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連載

米澤穂信「遠雷念仏」 vol.6

【連載小説】集中掲載 米澤穂信「遠雷念仏 中篇」 有岡城に単身侵入した曲者の正体は? 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第三弾! #2-1

米澤穂信「遠雷念仏」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

本能寺の変より三年前、天正七年六月の頃。織田信長に叛逆し、摂津有岡城に籠城する荒木村重は、宇喜多直家が織田方に寝返ったことで、戦いの終わりが近いと感じていた。家中の者に秘して、明智光秀に降伏の口利きを依頼する使者を出したが、光秀の家臣からぶつじちとして、茶壺「寅申」を要求される。愛蔵の名物を手放す決断をした村重だったが......。

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 時ならぬてつぽうの音に続いて、屋敷の内外から人の声が上がる。むらしげは刀を手に立ち上がり、傍らのが身を震わすほどの大音声で呼ばわる。
「何事ぞ!」
 だだっ、と足音を立て、ふすまの向こうに誰かが駆けつける。
「申し上げます!」
 女の声であった。村重はわずかもためらわず、
「許す」
 と告げる。襖が開くと、なぎなたを持った侍女がおもてを伏せて言った。
くせものにござります。見張りやぐらの足軽がとがめ、狙い打った様子。曲者はなおも逃げておりまする。ご用心を」
「そうか。おぬし、名は」
と申します」
「よし。おぬしはここで千代保を守れ」
「は。必ずや」
 千代保と目を合わせ、村重は「案ずるな。すぐに人をす」と言う。床に並ぶ名物をいちべつし、それ以上は何も言わずに書院を出る。
 外廊下から見れば、たいまつを手にした兵が口々に「どこだ」「そっちだ」と叫びながら走りまわっている。そのうち、村重の姿を認めたよろい武者が駆け寄ってきて、庭先に片膝をついた。ぜんしゆうの一人であった。
「殿」
「曲者と聞いた。幾人か」
「おそらくは、一人。申し訳ござりませぬ、見失ってござります」
「なに、しょせんほんぐるからは出られぬ。きもの太いやつよ。具足をつける、供をせい」
 御前衆を前に立て、村重は板の間へと向かう。行き会う別の御前衆に書院のを命じ、別の御前衆には本曲輪から出る橋を固めるように命じる。鎧が置かれた板の間に入ると、すでに小者が鎧の支度をしていた。変事に鎧かぶとで身を固めるのは武士の心得であるが、曲者ひとりのために合戦並の具足を着込むのはおおというものだ。小具足にとどめて、縁側に出る。
 まとめている者がいるのか、兵の動きは先ほどまでより落ち着いている。村重は兵の中にこおりじゆうもんを見つけ、声を上げてかれを呼ぶ。十右衛門はただちに駆け寄り、膝をついて知らせる。
「曲者、追い詰めましてござる。天守近くのやぶに潜む様子なれど、きゆう猫をむのたとえもござりますれば、弓鉄炮で遠巻きに。余の者は念を入れ、ほかに怪しき者がおらぬかしらみ潰しに捜しておりまする」
「よし。わしが行くまで殺すなと命じよ」
「は」
 ぱっと駆け出す十右衛門の後を追うように、村重は草履を履いて庭に下りる。月のない夜である。付き従う御前衆が、たちまちからか松明を調達してくる。兵らの声は、どこにどれだけ敵がいるのかわからぬろうばいしたものから、敵をんで罵るものへと変じている。
 闇夜に黒々とそびえる天守の下に、兵どもが多く集まっている。松明を手にした者も多く、あたりは夜を欺く明るさであった。兵は、たかの知れた小藪にやりや弓鉄炮を向け、ねずみ一匹逃がすまいと目を凝らしている。
 村重が命じると、包囲の一角が開いた。御前衆に自らを守らせつつ、村重は藪の前へと進み出る。藪が揺れ、松明に照らされ何かが光った。
「お気をつけくだされ」
 と、ひとりの武者が村重に声をかける。眉目秀麗な若武者で名はあきおかろうのすけ、御前衆の中でも刀法にかけては右に出る者のいない、抜群の遣い手である。その鎧に、胴を一文字にいだ真新しいきずがあることに、村重は気づいた。
「きゃつ、かなり遣いまするぞ」
 四郎介は達人と言っていいが、おごったところのない男でもある。こと兵法に関して、四郎介の見立ては過大でも過少でもない。村重はうなずき、歩を止めた。すっと息を吸い、藪に向けて太い声を投げつける。
「このありおか城の本曲輪まで入り込むとは、憎いやつよ。もはや逃れぬところ、潔く出て参れ」
 もとより村重は、いらえがあるとは思っていなかった。ただ、ここまで潜り込んだ曲者に、わずかに興をそそられたのである。しかし思いきや、返答があった。
「笑止。いけすけが、ずいぶんと大将がましい口を利くものよ」
 弥介とは、村重のけみようである。この名を、せつつのかみまで昇った村重に面と向かって口にするのは、礼に外れた侮辱であった。さすがにさっと満面に朱をそそいだ村重の前で藪が揺れ、白刃を手に下げた、小柄な男が現れる。
「さあ、出たがどうする」
 村重よりも、まわりの兵がいきり立った。いまにも鑓を突き出しそうな兵たちを手ぶりで収め、村重は男の顔を見る。村重を罵るのに池田の弥介という言葉を使うからにはわりの兵ではあるまい、近在の者であろうと思ってよく見れば、松明に照らされた曲者の顔は、果たしてどこかで見たようであった。
「おぬしは」
 村重ははたと思い至った。
くろの、ぜんすけか」
 名を言われ、男の腕から力が抜けた。ぶらりと下げた刀をおつくうそうにさやに納め、男は首を垂れる。
「摂津守様がそれがしごとき軽輩の名をご存じ置きとは、いささか意外。いかにもそれがし、黒田家中のくりやま善助にござる」
 年の頃は三十がらみ、分別と無鉄砲が同居したような顔をしている。はりの黒田家に仕える武士で、年が近い黒田かんそばづかえであったはずだ。いまを去ること十年、黒田家が存亡の危機に立たされた苦戦のさなかに敵の首をふたつ取り、その戦いぶりを近在に知られた男である。
「善助」
 と、村重が呼びかける。
「何をばせんとて参ったか。黒田が寄せ手に加わっておるとは聞いておらぬ」
「何をと仰せか。知れたこと」
 善助は皮肉に笑った。
「殿のご存命を確かめ、まことならばお救いに参った。……他にござるまい」
 村重は、善助を狙う鑓、弓、鉄炮そのほかあらゆる武具を見て、言う。
「一人でか」
「さ、それは申せぬ」
 仲間がいるのであれば、善助は仲間をかばうため、一人で来たと言っただろう。答えなかったということは、善助はおそらく、一人で来ている。
 匹夫の勇と言うほかなかった。黒田官兵衛はたしかに、この本曲輪にとらえてある。だがそのことは、せいぜい真偽のあやしい風聞として伝わっているに過ぎないはずだ。そのようなうわさを当てにして、天下の堅城有岡城に忍び込むとは、正気の沙汰とも思えない。官兵衛の居場所を知るすべもなかろうし、万が一官兵衛のろうまで辿たどり着いたとしても、連れて逃げるなど思いも寄らぬことであろうに。──だが村重は、栗山善助の蛮勇を笑う気にはなれなかった。無謀とさえ思わなかった。善助は、この本曲輪までは辿り着いたのだ。
 居並ぶ兵たちも、気勢を削がれたように武具を下ろしていく。勇を貴び勇者を敬うことは、抜きがたい武士の心根だ。有岡城の兵たちは、善助に勇を見ずにはいられなかった。
「そうか。官兵衛を救いに参ったか」
 村重がそうつぶやくと、善助は力尽きたように片膝をついた。麻の着物はそこかしこが破れ、だらりと下がった手からは血が滴る。手傷を負っているらしい。善助は言った。
「摂津守様。殿は、生きておいでか」
 村重は迷い、答える。
「……生きておる」
「生きておいでか。殿は、官兵衛様はまことに生きておいでなのか」
 無言で、村重が頷く。
 途端、善助は両の手で面体を覆い、おおと声を上げた。かれは泣いていた。泣きながら、善助は叫んだ。
「なにゆえ──なにゆえ、殺して下さらなんだか!」
 ほとばしるようなことばだった。
「殿はこの有岡城に行かねばならぬと決まった折、かんと笑って、しょせん生きては帰れぬ役目、死後はこれこれの通りにとお指図なされたぞ。意に染まぬ使者を生かして返すも戦の習いなら、首にして返すもまた習い。たとえ殿が討たれたところで、我ら、それも戦と吞み込んだでござろう。さるほどに摂津守様、なにゆえに殿を生かして、しかも返して下さらなんだか」
 村重は、ことばを返すことが出来なかった。善助はなおも叫ぶ。
「殿は有岡城に向かい、戻っては来られなかった。殿は生きているという風聞が立った。摂津守様、それを信長がどう聞くか、御了見はおありだったか。我ら黒田家中は日々息を詰め、今日は殿が戻らぬか、さもなくば首になって戻らぬかと待ち申した。殿が討たれれば忠義の討死、黒田家に浮かぶ瀬もござったものを、なしのつぶてでは……」
 善助が天を仰ぐ。糸のように細い月が、かぼそい光を地に投げかけている。
「信長は、殿が有岡に味方したと見たぞ。さもあらん! 生きて、とりこになっているなどと、誰が信じるか!」
 黒田家は、播磨の国人でら家の家臣に過ぎない。織田ににらまれて生き延びられる家ではない。生き延びるには、仮に官兵衛ひとりが有岡に味方したのだとしても、黒田家は変わらず織田に服していると訴えるしかなかったはずだ。
 仮にその訴えが認められても代償は求められただろう。──官兵衛は一人息子のしようじゆまるを、人質として織田に預けていた。
「摂津守様、ご存じか。信長は若を、松壽丸さまを殺したぞ。黒田は絶える!」
 村重は黙していた。
 この戦はあら家の、ひいてはもう家、ほんがんの浮沈を賭したおおいくさである。他家のことなどしんしやくする余裕はない。黒田家が絶えようと続こうと、村重には何の関わりもないことだ。
 一方、村重は、官兵衛を捕らえることで松壽丸が殺されることになるとは、露ほども考えていなかった。松壽丸はたしか、十歳であったろうか。もし、官兵衛を殺していれば松壽丸は生かされるとわかっていたら、おのれはどうしたであろうか。
 考え尽くして決したことには、結果はどうあれ、村重が悔いることはない。だが、考えが及んでいなかったことには──薄い、紙のように薄い、悔いが残る。
 それでも村重は、将として、言わねばならなかった。
「下郎め。知ったことではないわ」
「村重ッ!」
「端武者ひとり、殺すに及ばぬ。縛り上げ、旗屋にでも放り込んでおけ。手に負えぬようなら斬っても構わぬ」
 村重は善助に背を向ける。兵らが善助に殺到し、怒声が夜をふるわせる。

 屋敷に戻り、小者に手伝わせて鎧を脱いでいく。郡十右衛門が訪れ、通り栗山善助を縛り上げたことを告げ知らせ、その上で尋ねた。
「兵どもを下げてよろしゅうござりますか」
 栗山善助の騒動で、本曲輪を警固する兵だけでなく、非番の兵たちも本曲輪に入っている。そうせよ、と言いかけて、村重は暫時ためらった。十右衛門が眉を寄せていぶかる。
「殿、いかが」
「いや……」
 善助が忍び込みにけているとは思えない。その善助ですら、の一念ではあろうが、本曲輪までは入り込んだ。村重はふと、有岡城の守りに不安を覚えた。
「……御前衆にそくあんを警固させよ。四人に四方を守らせ、何者も近づけさせるな。へんが出立したら、城の外まで守らせよ」
「は。御意のままに」
 十右衛門は問い返すこともなく、村重の命を受けて下がっていく。鎧を外し、肩の軽さを覚えながら、村重はふと、十右衛門を呼び戻したい衝動にかられた。無辺に警固をつけなかったのは、なまじ兵をつければ、大事の用を命じたと露見しかねないからであった。それがいま、決めたことを変えて、兵を出した。短慮であったろうか。
 采配に迷いが生じている、と村重は気づいた。ぐいと腹に力を入れる。
 断を翻したのではなく、誤りを正したと考えるべきだ。迷うな、死ぬぞと、村重は自らに言い聞かせる。
 夜は更けていく。


「カドブンノベル」2020年7月号

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