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連載

米澤穂信「花影手柄」 vol.5

【集中掲載 米澤穂信「花影手柄」】 城の東に織田方の陣を見つけた荒木村重は……。 堅城・有岡城が舞台の本格ミステリ第二弾!#1-5

米澤穂信「花影手柄」

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      5

 その日、鈴木孫六と高山大慮に村重から使番が差し向けられた。
 使番は、酒飯を振る舞うゆえ精兵二十と共に夕暮れどきに来るようにという村重からの言葉を伝えた。鈴木孫六は別段嫌そうな顔もせず、来いというなら行くまでのこととばかり、黙々と二十人を選んだ。
 一方、高山大慮の方はそう簡単ではなかった。村重の家臣ではない外様の高槻衆は、村重から振る舞いを受ける理由をみかねたのである。大慮に向かって、
「大殿。これはわれら高槻衆を疑い、だまし討ちにしようというたくらみでは」
 とまで言う者もいた。しかし大慮は釈然としない顔をしながらも、首を横に振った。
「ならば兵を連れよとは言わぬであろう。いずれにせよ、摂津守様のお招きを断るわけにはいくまい」
 こうして夕刻には、りすぐりの雑賀衆と高槻衆が本曲輪に入った。たとえ振る舞いに呼ばれたとはいえ戦の最中、誰もが鎧兜を身につけたままである。水堀にかけられた橋を渡り、門をくぐると、御前衆の郡十右衛門がかれらを迎えた。
「ご苦労にござる。案内いたす」
 身分のある者は屋敷に上げられ、そうではない者は庭に通され、主立った者は村重と席を同じくした。女房衆が飯と酒を運び、みなに等しく振る舞った。
 日が暮れれば、本曲輪の門は閉じる決まりになっている。兵たちの中には門が閉じる音に眉をひそめた者もいたが、まずほとんどは、久々の旨酒に舌鼓を打つばかりであった。村重を囲む宴席では、幾たびか笑い声も上がる。やがて飯と酒が尽きると、村重は皆を庭に集め、おもむろにこう言った。
「今宵、夜討ちをかける。狙いはこの城の東にかれた陣。敵の大将は大津伝十郎長昌。夜討ちの大将は高槻衆高山大慮、雑賀衆鈴木孫六に命ずる。儂も御前衆を率いて出る。事が洩れてはならぬゆえ、中間小者もみな本曲輪から下がらせ、門は閉めた。もののが不足ならやり蔵、鉄炮蔵から取れ。臆した者は残っても良い。月が中天にかかったら城を出る。狙うは大津の首じゃ。各々励め」
 思いがけぬ命に将卒はどよめいた。高山大慮が顔を赤くして言う。
「摂津守様おん自らの御出陣とは危のうござる、御自重あれ」
 しかし村重は涼しい顔で、
「なに。腕が鳴るわ」
 と言うばかり。
 屋敷のまわりには、いつの間にか御前衆が集まっている。かれらもまた夜討ちのことは知らされておらず、それで集められたのかと得心していた。
 雑賀衆と高槻衆は天守で仕度をするよう命じられた。天守に入ったかれらに、御前衆が陣太鼓やがいの取り決め、合い言葉、攻め方のはずを伝える。刻限まで眠ろうとする者も多かった。月は十三夜、たいまつかがりが要らぬほどに照り輝いている。有岡城本曲輪はにわかに戦の熱を帯びていく。

 本曲輪には、猪名川へと下りる坂が築かれている。外からは見えぬように隠された道であり、雑賀衆や高槻衆はもちろん、村重子飼いの御前衆にさえ、この道を知らない者がいた。平時には猪名川を伝う舟と人や物をやり取りするのに使われたが、戦が始まり、いまは門で遮られている。道の両側には丸太や石が積まれ、万が一寄せ手がこの隠し道に気づいたら、すぐに埋められるように仕掛けられている。
 夜討ち勢は本曲輪を出て、ひそかに浮かべられていた舟を浮き橋代わりに猪名川を渡った。この仮の浮き橋が断たれては夜討ち勢は城に戻れず、枕を並べて討ち死にするよりほかはない。御前衆が三人ばかり警固に残された。
 水音ばかりが耳に届く、静かな春の夜である。葦に遮られて敵の陣は見えない。伊丹一郎左衛門が先に立ち、案内を務める。
 夜討ちはせいひつをもって良しとする。馬はいななくので用いない。鎧がれると音を立てるので、ももを守るくさずりを巻き上げ、ひもでくくる。鉄炮を持つ者もいるが、火縄は目立つので隠し持つ。慣れぬ兵が軽口をたたかぬよう小さな木ぎれをませることもあるが、こたびの夜討ち勢は選りすぐりであり、そうした工夫は不要であった。ぬかるむ泥の中をじりじり進む夜討ち勢は、御前衆を含めて七十人ばかりである。小勢だが、それでも、泥を踏む音や人の息づかい、葦の草擦れは驚くばかりに夜に響く。
 泥の中をどれほど歩いただろうか。村重がふと振り返ると、月明かりの中に有岡城がその巨体を横たえている。点々と燃される篝火が美しい。城までの距離を推し量ることで、敵陣は近そうだと村重が気づいたとき、先頭の一郎左が歩みを止めた。村重は一郎左に近づき、
「どうした」
 と訊く。
「この先は葦がまばらゆえ、物見いたすべきかと」
「そうか。一郎左衛門、お主は行くな」
 村重は近くの兵を見まわし、郡十右衛門に目を留める。
「十右衛門、聞いたな。行け」
「は」
 十右衛門は小声で答えると、音を聞くため兜を脱いで小脇に抱えた。葦をかきわけて進む十右衛門の姿はすぐに見えなくなり、夜討ち勢は息を殺して待つ。焦れるというほどに待つまでもなく、再び葦が揺れ、十右衛門が戻った。
「たしかにこの先で葦原が途切れており、敵陣はその先で篝火をいておりまする。そして、陣の手前には武者が二人。こちらには気づかぬ様子にござりました」
「よし」
 村重は鈴木孫六と高山大慮を呼び寄せる。さすがに気を張った形相の二人に、村重は小声で告げる。
「これより、敵陣の前面にいる武者を射殺す。もし外せば敵は夜討ちに気づいて守りを固めようから、陣が整う前に切り込まねばならぬ。手筈通り、高槻衆は右、雑賀衆は左にまわれ。儂は後備えで差配する。陣太鼓二つでかかれ。法螺貝が長く吹かれたら、下がれ。切り込む前に法螺貝が吹かれたなら、敵は夜討ちに備えておったということじゃ。く引き上げよ」
 孫六と大慮は口々に応諾する。
「よし。行け」
 そう言って二人を下がらせ、村重は次に郡十右衛門を呼ぶ。


「カドブンノベル」2020年1月号

「カドブンノベル」2020年1月号より


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