米澤穂信「遠雷念仏」
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「越中殿の申す通り」
と、下座から大音声がかかった。
「そも、われらは数万の織田勢をここに
「新八郎、この新参者め、よう言った」
そう新八郎を褒めたのは、
「殿。織田が力攻めで当城を抜くことは、万に一つもかなわぬこと。尼崎城の
突然名を呼ばれて池田和泉は当惑顔であったが、
「さて。去年師走の戦を
と答える。
「これは心強い。されば七年か八年か、ずいぶん戦を続けられようぞ」
丹後はそう言って、からからと笑った。一方で和泉は渋い顔である。言いたいことはあるのだろうが、野村丹後も瓦林越中も家中で重きをなす
居並ぶ将たちは次々に、そうだ、そうだと丹後らに賛意を示す。村重は将の顔をざっと見て、荒木久左衛門に目を留める。
「久左衛門はどうか」
「は……」
久左衛門はかしこまり、沈着に言う。
「与作の言い条にも理はありまするが、この戦は毛利、
軍議の席に、おお、という嘆息が満ちた。
「さすがは久左衛門殿」
「おお、それがよい。そうすべきじゃ」
「殿。久左衛門殿の申す条、もっともかと」
野村丹後のことばには頷きかねた将らも、久左衛門の了見には賛同する。村重は物憂げに頷き、
「聞いておこう。軍議はこれまでとする」
と言った。
2
村重は織田に
離れた相手と談判するにあたって、書状はもちろん取り交わすが、肝心の用件は使者が口頭で伝えるというのが常法である。使者たる者は主君の言い分を誤解なく先方に伝え、先方の言い分を誤解なく持ち帰らねばならない。それゆえ、いかに足が速くとも、愚かな者や礼儀を
地理に明るく旅に慣れ、壮健かつ健脚で、才知に
ゆえに村重は、山伏や旅僧を用いていた。
軍議の後、本曲輪の屋敷に戻る村重の馬に御前衆の
「
「そうか」
村重は十右衛門の方を見もしない。
「常のようにいたせ」
「は」
十右衛門も殊更に頭を下げるでもなく、すっと村重から離れていく。すべては刹那の出来事であった。
無辺というのは、年の頃五十ばかりの
その日、有岡には車軸を流すような夕立が降った。雨が上がり、夏の日が西に傾きかけた頃、無辺がひとり伊丹の町を歩いていく。
伊丹の町には民草が明け暮れを営んでいる。長い籠城でひとびとの顔は暗いが、城外では山に逃げた民がことごとく殺されたと聞けば、われらはまだしも運がよいとおのれに言い聞かせるしかない。商いの道は断たれ、工人らには頼み仕事もなく、田作りも夏のこととてすべきこともなく、
「無辺様じゃ」
「ありがたや」
手を合わせて念仏を唱える者もいれば、題目を唱える者もいる。髪も衣も
「もし、無辺様」
と呼び止める。無辺は笠を持ち上げて応える。
「いかがされたか」
「実は、父が三日前に
「さようか。拙僧は御城主に呼ばれておるゆえ行かねばならぬが、戻れば必ず供養いたそう」
女は感極まって涙を流し、手をすり合わせて無辺を拝む。無辺はふたたび歩を進めてゆく。どこかから
無辺は町家を抜け、大溝筋と呼ばれる水堀を越える橋にさしかかる。橋の先は侍町だ。橋には番兵が置かれていて、鎧
橋を渡れば、足軽長屋が続く。夕立が上がった後のこととて、道はぬかるみである。無辺の金剛草履は泥にまみれ、錫杖を道につくたびに土が粘る。やがて通りの左右には
侍町と本曲輪もまた、水堀と橋によって隔てられている。この橋は昼夜を問わず御前衆に守られており、かれらは見知らぬ者を決して通さない。無辺は錫杖の環を鳴らしながら橋を渡っていく──御前衆は、何者かと問うこともしない。村重にそう命じられているからである。屈強の御前衆が見張る中、無辺は無人の地を行くように、有岡城の中心へと歩を進めていく。
やがて村重の屋敷の前に立つと、無辺は歩みを止めた。どこで様子を窺っていたのか、無辺の背後から郡十右衛門が近づき、
「ご案内いたす」
と声をかける。無辺は振り向きもせずに笠を脱ぎ、脇に手挟んだ。