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連載

米澤穂信「遠雷念仏」 vol.7

【連載小説】集中掲載 米澤穂信「遠雷念仏 中篇」 無辺が討たれたとの凶報に村重は――。 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第三弾! #2-2

米澤穂信「遠雷念仏」

※本記事は連載小説です。

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 村重は夢を見る。
 村重は若かった。荒木摂津守村重ではなく、ただの荒木弥介だった。主君の池田みんこころもとなく思い、表向きは服従しながら、いつか取って代わろうと腹の中で牙を研いでいた。
「弥介なら、やってのけるやもしれんな」
 隣では、いとこのなかがわひようがそう言って笑う。瀬兵衛も若い。腕の力と鋭い鑓があればこの世に出来ぬことはない、と信じている風である。
「その折には、儂を侍大将にしてくれ」
 と、瀬兵衛は言う。
「侍大将とは小さきことよ。城をやろう」
「おお、城か。いいな」
たみを破って、儂は伊丹城に入る。池田城は瀬兵衛に任せる」
「ははは、ならばいまから、城内を検分せねば。伊丹を取って、それから弥介はどうする」
「そうよなあ」
 村重はそうてんを仰ぐ。
「やはり、京に上るべきであろうな。茶の道具を見たい。官位とやらも欲しいな」
さかいはどうじゃ、欲しくはないか」
 いつのまに来ていたのか、たかやまこんがそう言う。右近も若い。知恵ならばちようりようこうめいにも引けは取らぬ、という気概がある。
「パードレがお喜びになる」
「おぬしは南蛮宗かぶれじゃのう。大望はないのか、大望は」
 弥介が苦笑いすると、右近は殊更に大袈裟に、胸の前で十字を切って見せる。
 瀬兵衛と右近がいれば、虎につばさである。ほくせつを取ることなど朝飯前だ。だいたい、主君の池田はもとより、いまの将軍家がだらしない。ほそかわろつかくなにするものぞ。せっかく武士に生まれつき、命を何に使おうか……。

 払暁、村重は思い出す。
 京は織田が押さえた。
 堺も織田が押さえた。
 中川瀬兵衛は織田にくだり、もういない。
 高山右近も織田に降り、もういない。
 障子の向こうに、何者かが膝をついている。瀬兵衛が戻ったか……いや、小者であろう。儂に用があるのだ。
「何事か」
 小者はこわばった声で言った。
「無辺様、討たれたとの知らせにござりまする」

 無辺は、衣足庵の一室で刺し殺されていたという。
 村重は馬を出し、夜明けの有岡城を駆けた。徒歩の御前衆が追いつけず、大溝筋を越えて町家に入る頃、村重は単騎だった。ふだん、村重が人前で一人になることはない。用心のためでもあるが、常に人を付き従えることが身分のあかしだからでもある。将たるもの、単騎駆けなどすべきでない──百も承知でありながら、村重ははやりを抑えることが出来なかった。
 衣足庵は町家の南側、野放図に草が伸びる手つかずの土地に、ぽつりと建っている。もとは、池田の町はずれにあったまいりよう西さいねんという僧が年を取り、寂滅までの日々を念仏三昧に過ごすために建てたものである。西念はもやは目も耳も弱り、明け暮れの世話をかつて昧霊寺で寺男をしていたはんに頼り切っているが、かいこく僧や山伏には快く一夜の宿を貸すという。村重は、西念が池田にいるころから知っている。
 村重が辿り着くと、衣足庵の周囲は人に囲まれていた。どこから聞きつけたのか庶人が集まり、口々に、
「無辺さま!」
「おいたわしや」
 と悲嘆の声を上げている。やがてかれらは村重に気づくと、救いをもとめるかのように手を村重へと伸ばし、わあわあとことばにならない声を上げる。衣足庵を守っていた兵たちが村重の姿に力を得て、
「下がれ! 摂津守様ぞ、控えよ!」
 と怒声を上げ、鑓を天へと突きあげる。その勢いに吞まれ、ようやく群衆は静まり、村重の道を開けた。
 村重は馬上から庶人らを見た。誰も黒ずんだ顔をしてをまとい、目には一様に涙をめている。明日をも知れぬ籠城の中で、無辺の姿に救いを見た者たちである。無辺の死を、救いの糸が切れたように覚えていよう。だが村重にとって、その死はまた別の意味を持つ。村重はかれらに命じた。
「戻れ。徒党を組むことは許さぬ」
 領主の直命である。従わねば死が待つことは、誰もが知っている。集った民は未練がましく衣足庵を幾度も振り返りながら、三々五々、野原の向こうへと去っていった。
 周囲が静まると、兵たちはいっせいに膝をついた。そのうちの一人が顔を伏せたまま、言上する。
「殿。申し訳ござりませぬ」
 これは御前衆の一人で、名をいぬいすけさぶろうという。りよりよくが自慢の大兵で相撲を取らせれば家中随一だが、心根が柔弱で、戦場で喜んで敵の首を取りに行くということが出来ない。その代わり、守れと言われれば鬼が出ようが蛇が出ようが一歩も退かない、使いようによってはこれほど頼りになる武者もないという男であった。学はないが物覚えはよく、下知にはこの上なく忠実である。
 いま、助三郎の声はふるえていた。
「われらが警固いたしおりながら、むざむざと。お聞き及びかとは存じまするが、無辺様、秋岡四郎介、生害にござりまする」
「なに秋岡もか」
「は。ももを斬られ、喉を突かれて落命」
 村重はぎりりと歯嚙みをした。残る兵たちをめつける。その中に、兵ではない者がいることに、村重はようやく気づいた。鎧をつけておらず腰に刀を差しただけで、おりまでかぶっている。部将格の装いであった。
「そこの者。面を上げよ」
 命じられ、男は顔を上げる。
さくか」
「はっ」
 ふだんせいかんな若武者といった様子のきたわら与作が、今朝は紙のように白い顔をしている。
「おぬしここで何を……」
 と言いかけ、村重はことばを吞んだ。与作がここで何をしていようと、構うことではない。いまは何よりも大事がある。村重は馬から降りる。
「検分をする。助三郎、ついて参れ。ほかの者はここで待て」
 村重が衣足庵に入ろうとしたところで、遅れていた御前衆が追いつく。息せき切った兵たちの中に郡十右衛門を見つけ、村重は、
「十右衛門、おぬしも参れ」
 と命じる。

 衣足庵はしばがきに囲まれている。垣は低く、柴は手入れが悪いが、境としての役目は充分に果たしている。戸のない門をくぐって村重らが衣足庵に踏み込むと、暗がりの中に、幽鬼のような姿がたたずんでいた。
「え……う……」
 と、うめくが、耳を傾けて聞けば、
せつしゆう様」
 と言っていることがわかる。村重は、旧知の西念の衰えぶりを目の当たりにし、暫時言葉を失った。だがいまは、旧交を温めるべき折ではない。
「西念、入るぞ」
 とだけ言い、助三郎を振り返る。「案内つかまつる」と、助三郎が前に立った。
 衣足庵に、部屋は三つある。ひとつは、土間と囲炉裏を備えた居間であり、庵主の西念はここで起き伏しする。ひとつは持仏堂、小ぶりながら作法にかなった仏壇を備えた、狭い部屋である。そしてもうひとつが、客を入れる客間である。助三郎が先導したのは、この客間であった。
 居間から客間へは、外廊下を通って行くことになる。ところどころが破れた障子戸の前で助三郎は足を止め、膝をついて、
「こちらに」
 と首を垂れる。
 村重は、障子戸を開ける前から匂いに気づいていた。香の匂い……そして、武士にはみ深い匂いが、障子戸の向こうから漂ってくる。血臭、そしてしゆうである。
「開けよ」
「は」
 助三郎が障子戸を開ける。うわっと湿り気が押し寄せる。
 狭い部屋の中央で、僧形の男がうつ伏せに倒れている。板張りの黒ずんだ床には血だまりが広がり、数多あまたはえむくろにたかっている。これが無辺ではない、ということは万に一つも望みえない。それがわかっていながら、村重はあえて命じる。
「顔を表に向けよ」
「は」
 助三郎はためらいなく、骸をあおけにする。蠅がわあんと飛び立ち、狭い客間をさまよう。……骸はたしかに、無辺のものであった。くわっとまなこを見開き、口をぽっかりと開けている。その顔には驚きと恐れがはっきりと表れ、この廻国僧の最期が決して安らかなものではなかったことを示している。
「傷は」
 言葉少なに命じる村重に従い、助三郎が骸をさぐる。大きなてのひらと太い指が、たちまち血にまみれていく。
 傷口は明らかだった。助三郎が、血を拭うことも出来ぬままに言う。
「胸を一突き。袈裟を貫き、背にとおっておりまするほかに、傷は見当たりませぬ」
 村重は顎をでた。無辺は武士ではないが、二本の足で自在に山野を行く、頑丈な廻国僧であった。その胸板を一突きにするというのは、生易しいことではない。
 村重は改めて、蠅の飛び交う部屋を見まわす。床は板敷だが、畳を敷けば四畳半ほどの広さだろうか。部屋の三面は壁で、一面が障子戸になっている。戸棚、押入の類は見当たらない。そして隠者の草庵にふさわしく、部屋には物が少ない。無辺自身の持ち物であろうしやくじようすげがさを除けば、あるのは布団と香炉だけである。香炉といっても何の細工もない素焼きの土器で、香をいた跡が残っていた。
「ない」
 と、村重が呟く。
「ない、とは」
 助三郎が思わず尋ねるのに、村重は答えなかった。
 村重は、こうがないことに気づいたのだ。廻国僧無辺が、旅の道具や仏具を収めていたであろう、とうで編んだ行李がない。……その中には、とらさるが入っていたはず。
 十中八九、持ち去られた。だが、まだそう決めつけるには早い。動揺を押し殺して、村重は助三郎に問う。
「秋岡四郎介は、どこで討たれた」
 助三郎はしたたる汗を拭うことも出来ず、血染めの手をどうしたものかこうじている様子だったが、容を改めて答えた。
「外でござりまする」
「案内せよ」
「は」
 助三郎が廊下に出ると、村重は郡十右衛門に耳打ちする。
「密書を捜せ。あらば、おぬしが持て。誰ぞが読んだ跡がないかあらためよ」
 これとうひゆうがのかみみつひでに和議の取次を願う密書は、十右衛門が無辺に届けた。和談が進んでいることを知る者は少ないほどよく、これは十右衛門にしか出来ぬ役目であった。十右衛門は「は。急ぎ」と答える。
「もう一つ。……無辺には寅申を渡した」
 ふだん物に動じない十右衛門が、さすがに目を見開いた。
「あの名物を」
「うむ。じゃが見当たらぬ。賊が持ち去ったのであろうが、万に一つ、無辺が隠したということもある。手を尽くして捜せ。床下、天井裏、くまなく捜せ。なりは裾張り、色合いは黄目」
「は。委細承ってござりまする」
 硬い顔つきで、十右衛門は首を垂れた。
 万に一つとは言ったが、村重は、無辺がこの衣足庵に寅申を隠したなどということは万に一つもないだろうとわかっている。あまりにもはかない望みを繫ごうと十右衛門に捜せと命じた、おのれの愚かしさがたまらなかった。だが村重は同時に、自らに言い聞かせずにはいられない。寅申は見つかるはず、どこかにあるはずだ……と。


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