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連載

米澤穂信「遠雷念仏」 vol.3

集中掲載 米澤穂信「遠雷念仏 前篇」 村重と無辺の密談の内容は? 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第三弾! #1-3

米澤穂信「遠雷念仏」

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 屋敷の一室、ごう天井を備えた対面の間で村重と無辺が向かい合う。雨上がりに日が強く照りつけ、部屋は息苦しいほどに蒸している。酷暑ゆえか虫も鳴かず、部屋は死そのもののように、ただ静かであった。
 対面の間に、人間は村重と無辺の二人のみである。太刀持ちも近習もいない。ふだん対面の間で人に会う折は、万が一に備えて御前衆が次の間に控えるが、無辺との対座に限ってはそうしたこともない。むろん、村重は左に刀を置き、無辺が心得違いをしようものなら一息で切り捨てられる心の支度を済ませている。そして今日に限って、村重の背後にはいくつかの木箱が並べられている。大なるものもあり、小なるものもあり、いずれも十字にひもがけされている。無辺はその箱をちらりと見たが、さほど興はそそられぬ様子であった。
 無辺の顔は渋紙色に焼け、目鼻立ちは柔和なようでいて、強い芯を感じさせる。摂津守まで進んだ村重に平伏することもなく、ただ泰然と胡坐を組んでいる。村重が無辺に会ったのは数年前のことになるが、いまでも村重はこの男のことがよくわからない。評判では高徳の廻国僧ということだが、俗気があるようでもあり、ないようでもある。会って話せば世間の噂にも相当通じているが、無辺はそうした噂を、遠い異国の出来事を面白がるように話す。世間というものを高みから見下ろしているようでもあり、あるいは、世間という貴いものに己は入っていけぬと諦めているようでもある。物を頼めば、なんでも聞く。臨終の者に引導を渡してやれと言っても、死者のために経を読めと言っても、異国の噂を聞かせよと言っても、いやな顔一つしない。村重は無辺を信じてはいないが、無辺と話すことは嫌いではなかった。
「無辺。近う」
 村重がそう言葉をかけると、無辺は座ったままで拳を使って村重に近づき、ほど近くまで進む。村重が言う。
「大儀であった」
 無辺はいわのような村重のたいを見て、
「摂津守さまは、少しお瘦せになりましたな」
 と返す。二人の間に、挨拶はただそれだけであった。
 村重が無辺を使僧として用いるようになったのは、ここ二年ほどのことである。都に行く無辺に、ついでのことにと知人への書状を預けたのが始めで、無辺はいつものように「かしこまってござる」とすぐ引き受けた。その頃は、敵に囲まれた有岡城から無辺に託して書状を発することになるとは、さしもの村重も夢にも思っていなかった。
「書状は届けたか」
「さればそのこと。さいとう様より返書を預かっておりまする」
「斎藤。内蔵くらのすけとしみつか。見せよ」
 無辺が懐に手を入れ、書状を取り出す。村重は書状を受け取ると、無辺が少し離れるのを確かめ、それを開いた。差出人は斎藤内蔵助利三。あけみつひで、いまはこれとうひゆうがのかみ光秀と名乗る織田の大将の、重臣である。
 村重が無辺に預けた書状は、日向守光秀に宛てたものであった。光秀はいま丹波攻めの陣中にいるため、無辺が向かったのも丹波のはずである。その返書が利三の名前で届くというのはいぶかしい。村重が書状を読む間、無辺は座禅を組むようにめいもくし、身じろぎもしなかった。書状は長いものではない。村重は読み終えた文を元のように折りたたんでいく。
 折りたたんだ書状を懐に入れながら、村重が言う。
「利三め、門前払いを食わせおった。わしの書状は光秀には取り次がぬとな。左様なこともあろうとは思うておったが、書状には、仔細はお主に伝えたとも書かれてある。内蔵助は何を言った」
「されば申し上げまする」
 無辺は朗々と言う。
「斎藤様が仰せられまするには、日向守様は在所の明かせぬつけじろにおわし、陣中は余人の出入りを厳しく戒めておるゆえ目通りはかなわぬ、出直せとのご沙汰。されど日向守様は荒木家の行く末を案じておられ、ことにしんろうさまは一度は息子と呼んだ縁もござれば、あまりむごい有様は見とうないと仰せであったとか」
 村重の息子である新五郎むらつぐは、光秀の娘をめとっていた。しかし村重が織田とたもとを分かつことを決めた時、村次は妻を離縁し、明智家に返している。光秀が遺恨を抱いていてもおかしくはない成り行きだと考えていただけに、無辺の言葉は村重にとって意外であった。
「そうか。ほかには」
「これは日向守様の御了見にはあらねど、と断って斎藤様が仰せられたことには、どうにも合点がいきかねると」
「何に合点がいかぬと言うたのか」
「なにゆえ摂津守様が降参つかまつるのかわかりかねる、いぶせきことよと仰せにござりました」
 村重は、しばし黙っていた。……誰かが聞き耳を立てている気配がないか、探ったのである。耳を澄ましても聞こえる音は何もない。風もない日であった。
 無辺が命じられた使者の役目は、日向守光秀に書状を渡し、織田に降伏する口利きを依頼することであった。家同士の談判は何事も取次という役を通して行われるのが通例だが、村重はいま、織田家にこれといった取次がいない。強いて言うならまんせんがそれに当たっていたが、かれは去年極月の戦で摂津に散った。
 村重が和談を始めていることは、秘中の秘である。信の置けるごくわずかな御前衆を除けば、家中でも知る者はない。
「そのことか」
 村重は小さく息をついた。
「なるほど利三はそう言ったか。光秀ならば、そうは言わぬであろうが」
「斎藤殿は首をかしげ、有岡城は当分落ちぬであろう、有岡が落ちぬなら尼崎もさんも落ちぬはず。それを荒木摂津守様ともあろうお方が心せわしゅう降参の取次を申し出てくるとは、いかにも奇妙と繰り返しておいでにござりました」
 斎藤内蔵助が無辺にそれを聞かせたのは、無辺の、ひいては村重のはらを探るためであろう、と村重は読んだ。内蔵助は、村重の書状が何かのはかりごとではないかと疑っているのだ。
 光秀が丹波攻めで留守だから書状を取り次がぬ、というのは、内蔵助の方便に違いない──いかに留守とはいえ、主君に届けられた書状を家臣が門前払いするというのは聞いたことがない。書状が突き返されたわけではない以上、それは光秀の手に渡ったと考えて間違いはない。内蔵助は、光秀が村重の申し出をあらためる時を稼いだのだ。だが村重は、有岡城に時が残っているとは考えていない。
 村重が言う。
「新たな書状をしたためる。利三には、勝てぬゆえにくだると言え。日向守ならば承知もしようとな」
 無辺はひようひようとした顔で返す。
「拙僧は武辺の身ではござらぬゆえ、摂津守様のじよう、いかにもわかりかねまする。有岡城は落ちぬであろうと、万人が噂しておりまするでな」
 村重は軍略について人と話すことを好まない。武略軍略は語られることによって力を失うからだ。だがこの場合はやむを得まい、と村重は心を決めた。
「たしかに有岡は落ちぬ。まだ幾年でも支えるであろう」
「……」
「されど、戦は勝つために開くものじゃ。儂にとってこの戦の勝ちとは、毛利の援兵が着到し、織田勢を相手に決戦仕ってさきのう信長を首にすることよ。有岡を支えることにあらず」
「はて……おそれながら、摂津守様が勝っておらぬのは拙僧もわかり申す。されど織田も、別段勝ってはおりますまい」
「御坊はそう考えるか。利三もそう考えた」
 そして、軍議の場で籠城継続を訴えた将らも、そう考えたはずだ。まだ戦は終わっていない、まともにやりも合わせていないではないか、と。
「そこが違う。織田はこの戦、決戦に至らぬことがすなわち勝ちじゃ。いざ合戦となればおけはざの習いの通り、寡兵必ずしも負けるとは言えず、多勢必ずしも勝つとは言えぬ。ゆえに儂は、織田が決戦を避けられぬ時と場を選んで戦を開いた」
 村重が北摂津で叛旗を翻すことによって、播磨のしばちくぜんのかみひでよしが孤立する。織田勢は秀吉を見捨てるか、有岡城を攻めるか、いずれかしか選べない。そして秀吉を見捨てれば西国攻めそのものがついえる以上、織田はいやでも有岡城を攻めなければならない。その潮を捉えて決戦を挑む、それが村重の軍略であった。
 戦は、村重の思う通りに進んだ。織田はたしかに大軍を率いて有岡城を囲み、信長自身も出馬した。あとは決戦あるのみ──そのはずだった。
 しかし、村重が築き上げた舞台に、毛利は乗ってこなかった。
「すでに潮は去った。宇喜多が織田についたいま、毛利は来ぬ。いまならばまだ、織田は降伏を受け入れよう」
 そこまで言って、村重はふとことばを切った。
「御坊。利三は、まだほかに何か申しておったであろう」
 有岡城の開城を取り次げば、それは光秀の手柄になる。斎藤内蔵助は村重の思惑を疑う一方で、主君が手柄を挙げる機をみすみす逃したくはないはずだ。案の定、無辺は頷いた。
「申し上げにくきことながら」
「構わぬ」
「されば、恐れながら。斎藤様は、摂津守様が降るとは俄かには信じられぬ、まことであるとの証に質が欲しいと仰せにござりました。とは申せ、有岡城から丹波まで人質を連れるのもむつかしきこと、ここはぶつじちがよかろうと」
「何を寄越せと言っておった」
 心なしか、無辺はばつが悪そうであった。
「は……とらさるを、と」


「カドブンノベル」2020年6月号

「カドブンノベル」2020年6月号より


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