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連載

米澤穂信「遠雷念仏」 vol.2

集中掲載 米澤穂信「遠雷念仏 前篇」厳重警戒の 有岡城に廻国の旅僧・無辺が現れる。 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第三弾! #1-2

米澤穂信「遠雷念仏」

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「越中殿の申す通り」
 と、下座から大音声がかかった。じようろうづかとりでを守るなか西にししんぱちろうである。
「そも、われらは数万の織田勢をここにくぎけにしておりまする。よし毛利の来援が一ト月二タ月遅れるとして、なんの不都合がありましょうや。殿、われら上﨟塚砦の精兵は、合戦の日を一日千秋の思いで待ち望んでおりまするぞ。その暁にはきっと、織田侍の首で塚を築いてお目にかけまする」
「新八郎、この新参者め、よう言った」
 そう新八郎を褒めたのは、ひよどりづか砦を守るむらたんであった。丹後は野太い声を張り上げ、天守に響かせる。
「殿。織田が力攻めで当城を抜くことは、万に一つもかなわぬこと。尼崎城のさい衆はに引き上げたと聞き申したが、鵯塚砦の雑賀衆は当てになる者どもにござる。されば和泉殿、矢玉の蓄えはいかに」
 突然名を呼ばれて池田和泉は当惑顔であったが、
「さて。去年師走の戦をためしといたすなら、まだ七度や八度は戦えまするが」
 と答える。
「これは心強い。されば七年か八年か、ずいぶん戦を続けられようぞ」
 丹後はそう言って、からからと笑った。一方で和泉は渋い顔である。言いたいことはあるのだろうが、野村丹後も瓦林越中も家中で重きをなすともがらであり、異を唱えにくいのだろう。
 居並ぶ将たちは次々に、そうだ、そうだと丹後らに賛意を示す。村重は将の顔をざっと見て、荒木久左衛門に目を留める。
「久左衛門はどうか」
「は……」
 久左衛門はかしこまり、沈着に言う。
「与作の言い条にも理はありまするが、この戦は毛利、ほんがんはりや丹波の国衆と示し合わせたものにて、本願寺には人質も出しておりまする。戦の行く末は、われらのみにては決しかねることにござりましょう。なにぶん宇喜多いずみのかみきようの御仁にて、寝返りはむろん良き事にはござらねど、にわかのこととも申せませぬ。毛利には毛利の考えがござろうほどに、当城はこのまま堅く支えて、毛利の出方をうかがうのが上策かと存じまする」
 軍議の席に、おお、という嘆息が満ちた。
「さすがは久左衛門殿」
「おお、それがよい。そうすべきじゃ」
「殿。久左衛門殿の申す条、もっともかと」
 野村丹後のことばには頷きかねた将らも、久左衛門の了見には賛同する。村重は物憂げに頷き、
「聞いておこう。軍議はこれまでとする」
 と言った。

 村重は織田にはんを翻すにあたり、万全の備えをした。足軽を雇い入れ、鉄炮を買い足し、兵粮蔵を幾戸前も建てて米を運び込んだ。それでも有岡城に足りぬものがあるとすれば、人であった。中でも使者が不足である。
 離れた相手と談判するにあたって、書状はもちろん取り交わすが、肝心の用件は使者が口頭で伝えるというのが常法である。使者たる者は主君の言い分を誤解なく先方に伝え、先方の言い分を誤解なく持ち帰らねばならない。それゆえ、いかに足が速くとも、愚かな者や礼儀をわきまえぬ者に使者の用は務まらない。またどれほど利発でも、山野を行くすべを心得ず、敵や賊から我が身と書状を守れぬ者では役に立たない。
 地理に明るく旅に慣れ、壮健かつ健脚で、才知にけて礼儀を弁え、しかも相手が信を置くような身分のある者が、使者として望ましい。だがそれらすべてを兼ね備えた傑物は、使者としてよりもむしろ将として用いたくなるのが道理である。現に、尼崎城との調談の要が生じた時、村重は将である北河原与作を使者として用いている。しかしそれは与作がこの近辺の生まれだからこそかなうことで、遠方への使者として与作を遣わせられるというわけではない。
 ゆえに村重は、山伏や旅僧を用いていた。
 軍議の後、本曲輪の屋敷に戻る村重の馬に御前衆のこおりじゆもんが近づいて、押し殺した声で言った。
へんが来ておりまする」
「そうか」
 村重は十右衛門の方を見もしない。
「常のようにいたせ」
「は」
 十右衛門も殊更に頭を下げるでもなく、すっと村重から離れていく。すべては刹那の出来事であった。

 無辺というのは、年の頃五十ばかりのかいこくの旅僧である。しばしば霊験を示す高徳の僧として、戦の前から庶人の間で噂になっていた。むろん、織田が有岡城を囲んでから商人はおろか僧の往来も差し止められていたが、無辺は城の東のあしはらを抜けて今年の晩春ふらりと城門の前に現れ、死人にこうを手向けたいから開けてくれと言った。それ以降、かれはしばしば有岡城を訪れている。
 その日、有岡には車軸を流すような夕立が降った。雨が上がり、夏の日が西に傾きかけた頃、無辺がひとり伊丹の町を歩いていく。あかじみたは擦り切れ、頭に載せたかさは破れが目立ち、こうは何も入っていないかのように軽々として、手にしたしやくじようも泥に汚れている。
 伊丹の町には民草が明け暮れを営んでいる。長い籠城でひとびとの顔は暗いが、城外では山に逃げた民がことごとく殺されたと聞けば、われらはまだしも運がよいとおのれに言い聞かせるしかない。商いの道は断たれ、工人らには頼み仕事もなく、田作りも夏のこととてすべきこともなく、えたにおいのするうだるような温気の中で誰しも淀んだ目をしていたが、無辺が通りがかるとその顔に光がす。
「無辺様じゃ」
「ありがたや」
 手を合わせて念仏を唱える者もいれば、題目を唱える者もいる。髪も衣もつちぼこりにまみれた女が駆け寄って、無辺の前に膝をつく。
「もし、無辺様」
 と呼び止める。無辺は笠を持ち上げて応える。
「いかがされたか」
「実は、父が三日前にまかりました。どうか供養してくださいまし」
「さようか。拙僧は御城主に呼ばれておるゆえ行かねばならぬが、戻れば必ず供養いたそう」
 女は感極まって涙を流し、手をすり合わせて無辺を拝む。無辺はふたたび歩を進めてゆく。どこかからつちの音が聞こえるのは、刀鍛冶かよろい鍛冶か。四、五人連れだった足軽が前からやってきて、無辺の風体を見て笑うが、一人が「無辺様じゃ」と言うと残りはみな黙り、すれ違った無辺の後ろ姿にこれも合掌する。
 無辺は町家を抜け、大溝筋と呼ばれる水堀を越える橋にさしかかる。橋の先は侍町だ。橋には番兵が置かれていて、鎧かぶとを着けない者が橋を通ろうとすると小銭をせびり取っていたが、無辺を相手には無言で通す。
 橋を渡れば、足軽長屋が続く。夕立が上がった後のこととて、道はぬかるみである。無辺の金剛草履は泥にまみれ、錫杖を道につくたびに土が粘る。やがて通りの左右にはろうじゆうたちの小屋が増え始め、無辺が本曲輪に近づくにつれ、部将たちの屋敷が多くなる。侍町は静寂の中にある──住人たちはみな、城の守りに就いているからだ。静まり返った町に、錫杖のかんが立てる涼やかな音だけが響く。
 侍町と本曲輪もまた、水堀と橋によって隔てられている。この橋は昼夜を問わず御前衆に守られており、かれらは見知らぬ者を決して通さない。無辺は錫杖の環を鳴らしながら橋を渡っていく──御前衆は、何者かと問うこともしない。村重にそう命じられているからである。屈強の御前衆が見張る中、無辺は無人の地を行くように、有岡城の中心へと歩を進めていく。
 やがて村重の屋敷の前に立つと、無辺は歩みを止めた。どこで様子を窺っていたのか、無辺の背後から郡十右衛門が近づき、
「ご案内いたす」
 と声をかける。無辺は振り向きもせずに笠を脱ぎ、脇に手挟んだ。


「カドブンノベル」2020年6月号

「カドブンノベル」2020年6月号より


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