米澤穂信「遠雷念仏」
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※本記事は連載小説です。
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5
村重は夢を見る。
村重は若かった。荒木摂津守村重ではなく、ただの荒木弥介だった。主君の池田
「弥介なら、やってのけるやもしれんな」
隣では、いとこの
「その折には、儂を侍大将にしてくれ」
と、瀬兵衛は言う。
「侍大将とは小さきことよ。城をやろう」
「おお、城か。いいな」
「
「ははは、ならばいまから、城内を検分せねば。伊丹を取って、それから弥介はどうする」
「そうよなあ」
村重は
「やはり、京に上るべきであろうな。茶の道具を見たい。官位とやらも欲しいな」
「
いつのまに来ていたのか、
「パードレがお喜びになる」
「おぬしは南蛮宗かぶれじゃのう。大望はないのか、大望は」
弥介が苦笑いすると、右近は殊更に大袈裟に、胸の前で十字を切って見せる。
瀬兵衛と右近がいれば、虎に
払暁、村重は思い出す。
京は織田が押さえた。
堺も織田が押さえた。
中川瀬兵衛は織田に
高山右近も織田に降り、もういない。
障子の向こうに、何者かが膝をついている。瀬兵衛が戻ったか……いや、小者であろう。儂に用があるのだ。
「何事か」
小者はこわばった声で言った。
「無辺様、討たれたとの知らせにござりまする」
6
無辺は、衣足庵の一室で刺し殺されていたという。
村重は馬を出し、夜明けの有岡城を駆けた。徒歩の御前衆が追いつけず、大溝筋を越えて町家に入る頃、村重は単騎だった。ふだん、村重が人前で一人になることはない。用心のためでもあるが、常に人を付き従えることが身分の
衣足庵は町家の南側、野放図に草が伸びる手つかずの土地に、ぽつりと建っている。もとは、池田の町はずれにあった
村重が辿り着くと、衣足庵の周囲は人に囲まれていた。どこから聞きつけたのか庶人が集まり、口々に、
「無辺さま!」
「おいたわしや」
と悲嘆の声を上げている。やがてかれらは村重に気づくと、救いをもとめるかのように手を村重へと伸ばし、わあわあとことばにならない声を上げる。衣足庵を守っていた兵たちが村重の姿に力を得て、
「下がれ! 摂津守様ぞ、控えよ!」
と怒声を上げ、鑓を天へと突きあげる。その勢いに吞まれ、ようやく群衆は静まり、村重の道を開けた。
村重は馬上から庶人らを見た。誰も黒ずんだ顔をして
「戻れ。徒党を組むことは許さぬ」
領主の直命である。従わねば死が待つことは、誰もが知っている。集った民は未練がましく衣足庵を幾度も振り返りながら、三々五々、野原の向こうへと去っていった。
周囲が静まると、兵たちはいっせいに膝をついた。そのうちの一人が顔を伏せたまま、言上する。
「殿。申し訳ござりませぬ」
これは御前衆の一人で、名を
いま、助三郎の声はふるえていた。
「われらが警固いたしおりながら、むざむざと。お聞き及びかとは存じまするが、無辺様、秋岡四郎介、生害にござりまする」
「なに秋岡もか」
「は。
村重はぎりりと歯嚙みをした。残る兵たちを
「そこの者。面を上げよ」
命じられ、男は顔を上げる。
「
「はっ」
ふだん
「おぬしここで何を……」
と言いかけ、村重はことばを吞んだ。与作がここで何をしていようと、構うことではない。いまは何よりも大事がある。村重は馬から降りる。
「検分をする。助三郎、ついて参れ。ほかの者はここで待て」
村重が衣足庵に入ろうとしたところで、遅れていた御前衆が追いつく。息せき切った兵たちの中に郡十右衛門を見つけ、村重は、
「十右衛門、おぬしも参れ」
と命じる。
衣足庵は
「え……う……」
と、
「
と言っていることがわかる。村重は、旧知の西念の衰えぶりを目の当たりにし、暫時言葉を失った。だがいまは、旧交を温めるべき折ではない。
「西念、入るぞ」
とだけ言い、助三郎を振り返る。「案内
衣足庵に、部屋は三つある。ひとつは、土間と囲炉裏を備えた居間であり、庵主の西念はここで起き伏しする。ひとつは持仏堂、小ぶりながら作法にかなった仏壇を備えた、狭い部屋である。そしてもうひとつが、客を入れる客間である。助三郎が先導したのは、この客間であった。
居間から客間へは、外廊下を通って行くことになる。ところどころが破れた障子戸の前で助三郎は足を止め、膝をついて、
「こちらに」
と首を垂れる。
村重は、障子戸を開ける前から匂いに気づいていた。香の匂い……そして、武士には
「開けよ」
「は」
助三郎が障子戸を開ける。うわっと湿り気が押し寄せる。
狭い部屋の中央で、僧形の男がうつ伏せに倒れている。板張りの黒ずんだ床には血だまりが広がり、
「顔を表に向けよ」
「は」
助三郎はためらいなく、骸を
「傷は」
言葉少なに命じる村重に従い、助三郎が骸をさぐる。大きな
傷口は明らかだった。助三郎が、血を拭うことも出来ぬままに言う。
「胸を一突き。袈裟を貫き、背に
村重は顎を
村重は改めて、蠅の飛び交う部屋を見まわす。床は板敷だが、畳を敷けば四畳半ほどの広さだろうか。部屋の三面は壁で、一面が障子戸になっている。戸棚、押入の類は見当たらない。そして隠者の草庵にふさわしく、部屋には物が少ない。無辺自身の持ち物であろう
「ない」
と、村重が呟く。
「ない、とは」
助三郎が思わず尋ねるのに、村重は答えなかった。
村重は、
十中八九、持ち去られた。だが、まだそう決めつけるには早い。動揺を押し殺して、村重は助三郎に問う。
「秋岡四郎介は、どこで討たれた」
助三郎はしたたる汗を拭うことも出来ず、血染めの手をどうしたものか
「外でござりまする」
「案内せよ」
「は」
助三郎が廊下に出ると、村重は郡十右衛門に耳打ちする。
「密書を捜せ。あらば、おぬしが持て。誰ぞが読んだ跡がないか
「もう一つ。……無辺には寅申を渡した」
ふだん物に動じない十右衛門が、さすがに目を見開いた。
「あの名物を」
「うむ。じゃが見当たらぬ。賊が持ち去ったのであろうが、万に一つ、無辺が隠したということもある。手を尽くして捜せ。床下、天井裏、
「は。委細承ってござりまする」
硬い顔つきで、十右衛門は首を垂れた。
万に一つとは言ったが、村重は、無辺がこの衣足庵に寅申を隠したなどということは万に一つもないだろうとわかっている。あまりにもはかない望みを繫ごうと十右衛門に捜せと命じた、おのれの愚かしさが