新作は時代小説だ、と聞けば読者は「おやっ」と思うかもしれない。著者が東山彰良なのだから。しかし、本作で際立っている若い魂のきらめきや、その陰につきまとう死の気配は、著者のほかの作品にも感じられるものだ。
長篇『夜汐』の舞台は幕末、長州藩士によって英国公使館が燃やされたひと月後のこと。親分・曲三の目を盗んで亀吉という若者がこっそり開いた賭場に十代の餓鬼どもが乱入し、千両箱が入った長持ちを持ち去るという事件が起き、亀吉は姿をくらます。当然、曲三は激怒。この賭場荒らしが、亀吉と彼を焚きつけた蓮八という若者の仕業と知り、曲三は彼らを始末するべく謎めいた殺し屋を雇う。その名が、夜汐だ。正体はよく知られておらず、風貌はどこかはかなげで〈命に対する無頓着さ〉が感じられ、殺しを請け負ってもすぐに実行しない気ままな面を見せるが、いざとなると間違いなく相手の命を絶つ凄腕の持ち主。
そんな不気味な存在に狙われることとなった亀吉と蓮八は、実は同じ村の出身だ。彼らが今回の騒動を企てたのは、大金を手に入れて父親が遊廓に売った亀吉の姉、八穂を取り戻すためだった。八穂が蓮八を慕っていたと知る亀吉は二人の仲がうまくいくことを期待したようだが、身寄りがなく少年の頃から桶屋として棺桶を作り、墓掘人でもあった蓮八は身を引く。そして亀吉と八穂は偽名を使って高尾山の麓で一膳飯屋を開き、蓮八は京へ向かう。彼は清河八郎が集めた将軍警護を目的とする浪士たちの集団に参加したのだ。ここで読者は「あ、これは新選組の話か!」と思うはずだ。
京について早々、清河は尊王攘夷を掲げて江戸に戻ることを宣言し、不信感を抱いた蓮八は隊列を抜けだし、離反組である芹沢鴨や近藤勇たちに合流したいと申し出る。そこで彼が出会うのは、陽気で屈託がなく、しかし刀を持てば人が変わり容赦なく相手を打ちのめす男、沖田総司である。彼もまた夜汐と同じく、どこか命に無頓着そうである。やがて、亀吉姉弟に悲劇が起きたことを知った蓮八は浪士組を抜け出し江戸へ向かう。しかし脱走は組を愚弄したとみなされ、決して許されるはずがない。当然、彼を討つべく追っ手が後を追う。そのなかには、沖田もいる。
平穏に暮らしたい亀吉と八穂、生き方に迷いのある蓮八、殺し屋の夜汐、浪士組の追っ手、その背後にいる曲三やその手下、さらには亀吉たちの父親までもが登場、それぞれの正義と打算が、明治維新へと向かう時代の混乱を背景に複雑に絡まりあっていく。といっても語り口は軽快で、時代小説に馴染みのない読者でもすっと状況が呑み込める分かりやすさ。また、蓮八が江戸を目指す行程では、ロード・ノベル的な冒険が味わえる。
多くの時代小説を読む時に思うのは、人生なかなかやり直しがきかない、ということだ。何かしでかしてしまったが最後、人の命は簡単に奪われてしまう。償いのため、大義のため、復讐のため、怒りのため、人は時に殺され、時に自ら死を選ばざるを得なくなる。また、沖田のように「人を殺してみたい」と嘯く輩までいるのだから、油断ならない。
終盤になってある人物が叫ぶ。〈どいつもこいつも命で遊びやがって〉。それは、この激動の時代のなかで命を落とした、たくさんの実在の人間たちにもいえることだろう。そんななか、殺せる機会が訪れても殺さない、でもいつか必ず殺しにやってくる夜汐の特異さが浮き上がってくる。人の〝死に時〟とはいつなのかを、考えさせる存在なのである。それを、非常に幻想的に描き出しているのが本書の魅力でもある。
こんなふうに沢山の命が流される時代が、ほんの百五十年前にあったということに慄然とする。一方、男たちが殺しあうなかで、生き抜いていく女性たちがたくましい。重くて軽い命が受け継がれて、今という時代があることを、あらためて思う一作だ。
>>東山彰良『夜汐』
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