【連載小説】ミステリ界の旗手・青崎有吾が放つ頭脳バトル小説、第1弾!「地雷グリコ」#3
青崎有吾「地雷グリコ」

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3
真兎はパーを出し、椚先輩はチョキを出していた。
チ、ヨ、コ、レ、イ、ト――椚先輩は声を出さずに階段を上り始める。まずは六段。ブザーは反応しなかった。
「続いて第二ターン。両者ご用意を」
再び腕が振りかぶられ、再びかけ声。
「「グー、リー、コ!」」
真兎の出した手は今度もパー。椚先輩は――グー。
「パ、イ、ナ、ツ、プ、ルっと」
軽快なステップで駆け上がり、真兎は椚先輩と同じ段に並んだ。当然ブザーは反応しない。
「ふっふっふ。追いつきましたよ先輩」
「まだ六段目だ。得意がってどうする」
なんというか……なんというか、普通にグリコだ。
いや。傍から見たらわからないだけで、二人の間では熾烈な駆け引きが行われているのかも。たとえば今の第二ターン。六段目にいる椚先輩はリードを広げたいが、パーかチョキで勝つと十二段目――地雷が仕掛けられた可能性の高い危険地帯――に踏み込んでしまう。そこで安全策としてグーを出し、九段目に進むことを狙った。真兎はそれを読みきったパーで、ジャンケンに勝利した……とか?
「生徒会のくせに大人げないって思うか」
ふいに江角先輩が話しかけてきた。
「三年連続で屋上を占領したがるなんて」
「別にそんな……まあ、ちょっとは思いますけど」
「思うよな。俺も思う。でも一応、生徒会には生徒会なりの理由がある」
「理由?」
「安全面だよ。いくら柵があるっつっても屋上には事故がつきものだし、頬白祭は小さい子もたくさん来るだろ。管理意識の低い団体に任せると万が一も起こりえる。万が一が起これば屋上はそれきり永久封鎖だ。だがその手の管理に慣れてる生徒会が使い続ければ、学校側も安心して鍵を貸し出せる」
「……私たちだって安全には気をつけますよ」
「そりゃそうだろうが、文化祭ってのは誰でも浮かれるもんだからな。石橋はぶっ叩いといたほうが確実ってこと」
たとえ他から恨まれてもな、と江角先輩はつけ足す。私は地面に目を落とした。
誰もが、ただ文化祭で目立ちたいから屋上を欲しているわけじゃない。それぞれの団体にそれぞれの理由がある。でも、
「私たちも、カレー屋は本気で実現させたいんで。譲れません」
「知ってるよ。だからこうして戦ってるんだろ」
「戦ってるったってグリコですけどね」
「グリコでもマインスイーパでも椚は負けないよ。誰にも負けない。あいつはゲームの達人だからな。一年のころから〈愚煙試合〉の介添人やってるが、やられるとこなんて想像すら……」
ブィィィン。
振動音が響き、私たちはゲームに注意を戻した。
爆発音ではなくブザーのバイブレーション。ということは、
「椚先輩、〈ミス〉です」
塗辺くんが簡潔に告げた。
椚先輩は十五段目に移動していた。どうやら六段目↑九段目↑十五段目と上ってきたようだ。そして、自分自身が仕掛けた地雷を踏んでしまった……。
「そうか」
椚先輩は動揺の様子もなく、下にいる真兎を振り向く。真兎は九段目にいた。先ほどまでのゲームを楽しむような快活さには
「ほらな?」と、江角先輩。
「な、何がですか。地雷が一ヵ所ばれたんですから、真兎のリードでしょ」
「違う。追い詰められたのは射守矢のほうだ。よく考えてみな」
「……?」
十五段目に地雷があることははっきりした。真兎の位置は今、九段目。なら次のジャンケンではグーを出し、十二段目に移動すれば――
「あっ」
チョキかパーを出して六段進めば地雷に〈被弾〉してしまう。だから真兎はグーしか出せない。そして、そのことは椚先輩にもばれている。つまり椚先輩は、パーを出せば必ず真兎に勝てるわけだ。しかも一度では終わらない。次のターンも、その次のターンも、九段目から動けない限り真兎にはグーの選択肢しかない。だがグーを出し続ければ、差はどんどん広がっていく。
椚先輩はわざと自分の地雷を踏んだのだ。
真兎に地雷の位置を知らせることで次の手を制限し、ジレンマに追い込んだ。
〈ミス〉にこんな使い道があるなんて思いもよらなかった。
「さすが、〈愚煙試合〉二連覇は伊達じゃありませんね」
真兎は栗色の髪をかき上げる。
「でも先輩、パーはおすすめしないなあ。二十一段目には私の地雷が仕掛けてあるので」
「ブラフだな。本当に仕掛けてあって十段のペナルティを食らったとしても、俺が下がる位置は十一段目だ。今のおまえの位置よりは高い。それに、おまえがその後グーしか出せないことには変わりない」
「まあそうなんですけどね」
肩をすくめ、「じゃ、次のターン行こっか」と塗辺くんをうながす真兎。ピンチのはずなのに、なぜか焦る素振りはない。
真兎はどうする気だろう? 普通に考えればグーを出すしかないが、それは敵にも読まれている。ならチョキかパー? ジレンマから抜け出すにはあえて地雷を踏むのも手だ。椚先輩がグー狙いのパーを出してくるなら、真兎が逆を突いてチョキを出せばジャンケンに勝って十五段目に上がれる。直後に〈被弾〉し、ペナルティで五段目まで下がってしまうが、そのあとは今までと同じように勝負を続けられる。
でも、そこまで椚先輩が読んでいたら? 真兎はその裏をかいて、いや椚先輩はさらにその裏を……?
「では、第六ターンです。両者ご用意を」
結論を出すより早く塗辺くんが言った。二人は腕を振り上げる。かけ声が階段に響く。
「「グー、リー、コ!」」
真兎の出した手は、グー。
椚先輩の出した手は、チョキだった。
「よし!」
柄にもなくガッツポーズを取ってしまう。真兎がグーで勝った! 理想的な勝ち方だ。
「グー、リー、コっと」
窮地を脱した真兎は、身を躍らせて十二段目へ。椚先輩との差はわずか三段。次で逆転も可能な――
ボオン!
私の喜びは束の間だった。
真兎の腰元――ハート形のブザーから、爆発音が鳴っていた。
「射守矢さん、〈被弾〉です。十段下がっていただきます」
余韻も消えぬうちに塗辺くんの声が重なる。
「軽率だな、射守矢」さらに、椚先輩の声。「十五段目の地雷が判明した時点で、おまえは十二段目と十八段目も警戒するべきだった」
その言葉で、私もようやく気づいた。
三の倍数の段に二連続で地雷を仕掛ければ――たとえば十二段目と十五段目に仕掛けておけば、相手を百パーセント〈被弾〉させることが可能なのだ。なぜならグリコ・チヨコレイト・パイナツプル、どんな組み合わせで階段を上ろうと、プレーヤーは必ずどちらかの段を踏むことになるから。どちらの段も踏まずに十八段目に行くなんてことは不可能だから。
「ジャンケンには最初からチョキを出すつもりでいた。おまえがパーを出してくれば、俺は勝って六段上がれる。チョキで合わせてきても〈あいこルール〉でいずれ勝てる。そしてグーを出してくれば、おまえに十二段目の地雷を踏ませられる。十五段目よりも十二段目で〈被弾〉させたほうが、おまえとの差を広げられるからな」
罠は周到に張られていた。
真兎は一つずつ選択肢を潰され、すべては椚先輩の狙いどおりになった。先輩は今、十五段目。十二段目で〈被弾〉した真兎が下がる位置は、二段目。その差、十三段。
「いやあ、ラッキーでした」
だが私のショックなどどこ吹く風で、真兎は気楽な声を上げる。
「ちょうど十段下がりたいなあと思ってたんです。私が先輩よりも上の段に進んだらパンツを見られちゃうかもしれないですし」
「わざわざおまえのを見ようとは思わない」
「え~ほんとですか? 塗辺くんどう?」
「僕なら見ますね」
「やだなあ塗辺くん意外とムッツリ」
まあ冗談はさておき、と真兎は真顔に戻り、
「十二段目の地雷は予想してましたが、どっちにしろ問題ありませんでした。この状況も想定内です。先輩はそのうち苦労することになりますよ」
「……なに?」
「いえ別に。さ~て、十三段差だからがんばらないとな~」
歌うように言いながら二段目まで下がる真兎。塗辺くんも戦況に合わせて(あるいはムッツリだと思われないためかもしれないが)階段を移動し、二人の中間地点に立つ。
想定内――私には、その台詞が見え透いた強がりにしか思えなかった。
「なんか、すみません」江角先輩に謝る。「ちょっと変わった子なんです」
「いや、あながち強がりでもないかも。実際今のターン、射守矢にとってはグーを出すのが最善手だった。グー以外を出したら椚に階段を進まれてたろ」
「でも、結局地雷踏んだし」
「それなんだが……今思ったんだが、ひょっとしてこのゲーム、一度地雷を踏んだほうが有利になるんじゃないか?」
思わず横を向く。江角先輩はじっと考え込んでいた。
「地雷に〈被弾〉したときのペナルティは十段。十ってのがポイントだ。射守矢は地雷を踏んで二段目まで下がった。次にグーで勝てば五段目に上がる。チョキかパーで勝てば八段目。十一段目、十四段目、十七段目、二十段目……。射守矢が今後踏む段は、地雷が仕掛けられた可能性が高い三の倍数の段とは絶対に一致しない。つまり射守矢は、地雷の脅威から解放されたといえる」
対する椚はどうだ? と、江角先輩は自軍の代表者を見上げて、
「射守矢の地雷はまだ三発隠れてる。十二段目と十五段目は椚自身の地雷が仕掛けてあるから〈被弾〉の危険はなかったが、この先は一段ずつが
「…………」
そういえば、気になっていたことがあった。ゲーム開始前の塗辺くんの言葉。
――勝つためには互いに読み合い、敵が仕掛けた地雷の位置を察知しなければなりません。
――いかに罠を見極めつつ、いかに素早く階段を上るか。
フェアな立場の審判は、地雷を「回避する」という言葉を一度も使っていない。
真兎は、肉を切らせて骨を断ったのだろうか。ゲームの特性を正確に読み取り、十段ペナルティと引き換えに行動のアドバンテージを手に入れた。この先のジャンケンで連勝するために……。
「では、第七ターンです。両者ご用意を」
塗辺くんが言う。二人は右手を構える。
「「グー、リー、コっ!」」
真兎はチョキ。椚先輩もチョキ。あいこだ。再びかけ声。
「「グー、リー、コっ!」」
真兎はまた、チョキ。椚先輩はパーに変えていた。
「チ、ヨ、コ、レ、イ、トっと」
真兎はさっそく八段目まで上った。先ほど立っていた九段目とほぼ同じ位置。ペナルティを取り戻した形だ。腰に片手を当て、予告ホームランのように相手を指さす。
「先輩、期待しててもらっていいですよ。すぐに追い越して私のセクシー勝負下着を……」
ボオン!
その軽口を遮って、
ハート型のブザーが再び鳴った。
「射守矢さん、〈被弾〉です。スタート地点まで下がっていただきます」
塗辺くんが無慈悲に告げ、真兎の顔が初めて驚愕に染まった。腰に当てられていた左手が誤作動を疑うようにブザーを触る。たった今「射守矢は地雷の脅威を逃れた」と断言した江角先輩も、もちろん私も、口をあんぐり開けていた。
「確かに、おまえは地雷をよく踏む体質らしいな」
椚先輩だけが冷静だった。
「一度地雷を踏んだ者は行動のアドバンテージを得る。それは俺もわかっていた。だから〈被弾〉後のルートにも一発仕掛けておいた」
「ず、ずいぶん無意味なことしますね」真兎は声をつっかえさせる。「八段目じゃ、ペナルティが二段分無駄に……」
「そうだな。だがその代わり、おまえをスタート地点まで戻すことに成功した。おまえはこれから、今までと同じように三の倍数のルートを上り始めるわけだ」
椚先輩は靴先で十五段目を叩き、
「このゲームの本質は地雷の位置をどう隠すかじゃない。相手の出す手をどう操るかだ。十五段目には俺の地雷が一発残っている。この段が近づけば、おまえはさっきと同じジレンマに陥る」
私の頬に冷や汗が垂れた。
先読みしていたのは真兎だけじゃない。椚先輩は敵を〈被弾〉させたあとのことまで読んでいた。八段目でもう一度〈被弾〉させ、真兎をスタート地点に戻すことで、三つ目の地雷と引き換えに一つ目の地雷を復活させた。プラマイゼロじゃないかと思いがちだが、そうではない。
たとえば二段目に下りた真兎に対し、椚先輩が「〈被弾〉後のルートにも地雷を仕掛けたぞ」と宣言しても信ぴょう性は薄い。真兎はブラフと判断し、地雷を気にせず突き進むかもしれない。
だが、十五段目には確実に地雷がある。真兎は〈被弾〉の回避を意識せざるをえず、結果として椚先輩に手を読まれやすくなる。先輩は地雷を復活させると同時に、真兎から行動のアドバンテージをもぎ取ったのだ。
真兎は沈黙したまま階段を下り、スタート地点に戻った。狛犬の近くに立つ私と目が合う。開始時の余裕はすでに消え失せ、口元の微笑は針金みたいに歪み始めていた。
射守矢真兎、ゼロ段目。椚迅人、十五段目。
その差、十五段。
「今年も優勝だな」江角先輩が他人事のように言った。「コーヒー豆を仕入れとかないと」
(つづく)