担当編集者は〇〇を語る第2回~『夜汐』誕生の舞台裏
担当編集者は○○を語る
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著者の次に、本のそばにいるのは、担当編集者。
著者の次に、本に思い入れを持っているのも、きっと担当編集者。
――そんな熱い思いを存分に語ってもらいましょう。
作家は、いかにして70年代の台湾から幕末の京・江戸へと駆け抜けたのか?
編集担当M(「小説 野性時代」での連載「夜汐」を担当)
編集担当K(『夜汐』書籍化を担当)
編集者Y(歴史時代小説に強いベテラン編集者)
写真と構成:編集部
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“正しい”歴史時代小説なんてない
――1970年代の台湾を舞台にした『流』で直木賞を受賞した東山彰良さんですが、なぜ今回初めて歴史時代小説、しかも幕末を舞台にすることになったのでしょうか?
編集担当M(「小説 野性時代」での連載「夜汐」を担当、以下M):東山さんの方から歴史時代モノに挑戦したいと、ご提案いただいたのがきっかけです。
編集担当K(『夜汐』書籍化を担当、以下K):その時には新選組という名前は出なかったのですが、「崩壊する組織の、最後の煌めきを描きたい」と仰っていましたよね。それで、編集部からいくつか東山さんが考えるコンセプトに合致しそうなものネタをプレゼンしたんです。そのなかのひとつに新選組がありました。
M:東山さんはプロットを綿密に立ててから書きはじめるタイプではないので、初めての歴史時代小説がどんな作品になるのかは、初稿を読むまではまったく分からなかったです。不安が全くなかったといえば嘘になりますが(笑)、そこはもう『流』以後の活躍を見れば分かるように、いま日本で最も素晴らしい書き手のひとりですから、我々はただ楽しみに待っていたという感じです。
――第一稿を読んだ時の感想は?
K:たしか、全体の五分の一くらいの原稿をいただいたと思いますが、いやもうそれはすごかった。「小説 野性時代」に掲載される前の、東山さん曰く、「とりあえずの初稿」ということだったのですが、本当に初挑戦なのだろうかと驚きましたね。面白かった。
M:一方で、これまでの作品と比べて書き振りが窮屈なのかなとは思ったんです。着慣れない服を着ているというか、ひとつひとつの言葉の選び方にどこか迷いみたいなものがあるのかなと。
K:その点、東山さんからも、「初めてのことなので、可能ならば本原稿の前に歴史時代モノに詳しい人からも意見がほしい」とお願いされていましたよね。
M:そこで白羽の矢が立ったのがベテラン編集者のYさんでした。
――その後、雑誌掲載までにはどんなやり取りがあったのでしょうか?
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M:まず、三人で徹底的に読みこんで、どういう方向性で原稿整理をすればよいのかを話し合いました。
K:それぞれにエンピツを入れあって、ひとつにまとめるという作業です。
M:共通の意見としてあがったのが、「歴史時代小説としてのエクリチュール(言い回し、言葉遣い)をどうするのか」という点でした。
編集者Y(歴史時代小説に強いベテラン編集者、以下Y):具体的には、現代的な言葉遣いをどれくらい許容するのか、ということですね。幕末当時の言葉遣いだけで小説を書くことはほぼ不可能ですから、現代語と古語とのバランスをどうするのか、これは作家それぞれの感性や作風でもありますから決まりはないんですが。
――『夜汐』ではどんな方向性にしたのでしょうか?
M:地の文と会話文とで、エクリチュールの使い分けに強弱をつけました。これはYさんからのアドバイスが大きかったです。
Y:会話文は割と厳格に、地の文は割と自由にということですね。これは、現代小説も歴史時代小説も書く、ある大家の方が仰っていたのですが、「台詞のなかに一か所でも不自然な現代語が入ると、途端に読者が白けてしまうことがある」と。
M:東山さんにもそういう方針で原稿整理をしたいのですが、とすぐに相談に伺いました。ただ一方で、それによって東山節を殺ぎたくはなかったので、東山さんにはとにかく「まずは自由に、思うように書いて下さい。言葉遣いで(当時あったかどうか)怪しいところは、可能な限りこちらで調べますので。その上で、納得できる言い回しのみ改稿してください」とお願いしましたね。たとえば、「彼」「彼女」という指示代名詞。東山さんはもともと海外文学に強い影響を受けていることもあって、普通の作家さんよりも使用頻度が多いのですが、今回は原則使用しませんでした。
Y:もちろん、たとえば山本周五郎なんかは「彼」「彼女」を多用しているように、歴史時代モノの言葉遣いに決まりごとはないのですが。
K:ひとつひとつひっかかる言葉は吟味し、『夜汐』に合った文体を探しながら書き進めていただいたという感じです。
――当時、その言葉があったかどうかはどうやって調べたのでしょうか?
M:「日本国語大辞典」(小学館)という全14巻に及ぶ素晴らしい辞書がありまして(笑)。現在我々が普段使っている言葉の初出年が分かる画期的な辞書なのですが、それでひとつひとつ調べていきました。
K:気になった言葉は全部ピックアップしたうえで、文久3年(1863年)にあったか否か、○×をエクセルの表にまとめてゲラと一緒にお渡ししていましたよね。
M:たとえば、「殺し屋」という言葉。これは驚いたことに、日本国語大辞典によれば、初めて使われたのは1960年の星新一さんのショートショートだそうなんです。
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――案外、新しいんですね。あ、でも作中には頻繁に使用してませんか?
Y:そう。×だからと言って、一律に使用してはいけないなんてことはないんですよ。池波正太郎は、「殺し屋」の代わりに「仕置人」という言葉を使っていますが、宮部みゆきさんは『ぼんくら』という作品の中で「殺し屋」という言葉を使っている。
M:では『夜汐』では? と調べたうえで、あくまで作品の世界観を壊さないかどうか吟味したんです。そういう言葉が、いま数えたら、全部で200語も!
K:作家によってはそれ、嫌がらせだと思われても仕方ないですよ(笑)。東山さんが寛大な方で良かったですね。
M:ほんと(笑)。ただ、東山さんのことを改めてすごいと思ったのは、そういう編集部の細かい指摘をどんどん自分のものにしていくということなんですよね。
K:たしかに、さっき言った雑誌掲載前の第一稿にはエンピツもたくさん入っていましたけど、連載後半はもうほとんどなかった。こちらが入れたくても入れられないくらい、どんどん歴史時代小説としてのクオリティーも高くなっていって驚かされました。
Y:東山さんはそういう指摘に謙虚で真摯なんだと思いますよ。「なんだよ、そんなおかしな指摘入れやがって!」って一蹴するのも、作家の姿勢として、それはそれでアリだとは思いますが、歴史時代モノの言い回しって、実はひとつひとつ丁寧に考えれば、より自然な言い回しにできるということは多いんですよ。たとえば、雇い主から殺し屋に対して「ひとり片付けるのに、いやに時間がかかるじゃねえか」という台詞があるとしますよね。そのとき、あれ? 「時間がかかる」なんて当時の人たちが使うか? と一度立ち止まって考えるかどうか。しばらく考えれば、「手間取るじゃねえか」の方がより自然な言い方だと気付ける。それはある種、その時代の気分に浸かることなのかもしれないけれど。
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谷崎潤一郎が説く、日本人に“近い”言葉
M:実はこの連載中、たまたま谷崎潤一郎の「文章読本」(新潮文庫版収録)を読む機会があったのですが、谷崎が説く文章術のなかにこういう一節があるんです。「なるべく昔から使い馴れた古語を選ぶこと」。
K:どういうことですか?
M:例えば、「組織」なら「仕組み」「仕掛け」のように、なるべく馴染みのある日本古来の言葉を使いなさい、と谷崎は言っているんですね。私も初めはなんでそんなことに気を配らなければならないのかよく分からなかったのですが、さっき言ったみたいに、言葉の初出をいくつも調べていくうちにハッとする瞬間があった。というのは、「この言葉、(文久3年にあったかどうか)怪しいな」と思い、実際に調べたらなかった、というものの多くは外来語や熟語なんですね。いまでこそ、「自然」や「時間」、「説明」のような外来語や熟語に慣れ親しんで、なんの違和感もなく日常語として使っているけれど、そうした新語が爆発的に増えたのは明治になってからなんじゃないかなと。谷崎の「文章読本」が刊行されたのは昭和に入ってからなのですが、言っていることがすごく腑に落ちた。今でいえば、「スキーム」とか「コンセンサス」「エビデンス」みたいな横文字ばっかり使うなよ、ということだったと思うんです。
K:だから逆に、そういう新語をひとつひとつ吟味して古語に置き換えていくことで、幕末らしさが小説から立ち昇っている、と。
Y:実際、歴史時代モノとして違和感なく、すんなり読み進める読者は多いと思いますよ。長いこと、歴史読み物の編集に携わってきましたが、『夜汐』には違和感ないもの。
K:実は、当時の語彙を使用することばかりに気を取られすぎると、東山さんの“らしさ”が殺がれてしまうのではないかと、当初は不安になることもあったんです。ただ、今回の作品は幕末から明治への時代の変化も大きなテーマとなっていて、実際に最後は明治に話が飛ぶのですが、明治パートは見事なまでに文体が変化していて、逆に外来語や熟語が溢れるように出てきているんですよ。文体でも時代の区切りが見えたというか……。かなりマニアックな楽しみ方ですが(笑)。
M:『夜汐』を読んでくれた方からよく、「体温や匂いを感じる小説」だと言われるんですね。もしかすると、そういう古語って、僕たち日本人に“近い”言葉なのかもしれないですね。翻訳というフィルターを通していないぶん。「彼」じゃなくて「野郎」とか「あいつ」なんて、明らかに発話者の実感がこもっていますからね。
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ベテラン編集者も太鼓判! 全く新しい歴史時代小説
――校正的な観点からは少し離れますが、Yさんは『夜汐』を読者としてどう読みましたか?
Y:まず、幕末の空気感を摑まえるのが上手ですよね。とても初挑戦とは思えない。あとは、沖田総司のキャラクターも秀逸ですね。ご本人が意図されたかは分かりませんが、私は司馬遼太郎の『新選組血風録』(角川文庫)の流れを汲んでいるように思いました。沖田の無邪気な感じというか。東山さんはそこに狂気を潜ませていて、さらに奥行きを持たせている。それから、シーンの描き方が斬新です。かなり前半の部分で、亀吉が夜汐に斬られる場面があるんです。それを亀吉の視点で、「不意に空が傾き、崩れ落ちた」と描写している。他の歴史時代作家には描けない表現だと思いますよ。どことなく、黒澤明の映画『用心棒』のような乾いた空気感もあってすごく良いですよね。
M:『用心棒』! その指摘は新しいですね。
K:でも、東山さんはインタビューでも西部劇の影響を受けていると仰っていますから、確かに近しいものがあるのかもしれない。たとえば西部劇の『荒野の用心棒』は『用心棒』から強い影響を受けていますし。
Y:歴史時代小説としては独特の世界観ですよね。逆に、東山さんは葉室麟さんのような史実と史実の隙間を埋めるようなものは書けないのかもしれないですけど。以前、葉室さんも東山さんとの対談で、「東山さんには東山さんにしか書けない世界観がある」と仰っていましたが、本当にその通り。理屈で書く人が多い傾向にあるジャンルなのですが、『夜汐』は、それこそ名もなき庶民の感覚に近いというか、新しいスタイルの歴史時代小説と言っていい。私の太鼓判です!
続く歴史時代モノにも期待
――東山さんはこれからもこのジャンルを書き続けるのでしょうか?
K:直接、ご本人に訊いていただくのが一番だと思いますが(笑)。ただ、この一作だけというのはいかにももったいないですよね。
Y:あ、夜汐ってよく考えると幕末だけにいたとは限らないんじゃないの? 『夜汐』を読んだ方は分かると思うけど、他の時代にいたっていい。
K:江戸初期でも、明治でも? なるほど、それは想像が膨らみますね。ん? Mさん、どうしたんですか? なにか言いたそうですが。
M:いや実は、今月発売の「小説 野性時代」2月号に、『夜汐』のスピンオフ短篇が掲載されています。
K・Y: おぉ!!
M:江戸時代の一揆を題材にした短篇で、タイトルは「いぬ」。もちろん、夜汐も出てきます。
K:それは楽しみ!
Y:これからも東山さんには歴史時代小説を書き続けてほしいですね。
>>東山彰良『夜汐』
▼『夜汐』関連記事
・試し読み(「野性時代」2017年12月号より)
https://kadobun.jp/readings/103/feae0e8c
・東山彰良さんインタビュー
https://kadobun.jp/interview/139/2a5381a0(「本の旅人」2018年12月号より)
・東山彰良×葉室麟 / 対談
https://kadobun.jp/talks/87/eaedce6a(「小説 野性時代」2017年12月号より)
・レビュー1「幕末の過酷な運命と命を操る謎の殺し屋」
https://kadobun.jp/reviews/543/6a6d2beb(「本の旅人」2018年12月号より)
・レビュー2「死をもたらす美しき悪魔VS愛する女を救いに走る男。ページを繰る指先が熱を持つ読書体験を貴方に」
https://kadobun.jp/reviews/558/e7eae9e9
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