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試し読み

【新連載試し読み】東山彰良『夜汐』

11月13日発売の「小説 野性時代」12月号では、冲方丁、高杉良、東山彰良、本多孝好の4大新連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。
本日は東山彰良『夜汐』新連載第一回を公開いたします。

尊王尊攘の嵐吹き荒れる幕末は江戸。
亀吉が開いた内緒のはずの花会に、チンピラたちが金を目がけて躍り込み……。

待望の本誌初連載は、まさかまさかの幕末時代小説!



       1

 どこのどいつにそそのかされたのか、手拭(てぬぐい(でほっかむりをした散切り頭の餓鬼どもが、品川の長屋でひっそり開帳していた花会にドドッと押し寄せて、テラ銭とアガリを合わせてざっと五百両、まるで竜巻みたいにそっくりかっさらっていった。
 御殿山(ごてんやま(の英国公使館が、長州藩士によって燃やされたのがほんのひと月ほどまえのこと。志士と称する放浪無頼の徒に対する幕府の締め付けが厳しい折、その裏をかくようにして開かれた花会である。
 そのため客たちは、いっそう慌てふためいて逃げ惑った。風雲急を告げるこの時節柄、下手にお縄を頂戴しようものなら、どんな災難が降りかかるか知れたものではない。一緒に盆を囲んでいた連中のなかに、尊王攘夷のお尋ね者がいないともかぎらない。
 賭場(とば(荒らしのなかには青洟(あおばな(を垂らしたのもいて、キンキンやかましい声でわめきながら匕首(あいくち(をふりまわした。
そいつが火鉢を蹴り倒し、盆を囲んでいた客たちを刃物で脅しあげている隙に、年嵩(としかさ(の餓鬼どもが雪崩(なだ(れこむ。
 おゥおゥおゥ、顔を隠したってバレてら! 着流しの用心棒たちが諸肌(もろはだ(を脱ぎ、立派な紋々を怒らせて出張(でば(る。隠すんならその散切りを隠しやがれ、このヤドナシどもが!
 蹴飛ばされた行灯(あんどん(の火が障子に燃え移り、火消しと出入りで、長屋はたちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎ。
 餓鬼といえど、十五も過ぎれば体躯は大人並み。やたらとはしこいのもいる。しかも、肝が据わっている。刃物を怖がらない。突き出される匕首をひょいひょいとかわし、山猿のように奥の間へ躍りこむ。
 夜四つをとうにまわっているとあって、奥の間では胴元が、賭け疲れて一服している上客たちに酒などをふるまっていた。イタチの亀吉(かめきち(、年の頃は二十をいくつも出ていない。どこからどう見ても胴元というよりは三下(さんした(の使い走りだが、そこにはそれなりの事情がある。その証しに、餓鬼どもは酒肴(しゅこう(の盆を蹴散らし、ほかの者は容赦なく痛めつけても、この亀吉にだけは指一本触れぬ。
 ともあれ、短筒(たんづつ(を持ったのまで出てきた日には、さすがの用心棒たちも腰が逃げる。命のいらねェ奴はかかってこい! 黒光りする短筒をふりまわしながら、餓鬼が(おら(ぶ。さあ、どうした!
 いくら命知らずのやくざ者でも、短銃をまえにすれば、最前まで丁だ半だと(つばき(を飛ばしていただけに、誰もが二の足を踏む。しかも、賊は十人からいる。ざっと勘定しただけでも、用心棒の数に引けを取らない。
 歯ぎしりするやくざ者たちを後目(しりめ(に、餓鬼どもはまるでしめし合わせたかのように千両箱の仕舞われた長持を抱え上げ、(ふすま(を蹴破り、そのまま長屋奥の勝手口から裏路地へと抜けた。
 イタチの亀吉は賊を止めるどころか、表口に殺到する客たちの波にちゃっかり乗っかって、長屋をあとにする。
 勝手口を守っていた用心棒は、すでに背中に匕首が突き立てられ、暗がりに倒れている。立ちはだかる者のいなくなった餓鬼どもは、長持を抱えなおし、声をそろえて、えっさ、おいさ、えっさ、おいさ、とトンズラの仕儀と相成る。
 短筒を持ったしんがりが、動くんじゃねェ! うわずった声で追っ手を(おど(しつける。ちょっとでも動きやがったらこいつをぶっぱなすぞ!
 これがあながちはったりとも思えない。少なくとも、切った張ったの渡世人稼業なら、餓鬼の目に宿った狂気を見逃すはずがない。
 ようやく用心棒頭、赤面(あかづら(久兵衛(きゅうべえ(が我にかえって捨て身で立ち向かっていくも、案の定、顔面にズドンと一発食らってその場で成仏。
 立ちこめる火薬の煙にむせる者もいたが、殺気立った博徒たちは、それ、今だ! と勇ましく餓鬼に飛びかかっていく。往生しやがれ!
 玉の尽きた鉄砲などただの鉄屑である。
 餓鬼は迫り来る破滅に奇声をあげて反撃したが、袋叩きにされたあげく、匕首で腹をえぐられ、短く哀れな生涯を閉じる。
 用心棒たちは押っ取り刀で賭場荒らしを追ったが、どうにか持ち帰ることができたのは、暗い路地の先で見つけた空っぽの長持だけであった。
 手つかずの惨状。荒れた賭場にころがる三つの死体をじっと見下ろす。
顔を撃ちぬかれた久兵衛は目をひん剥き、恨めしげに天井を見上げている。刺し殺された餓鬼は年端もいかない。どう見ても、まだ十四、五である。
 文久(ぶんきゅう(三年、一月も終わりかけの椿事(ちんじ(である。
寒風吹きすさぶなか、立ちすくむ用心棒たちの背中を冷たい汗が流れ落ちる。なかには我が身の行く末をはかなんで、早くも目を潤ませている者もいる。この内緒の花会が蕎麦屋の曲三(きょくぞう(親分に知れたら、みんな仲良く袖ケ浦(そでがうら(の魚の餌だ。
 誰かが亀吉はどこだと尋ねたが、答える者はいない。


       2

 四日後、高輪大木戸(たかなわおおきど(にある蕎麦屋の二階で、曲三は手下の(しら(せに耳を傾けている。
 一の子分は左のこめかみに刀傷のある男で、まるで見てきたかのように語る襲撃の顛末(てんまつ(は、微に入り細を穿(うが(った。
「裏口を見張ってたのは弥助(やすけ(の奴でした。背中を刺されてくたばってましたよ。他の用心棒も身内です。金で買われたんでしょう。赤面の久兵衛を憶えてやすかい? いつだったか、酔っぱらって堅気(かたぎ(衆に狼藉を働いて親分に折檻(せっかん(された野郎ですよ。撃ち殺されてたのがそいつです」
 それから居ずまいを正し、遠い目をして煙草をくゆらせている曲三親分の言葉を待った。
 いまだ春遠しといった潮風が、閉めきった障子窓をかたかたと鳴らしていく。その風に乗って、東海道を((き交う人たちの喧騒がかすかにとどいてくる。
「ということは」煙管(キセル(をポンッと打って灰を火鉢に落とすと、どてらをもっこり着込んだ曲三が言った。「賭場荒らしは、亀吉が俺に隠れて花会を開くことを知ってたんだな?」
「あの餓鬼どもは亀吉の賭場を襲っても、奴がおおっぴらにはなにもできねェって知ってたんですよ」手下が答えた。「亀吉の野郎は親分の縄張りを荒らしたわけですから。しかし、どうにも腑に落ちねェのは……」
「亀吉にそんなだいそれたことができるとは思えねェ、だろ?」
「野郎のふたつ名は、イタチの最後っ屁からきてんですよ。一度、出入りのときに糞を漏らしやがって」
 曲三は腕組みをしてうなった。「どこの餓鬼だ?」
「刺し殺された奴はテッポウの松太郎(まつたろう(ってヤドナシでした」
 ふたつ名のある奴は悪党ばかりだな、と曲三は思った。近頃はヤドナシのゴロツキでさえ鉄砲を持ってやがる。煙管に煙草葉を詰め、火箸で炭をつまんで火をつける。煙を吐き出しながら、おもむろに尋ねた。
溜預(ためあず((幕府が十五歳以下の犯罪人にとった囚禁措置。成長を待って刑を執行した)か?」
深川(ふかがわ(の人別帳に松太郎の名前がありやした」
「人のことは言えねェが、あの辺のヤドナシにゃろくなのがいねェな」
「あんなところで生きてりゃ、いずれ親分みてえに伸るか反るかの勝負に出なきゃ一生浮かばれませんからね」
「俺は運がよかっただけさ。先代の藤吉(とうきち(親分に跡目を譲ってもらっただけだからよ。じゃなきゃ、今ごろどっかで野垂れ死んでるぜ」
「藤吉親分に見こまれたんですよ」
「金儲けの才をな。だから、今でも切った張ったは好かねェ。この稼業をやってりゃ、そうも言ってられねェがな。けどな、これからますます金がものを言う世の中になってくぞ。異人どもを見ろ。あいつらがあんなに威張り散らしてんのは、とどのつまり金をたんまり持ってるからさ」
 曲三は煙草を吸った。ヤドナシどもの気持ちはよく分かる。曲三自身、無宿人長屋で育った。餓鬼の時分は、あの散切り頭がいやでしようがなかった。大岡越前(おおかえちぜん(が定めた断髪令のせいで、男は散切り頭、女は歯を染めてはならぬ、眉も剃らせなかった。そう、ひと目で無宿人だと分かるように。昔はそのへんを歩いてるだけで石を投げつけられたものだ。しかし、まあ、それも一長一短だな。ヤドナシ同士はひと目でお互いが分かって、悪さをするにも話が早かったっけ。それが、今やどうだ。異人どもはみんな散切り頭ときやがる。
「賭けてもいいがな」と、出し抜けに言った。「そのうちヤドナシでもねェのに(まげ(を払って散切りにする奴が出てくるぜ」
 話についていけず、子分が目を泳がせた。
「で、これからどうするつもりだ?」
「餓鬼どもですかい?」子分は話の筋道にあたりをつけ、「近頃派手に遊んでる奴をとっ捕まえさせておりやす」
「可哀想にな……後先考える頭もねェ。見たこともねェ大金が手に入って舞い上がっちまってんだな」曲三はひとつ頷き、「殺すな。(きゅう(を据えるくらいにしとけ」
「いいんですかい?」
「不幸な餓鬼どもさ。誰の盆を襲ったのかも分かっちゃいねェんだ」
「知らねェこととはいえ、蕎麦屋の曲三に弓を引いたんですぜ」
「だがな、亀吉についた奴等は殺せ」
 手下の目が鈍く光った。
「俺のシマであんなことされちゃ、きっちり落とし前だけはつけとかねェとな」
 表がどよめき、曲三は障子窓を開けて街道を見下ろした。
武装した供回りを引き連れた異人たちが、道行く人々を割るようにして南へと歩いていく。建設中だった英国公使館が燃やされたばかりのことで、異人たちもさすがに用心してるのだろう。
 文久二年十二月十二日の深夜、高杉晋作ら長州藩士が焼玉(やきだま(を使って英国公使館に火をかけた。腰の引けた幕府を追い詰め、攘夷断行を画策したのである。しかし、そんな志士たちの思惑を見透かしたのか、はたまた運よく死人が出なかったためか、けっきょく幕府は攘夷どころか、火付け犯捜しもうやむやにしてしまったのだった。
 しかし、まあ、時間の問題だろうな、と曲三は思った。誰かが本気で何かをやろうと(はら(をくくりゃ、遅かれ早かれそれはまことになる。今回はしくじったが、いずれ長州の奴等はやらかすだろうよ。
 そんな曲三の心中を察したのか、手下が尋ねた。「親分は尊王攘夷ってのをどう思いやす?」
「俺か?」驚きを隠しながら、曲三は静かに障子を閉めた。「町人からも年貢を取るなんて言い出さねェかぎり、誰が上に立とうと同じことよ。俺らは俺らの道を行くだけさ」
「じゃあ、異人になめられてもいいってんですかい?」
「侍になめられるより異人になめられるのが我慢ならねェか? 異人は少なくとも俺らを無礼討ちになんかしねェぞ」
「そりゃそうですが……」
「人間なんざ、犬みてえなもんよ」と、因果を含めた。「けっきょく餌をくれる奴、力の強い奴になびく。ご主人様のケツを蹴り上げる奴がいたら、犬どもはそいつに咬みつくしかねェ。ご主人様のケツが何度も蹴り上げられりゃ、さすがに犬でも首をかしげる。あれ? こいつってこんなに弱かったっけ? そこんとこは侍だって変わりゃしねェ。やれ尊王攘夷だのなんだのって大騒ぎしてんのは、いちばん強いと思ってた将軍様がじつは自分たちと同じ犬っころだって気づいちまったからさ」
「なるほどねェ」
「飼い犬でいるかぎり、蹴飛ばされるのは宿命ってもんよ。そりゃ野良だって蹴飛ばされるけどよ、少なくとも俺らは尻を蹴飛ばされたあとに有難き仕合わせ! なんて頭を下げなくていいんだ」曲三は言葉を切り、一服した。「それはそうと、賭場荒らしを手引きした奴だがな」
 手下が居ずまいを正す。
「餓鬼どもを焚きつけた奴が間違いなくいる。そうだろ?」
「奴等、テラ銭の仕舞い場所をちゃんと知ってやした。そもそもあの日に亀吉が花会を開くことなんざ、誰かに教えてもらわなきゃ知るはずがありやせん」
「俺らだって知らなかったわけだしな」
 曲三にじろりと睨まれ、手下は恐縮して頭を下げる。
「俺は情けねェよ。てめえんちの玄関先で誰かが糞を垂れてんのに、てめえはその糞を踏んづけるまで気がつかなかったんだからな」
「面目ありやせん」
「この不始末、どう落とし前をつけるつもりなんだ?」
 手下は膝の上で握りしめた拳を睨みつけ、やにわに懐から匕首を取り出して畳の上におく。
 曲三は、まあ、話が済んでからにするか、と制した。「亀吉は臆病な野郎だ。花会の開帳日も直前になって上客に知らせてきたんだろ?」
「へい」
「てことは、その裏切者は亀吉に近い奴ってことになるな。じゃなきゃ、ヤドナシの餓鬼どもと段取りをつけられねェ」
「亀吉の片棒を担いでた奴等の話じゃ、賭場が襲われた日に姿をくらました野郎がひとりいて、まわりからは蓮八(れんぱち(と呼ばれてたそうですが、それがどうも祐天仙之助(ゆうてんせんのすけ(のとこの若ェもんじゃねェかと」
「甲州の祐天か」曲三は眉間にしわを寄せ、煙管を火鉢に近づけてゆっくりと一服した。「その話、本当なんだろうな?」
「あっしにはなんとも」手下が頭を掻いた。「ですが、もしそいつが祐天の息のかかった奴なら、下手に手出しは――」
「そうかと言って、野放しにもできねェ」
「へえ、曲りなりにも亀吉はうちの身内ですからね。その亀吉を始末するんなら、亀吉を出し抜いた野郎も始末しねェと世間様にかっこがつかねェ。親分に内緒の花会なんて、その野郎が亀吉に入れ知恵したのかもしれやせんし」
 曲三は黙って話を聞いた。
 それに言うまでもねェことですが、と前置きをしてから、左のこめかみに刀傷のある手下は言葉を継いだ。「そいつは餓鬼どもに盆を襲わせて、その上前(うわまえ(をはねようとしたわけですよね。自分の手を汚さずに美味い汁だけを吸おうとしたってことじゃねェですか」
「そうだな」
「あっしはそういう手合いは虫が好かねェ」
 曲三は煙管を吸い、煙を薄く長く吹き流した。「おめえがそう言うなら、この件は夜汐(よしお(にまかせるか」
「あっしもそれがいいと思いやす」手下がずいっと膝を進めた。「あっしらがやったんじゃ、祐天と事を構えることになりかねやせん」
「よし、決まりだ」火鉢に灰を落とすと、曲三は気持ちを切り替えて手下に半眼を据えた。「さてと、あとはおめえだな」
 心得た手下は頷き、匕首を持ち上げ、(さや(を払う。
「座敷を汚すんじゃねェぞ」
「へい」
 手下は板の間に降り、匕首の切先を床に立てた。ごくりと固唾を呑み、左手の小指を刃にかませ、これから血を見る自分を切り離そうとでもするかのように、もしくはもうひとりの自分に体を明け渡そうとするかのように、何度も荒い呼吸を繰り返した。
 曲三は蕎麦屋の二階から、寒々とした東海道をぼんやりと眺め渡した。


(このつづきは、「小説 野性時代」2017年12月号でお楽しみいただけます)
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