【カドブンレビュー】
浮浪児たちによる容赦ない鉄火場襲撃で物語は始まる。文久3年。1月も終わりかけの夜。餓鬼どもを裏で唆したのはやくざ者・蓮八。苦界に堕ちた幼馴染・八穂を救い出す銭金を工面するための一計だった。その報復として殺し屋・夜汐を差し向けられた蓮八は身を隠すため京へ上り新選組の一員となるが、そこに八穂からの文が届く。――帰ってきて、と。
京から江戸へ。新選組を脱走した蓮八の旅は、その一歩一歩が八穂への帰路であると同時に、死へと近づくものでもある。土方や沖田の追跡を躱し、街道を逸れて山中を進む道程は惨めだ。飢え餓え、山野の獣に追われ、毒草に苛まれる蓮八の脳裏に去来するのは、不遇の子供時代の記憶、八穂への想い、夜汐の影。
物語の舞台は幕末。黒船がやってくる、桜田門で大老が斬り殺される、薩摩藩が英国と砲火を交える、激動の転換期である。このただ中で紆余曲折のすえ生まれた新選組は、武士制度が解体してゆく中で最後まで武士であろうとする集団だった。彼らは商人や農民、食い詰めた武士たちの烏合の衆だったから、武士であるための見栄や建前に縛られた。曰く、局ヲ脱スルヲ不許。曰く、士道ニ背キ間敷事。その中で蓮八ひとりが本音を剥きだしにして生きている。武士の理想でもなく、国のためでもなく、愛する女のために命を賭ける。その道行きで彼は何度も命を落としかけては拾い、生きることと死ぬことの意味を考え続ける。
蓮八を付け狙う夜汐は悪魔だ。黒い着物に赤い帯、黒鞘の差料、椿油の香り漂う総髪。その姿は時に狼、時に黒衣の異国人となって人びとの夢にうつつに現れる。彼は死をもたらす恐ろしい存在だが、一方で静かで穏やかな男として描写される。懸命に足掻いて生きても浮世はままならず、想いは泡沫と消える。決して穏やかではない人生を歩むものにとって、死は恐ろしいものではなく、苦しみの終わりをもたらす救いでもあるように。夜汐は死そのもの。だから誰も彼から逃れられず、魅かれずにいられない。
蓮八がすがりつく生と、夜汐のもたらす死。ふたりの間をゆき交う人びとの、いくつもの印象深く忘れ難い生き様と死に様がある。
“生きるために盗み、奪い、謀り、殺してきた。そのようにしか生きられぬ者は、やがてそのように死んでゆく。誰かが生き長らえるために、使い捨てられてゆく”
無常の世界で地を這う虫のように生きる皆がみな、生きるためにやってきたことや欲したものの代償を、最後には自分の命で贖って死んでゆく。その過程のどれもが泥臭く格好悪く、最高に格好よくて少し悲しい。
「ぼんやり生きてる奴には死ぬ価値もないんだぜ」
どこにも書いていないけれど、そんな台詞が見えてくる。ページを捲る指先が熱を持つような、そんな感覚を久々に読書で味わった。
ところで『夜汐』に登場する新選組副長の土方。多くの「新選組もの」を読んできたが、こんなに可愛い土方はほかにない。『燃えよ剣』で司馬さんが描いた土方も大概ポンコツなところがあったが、こちらも相当だ。武士への憧れの無邪気さに加え、女々しくて面倒臭くてわかり易い。東山さんは土方を主人公にもう一本小説を書いたらいい。きっと今まで誰にも描けなかった新選組が生まれるに違いない。
>>東山彰良『夜汐』