東山彰良さんの最新刊『夜汐』が11月28日に角川書店より遂に発売です!
発売を記念して、連載開始時に野性時代2017年12月号で掲載された、故・葉室麟さんとの対談を特別公開します。
【初めて時代小説に挑戦。時は幕末――】
――東山さんはここ数年、自身のルーツである台湾を舞台にした青春ミステリや近未来のSF小説を発表してこられました。一方の葉室さんはデビュー以来、歴史時代小説の真ん中を歩まれてきたかと思います。そんなお二人の対談は、意外な組み合わせだと思う読者もいるかもしれません。
葉室: 東山さんとは共通の担当編集者がいて、『流』をいち早く読ませてもらっていたんです。実に素晴らしくて、これは間違いない、と思いました。あと、大学も一緒だったりして。それで一度お会いしたいと思ったんです。
東山: 『流』で直木賞候補になったときの事前記者会見が初顔合わせですよね? そのときに酒席をご一緒しました。その後、雑誌やイベントで対談させていただく機会が幾度かありました。初めての対談には緊張して臨んだのですが、葉室さんがすごく優しく接してくださって。私と葉室さんは住まいが近いので、以来お酒に誘っていただいたりしているんです。
葉室: 東山さんとご一緒していて良いなと思うのは、まず、書いているものが全然重なり合わないでしょう? だから、話していてお互いを傷つけ合わずに済むんですよ(笑)。逆に、自分にないものに触れさせてもらえるというのがありがたい。私のなかで東山さんの作品は世界文学に位置づけられるものですから。
東山: いえいえ! こちらこそ、です。
――これまでは互いのジャンルが重なり合わなかったお二人ですが、今回、東山さんが初めて時代小説に挑戦されます。幕末の京都、新選組が物語の大きな要素として絡んでくるとのことですが。
東山: 自分では時代小説を名乗るのもおこがましいと思っているくらいで、幕末に明るいわけではないんです。いつも、自分が書きたいもの――マジックレアリズムと相性のいい舞台設定を探しているのですが、これまでに台湾や近未来のアメリカ、メキシコは経験しました。未経験なのが「過去」だったんです。新しいフィールドでどれだけ書けるのか挑戦してみよう、と。 新選組というのは当初から考えていたわけではなくて、担当編集者と相談する徒然に出てきました。思えば、新選組がいた京都という街が、マジックレアリズム的な、つまり四次元的な「魔物」との相性がいい気がしたんです。物語の主人公は、皆さんがふつう思い浮かべるような新選組の隊士ではなく、どうしようもないやくざ者です。ある事情で新選組に身を寄せることになるのですが、そこから脱走して……という、いわゆる逃亡劇的なロード・ノベルのようなものを構想しています。
――一方、葉室さんはこれまで多くの幕末ものを書かれていますが、新選組小説に、久留米出身の隊士・篠原泰之進が主人公の『影踏み鬼』があります。なぜ、この人物を主軸に新選組を書こうと思われたのでしょうか。
葉室: 私は高校時代からの司馬遼太郎さんファンで、司馬さんの『新選組血風録』の最初に出てくるのが篠原なんです。それで興味を持ったのですが、『影踏み鬼』を書いた最大の理由は、篠原が生き延びたこと。私の若い頃は、学園紛争や連合赤軍が大きな問題としてあって、内部粛清についても考えさせられた時代でした。私は「内ゲバ」やら「総括」といった内部粛清というものがすごく嫌いで……。新選組でも内部粛清があったわけですが、篠原は大変な思いをしながらも生き残った。これはすごいことです。日本には「死ぬ美学」があるけれど、私は「生きる美学」を選びたい。そういう意味で篠原にはすごく共感できましたね。
【 京都に潜む、維新後の日本が失った「闇」】
――新選組は組織として華やかな時間の多くを、ここ京都で過ごしました。本日は壬生の八木邸にお邪魔しています。ご存じの方も多いと思いますが、八木邸は新選組が最初に屯所を構えた屋敷です。現在も八木家の方々が管理されており、ご厚意でこうして撮影、収録をしています。実はさきほど撮影した部屋は、葉室さんも短篇「鬼火」で描かれた初代筆頭局長の芹沢鴨が、近藤勇らによって暗殺されたといわれる有名な座敷でした。
東山さんはこの取材がほとんど初めての京都巡りということですが、どんな感想を持たれましたか?
東山: やはり資料で読むのと、この目で見るのとでは大違いですね。この八木邸なんかも想像していたものとは違った立派な屋敷で、収穫の多い取材になりました。 例えば、庭の木々や部屋の意匠で願掛けしたり、鬼瓦で魔除けをしたり、幕末くらいまでは建物のそこかしこに意味を持たせているんですね。 それから、夜の京都の古い街並みを歩くと、なんというんでしょう、暗がりの中に魔物が潜んでいるような錯覚を抱くんです。実は、この物語の発想の源は芥川龍之介の掌編小説「悪魔」なんです。そのなかで、京都に悪魔が登場するんですが、これが南蛮渡来の悪魔なんです。だから、もしかすると幕末の京都であれば、やはり南蛮渡来の悪魔が紛れ込んでいてもおかしくないんじゃないか、と改めて感じました。「夜汐」では、日本人がかねて持っている魔物や未知なるものに対する畏怖の念みたいなもので物語を動かしたいなと思っています。 そういえば、葉室さんは京都にもお仕事場を持たれていますね?

葉室: 私自身は魔物に感応しないタイプですが(笑)、京都がいわゆる魔界都市だというのは分かる気がしますね。どこかに闇というか、奥深さは感じます。実際、京都の街(平安京)って中国の都城を参考にして造られているのですが、その風水の考え方が、鬼門(北東の方角)を押さえるといった、魔界封じともいうべき陰陽道の思想につながっているわけですよ。それが機能して千年の都として続いた面もあるわけですから。そういう世界を台湾生まれの東山さんが感得されるというのも、非常に面白いです。それに、闇のない世界はやっぱり面白くないでしょうしね。すべてを理性で理解できるなんて大間違いですよ。だから、今回の連載はきっと面白くなるんじゃないですか? 幕末という一つの大地が揺り動かされるような時代のなかで、闇が這い出てくるというね。特に来年は明治維新一五〇年に当たる年で、幕末や明治という時代について色々と考える時期ですから、新しい視点を提供してくれるものと思います。
――弊誌先月号(「小説 野性時代」2017年11月号)で連載を終えられた「天翔ける」では越前福井藩藩主で幕末四賢侯の一人の松平春嶽を、「文藝春秋」では安政の大獄までの西郷隆盛を描かれたりと、近年の葉室さんは特に「幕末」が大きなテーマの一つになっておられるようです。
葉室: そうですね。そもそも明治維新は革命だったのか? 明治政府の官僚となった各藩の人間たちのためだけの国家造りだったのではないのか? 革命の主体としての尊攘志士というのは本当はいないんじゃないか? まあ、その話を始めると長くなるので、今日はこの辺りにしておきますが(笑)。 ただ、明治維新を境にして失ってしまった闇が日本にはあるんじゃないか? 東山さんの話を伺っていると、そう感じますね。明治という時代は、合理性や理屈をもって闇をなくしていこうという時代だったと言えます。けれども、結局は戦争へと突き進んだ。それってある意味、合理的な狂気ですよ。それが太平洋戦争での敗戦にまで繋がっている。
【個人のなかの歴史と幕末を覆った不可思議なエネルギー】
東山: 私は台湾で生まれて日本で育ったので、アイデンティティのことをよく聞かれるんです。自分を何人だと思うのか。日本人か、台湾人か、中国人かと。でも自分ではどこかに所属しているという意識が薄い。ただ、台湾で生まれて日本で育った一個人としか思えない。だから日本の歴史も身近なものとして捉えられないところがあったんです。小説でも、日本の時代小説より、例えば北方謙三さんの『水滸伝』の方が、自分のものとして受け止められる感覚がありました。 でももしかしたら、それは本来自分に備わっているべき歴史から切り離されていたせいかもしれないな、と思いました。さきほども言ったように、私は日本の歴史に対する知識が不足しているので、今回のように名もない個人に焦点をあてて物語を作ることになります。葉室さんのように歴史の流れを解釈して、物語にすることができません。小さな個人の物語を書くしかないと思っていたんです。もちろんそれは今も変わらないのですが、この作品のために、知らなければいけないことが本当にたくさんあったんです。幕末のことを調べたり、実際に京都を巡ってみたり、葉室さんとこうしてお話ししたりして日本の来し方を振り返ることで、日本の歴史にちょっとだけ触れられたような気がしました。もう一歩、日本に踏み込めたような感覚があります。
葉室: それは素晴らしいですね。そうだ。私の仕事場、シェアしますか?(笑)まあ、それは冗談として、幕末って歴史時代小説の世界だと、有名な志士たちが世の中を動かしたというのが一般的です。しかし、実体としての幕末は、下級武士ややくざ、農民や町人たち――そういった草莽の人間たちの間に、理屈では説明できないエネルギーのようなものがあったと思います。これから東山さんが書こうとされていることのように、奇々怪々なものと出会ったりしてもおかしくはないですよ。明治維新後の新政府によって作られた明治維新伝説みたいなもので歴史を見るんじゃなくて、そういう世界からも歴史を顧みるのは大切なことだと思います。『流』で、東山さんのおじいさんという存在を通して近代東アジアを描かれたのと同じです。 先日お会いしたときに、東山さんが「自分が日本の歴史を書くのはどうなんだろう」と仰っていたんですが、私は東アジアの漢字文化圏というのは、基本的に国境を越えて同じ魚として同じ水域に生きていると思っています。だから今回も、時代の分け隔ては気になさらず、東山さんの感覚で幕末を捉えようとすれば、自然に出てくるものがあるはずです。

――最後に連載への意気込みをお願いします。
東山: もう最後まできちんと筋道は見えているので、そのままで行くか、いま実はもう一つ思いついていることがあるので、どっちのほうがいいのかをゆっくり考えたいと思います。でも、最後になったらきっと、私が決めるんじゃなくて物語のほうで決めてくれると思うので、一番いい形で最終的な原稿に仕上げたいと思います。ただ、時代ものには特有のエクリチュール(書き方、言い回し)がありますから、担当編集者と二人三脚でその辺りの整合性を取りながら、物語を作り上げていきます。
葉室: 実は私はひと足先に第一回の原稿を読ませてもらいました。もちろん、ようこそ我がジャンルへ、ということではあるのですが、すでにしっかりと東山さんの世界が、東山さんの文体で語られ、構築されています。最低限の時代考証はもちろん必要ですが、細かいところは編集者に任せればいい。時代小説の世界と東山さんの独自の世界が化学変化して面白いものを生み出していくんじゃないかなという期待感がありますね。

東山: 心強いです。
葉室: だって今までと同じ時代小説を東山さんが書かれても仕方がないでしょう。歴史というのは、突き詰めればやはり一個人のなかにあるのではないでしょうか。それを見つめるのが、歴史の大事なところのひとつだと思いますね。
――第一回を読まれた読者は、新選組が出てこないので不安になるかもしれませんが(笑)。
東山: ばっちり出てきますので、安心してください!

※本対談は2017年10月に収録され、同年「小説 野性時代」12月号に掲載されたものです。

東山彰良『夜汐』
発売日:2018年11月28日
定価: 1,728円(本体1,600円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321801000189/
おれの命は、おまえのもんだ。直木賞作家が挑む、激情の幕末ロードノベル!
文久三年。やくざ者の蓮八は、苦界に沈んだ幼馴染み・八穂を救うため、やくざの賭場から大金をせしめた。
報復として蓮八に差し向けられたのは、凄腕の殺し屋・夜汐。
京で新選組の一員となり、身を隠すことにした蓮八だが、ある日八穂からの文を受け取る。
帰ってきてほしい……その想いを読み取った蓮八は、新選組から脱走することを決意。
土方や沖田からも追われながら、八穂の待つ小仏峠に向かうべく、必死で山中を進む。
だが、夢で蓮八に語りかけ、折りに触れ彼を導くのは、命を狙っているはずの夜汐だった――。
逃れられぬ運命の中でもがく人々、もつれ合う“志”。
すべてが胸に突き刺さる、直木賞作家の新境地!