬしは、この土地がどういう土地であるか、知っているのか?」
 話題を変えた。
「この土地?」
「この宝鶏ほうけい――つまり常羊じようようの地のことよ」
「知らん。どういう土地なのだ」
「この土地は、炎帝えんてい――神農しんのうが、若き頃を過ごした地ぞ――」
「なんだと!?」
 真成は、驚いた。
 神農、それは、この中華の始まりのみかどの名であったからである。
 そのくらいはわかる。
 日本国にあった時に、この唐の国の始まりのことについては学んでいる。この国に渡ってきてからも、仲麻呂なかまろらと共に長安で学んだ。司馬しばせんの『史記』にもその名は記されている。
 そうか、あの炎帝――神農が、若き頃暮らしたというのが、この土地か。
 本当に?
 が――
「それが、いったい何だと……」
 そこまで真成が口にした時――
 背後が急に、騒がしくなった。
とう友章ゆうしようが、もどったぞ」
「どうした、死んでいるのか」
 そういう声が響いてきたのだ。
 渦門は、背後に首を向けて、
「どうやら、この話の続きは、後にした方がよさそうだな……」
 そうつぶやいた。

(後編へつづく)


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