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連載

米澤穂信「遠雷念仏」 vol.8

【連載小説】集中掲載 米澤穂信「遠雷念仏 中篇」 無辺に託した名器「寅申」の行方は? 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第三弾! #2-3

米澤穂信「遠雷念仏」

※本記事は連載小説です。
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 酷暑に力を得て、夏草は力強く生い茂る。まるで、暑気に打ちのめされる人の命を吸っているかのようだ。
 秋岡四郎介は、夏草の中に倒れ伏していた。隙なく鎧兜を着込んでいるが、鉄で守られていない内腿を斬られ、ついで喉を刺し貫かれている。鎧には喉輪も備わっているので、秋岡を殺した者はまず腿を斬り、倒れた秋岡の喉輪をめくって、とどめに喉を突いたのであろう。
「検めのため、仰向けにいたしてござりまするが」
 と、助三郎が言う。
「もとはうつ伏せにござりました」
 四郎介の刀は、鞘に納まったままだった。村重がく。
「四郎介は、ほかに打物を持っておったか」
「刀のみにござり申した」
 刀法に長けた四郎介にとっては、刀さえあれば充分だったのだろう。だが四郎介は、その刀を抜くことも出来ずに討たれている。戦場にたおれるなら誉れだが、坊主ひとりを守り切れずに討たれたとあっては、不覚のそしりは免れない。だが村重は、四郎介が不覚であったとは思わなかった。
「敵は、よほど腕が立つと見える」
「左様に存じまする。秋岡殿が、よもや……信じられませぬ」
 血の気のない四郎介の面を見下ろし、助三郎が沈痛に声を落とす。
 村重は四囲を見た。ここは、くさはらのただなかに建つ衣足庵の裏手に当たる。衣足庵は柴垣に囲まれていて、垣は表と裏手の二カ所で切られている。おりの類もなく、出入りを妨げるものはない。四郎介が倒れているのは、柴垣から十数歩ほど離れた場所である。
「助三郎。昨夜衣足庵の守りに就いてから、無辺らの骸を見つけるまでのこと、漏らさず話せ」
「は。ただ、殿。北河原殿もおられた方がよろしいかと」
 村重は訳も聞かず、
「そうか。ならば、場を移そう」
 と言った。

 衣足庵の裏手から、柴垣の外を通って表へとまわる。昨夜の警固に就いていた御前衆二人と、本曲輪から村重についてきた二人、北河原与作とその馬の口取りが、所在ない様子で立っている。十右衛門はまだ客間を捜しているようだ。場所を移すことも出来ず、村重らは立ったままでいる。日が昇り、草いきれとうんが立ち込めていく。
 助三郎が言う。
「それがしら四人は昨夜、本曲輪に忍び込んだ敵が捕らわれたのち、くみがしら郡十右衛門殿から、衣足庵を警固し無辺殿を守れと命を受けてござりまする。ここ衣足庵に着到いたすも、われが松明の用意なく。ただ、闇夜で松明を燃せばかえって敵を招くおそれありと秋岡殿が申され、もっともなこととわれら一同同心いたして、そのまま警固いたしてござりまする」
 衣足庵を守っていたのは、乾助三郎と秋岡四郎介、ほか二人の御前衆であった。かれらは衣足庵の四方に一人ずつ就いて、そのまま四方の草原を見張っていた。衣足庵の表を守ったのが助三郎、裏手を守ったのが四郎介である。
「それはよし。続けよ」
「未明までは何事もなく。およそ夜が明けた頃合いに、北河原様がおでになられ、無辺殿に会いたいとの仰せ」
 北河原与作は当然衣足庵の表から近づいたので、与作を止めたのは助三郎だった。
「それがし、誰も近づけるなと命を受けてござれば、北河原様と言えど通すわけには参らず。北河原様は押し通ろうとなされ、もんちやくするうち馬が暴れて、それがしとそこな口取りとで馬を押さえる間に、北河原様はするすると庵の中へ入っていかれ申した」
「そこからは、それがしが話そう」
 と、与作が言う。
「庵を訪ねて西念殿に案内を乞うも、聞こえてはおらぬご様子。されば不作法なれどやむを得ず上がりこみ、無辺殿を捜してござる。なにぶんこのような小さき庵にござれば捜す手間はござらねど、見つけてみればあの通りに」
 助三郎が話を引き取る。
「庵から出てこられた北河原様が無辺様生害と仰せになりましたので、それがしも踏み込みましたるところ、たしかに無辺様はあのご様子。これはいかぬと同輩を呼び集め、この二人はすぐに参じたるも秋岡殿の姿が見えず、これはいかにと捜しましたるところ、秋岡殿もあの通り、落命いたしおりてござりまする」
 村重はぎろりと助三郎らを睨む。
「おぬしら、夜通し、御前衆同士で声かけあうこともせなんだのか。呼びおうておれば、四郎介が討たれたことはとうに気づいたはず」
 助三郎ら、警固の御前衆は震え上がった。
「申し訳もござりませぬ!」
 たいと言えば、懈怠である。しかし村重は、助三郎らを強く責めるのは筋が違うとも思っていた。かれらの将は村重自身である。警固の方策を事細かに命じなかったおのれにも非はある。それに、かれらが声をかけあうことで、いち早く秋岡の死に気づいたとしても、しょせん無辺の死は避けられなかっただろう。
 衣足庵から十右衛門が出てくる。もの言いたげなその顔を見て、村重は助三郎らから離れる。小走りに近づいた十右衛門が、許しを得て村重に耳打ちする。
「寅申は、見つかりませぬ」
「そうか」
「無辺殿の袈裟の襟に、昨日の密書が縫い込まれてござり申した。ただ襟の糸はほどけおり、密書の封締が、わずかにずれてござりまする」
「読まれた、ということか」
「おそらく」
 ちっ、と村重は舌打ちした。衣足庵を囲む草原に目を向け、そこにいまだ敵が潜んでいるとでもいうように睨みつける。
「織田の手の者か。庵の裏手から近づき、まず四郎介を斬り、柴垣の切れ目から衣足庵に忍び込んで無辺を刺し……」
 密書を盗み見て寅申を奪い去った、と続くことばを、村重は吞み込んだ。
 敵は、かなりのれである。してみれば、寅申は既に城外に持ち去られたと見た方がよい。村重が黙ると、物を言う者はいない。虫の声も風の音もなく、ただはげしい陽光だけがあった。

 日が中天に上る頃、無辺の死を知らぬ者は有岡城中に一人もいなかった。決して出られぬはずの城の外からふらりと現れてほとけの道を説いた無辺は、城内のすべての人間にとって、救いそのものだった。極楽往生の約束などより、有岡城は織田の海に囲まれたるいではなく外と繫がっているのだという思いこそが、救いだったのだ。だが無辺は死んだ。城中に入り込んだ織田の手の者の仕業であろう、という噂も流れた。村重が固く守らせたにもかかわらず、敵はその守りをものともせず無辺を殺したのだという流言も、ひそかに流れた。織田の手が届かぬところは何処にもなく、荒木が守れるものは何もない──兵も民も、口にはせずとも、そう思った。
 村重は本曲輪の屋敷に戻った。大広間のしとねに、だいみようじんはちまんだいさつの軸を背にして、胡坐あぐらを組んでいる。村重の前には、郡十右衛門が平伏していた。
「十右衛門」
 と、村重が口を開く。
「おぬしが無辺に密書を渡した折のことを、話せ」
「は」
 十右衛門は大広間に入る前に、小者たちから村重の用向きを聞かされていた。それだけに、かれは迷いなく話した。
「それがしが殿から密書を預かり、衣足庵の無辺殿にそれを届けたのは、まだ日が暮れる前のことにござりました。馬を駆って衣足庵に赴き来意を告げましたるところ、西念殿が戸口に出たものの、耳が遠く要領を得ず。ほどなく無辺殿が来られたゆえ、内密の事ありと伝え、客間へと通されてござりまする。密書を渡したのみで、話はしておりませぬ」
「その折、客間に行李はあったか」
 十右衛門は答えない。
「どうした」
「申し訳もなきこと。密書の受け渡しに気を取られ、行李がありかなしか、しかとは思い出せませぬ」
 十右衛門の声には焦りがにじむ。村重は顎を撫で、
「是非なきことよ」
 と言う。
「おぬしが使いに訪れた折、衣足庵には西念と無辺の二人だけか」
「それも、わかりませぬ」
「西念はあの通り、年老いて弱っておる。むかし昧霊寺にいた寺男が明け暮れの世話をしておったはず。名は何と言ったか……」
 十右衛門は勢い込んで答える。
「半左にござりまする」
「そうであった。半左はいたか」
「おりませず」
 村重の眉がわずかに持ち上がる。
「おぬし、衣足庵には二人だけであったかわからぬ、と言ったな。じゃが、半左がおらなんだことはわかるのか」
「わかりまする」
 と、十右衛門ははっきり答える。
「密書を届けた帰り、衣足庵へと続く一本道で半左とすれ違ったゆえ」
 村重は頷き、命じた。
「そうか。わかった。半左を捜し、連れて参れ」

 半左は生涯を昧霊寺の寺男として過ごし、生年は半左自身も含めて誰も知る者がないが、年は五十を超えていると思われた。人柄のいい男で、相手が小坊主でも俗人でも丁寧に応ずる一方、どんな高僧や貴人にもおもねるところがない。池田城が廃城になった折に昧霊寺は有岡城内に移され、半左も同じように移ってきた。本曲輪に連れて来られた半左は庭に通され、地べたに平伏する。村重は縁側を歩き、半左の前に立つ。
「半左か。久しいな」
 西念とは旧知の仲である村重は、半左とも顔を合わせたことがある。半左はかしこまるばかりで、何も言わない。
「直答を許す。半左、物を問うゆえ、心して答えよ」
「はーっ。手前のような者にわかることなら、なんなりと」
「昨夕、衣足庵へと続く一本道で郡十右衛門とすれ違ったと聞いた。相違ないか」
 半左は平伏したままぴくりともせず、ただことばだけを返す。
「郡様とは存じませぬが、たしかに馬上の御家来様とはすれ違ってござりまする」
 村重は、半左の慎重な答えが気に入った。
「よし。では、それから何があったかを克明に話せ」
「はー」
 そう答え、半左は考えをまとめるようにしばし黙り、ぽつぽつと話し始めた。
なかは昧霊寺での雑務がござるゆえ、衣足庵には朝夕の二度行きまする。昨日は夕の御用伺いに参じたところ、西念様は、よいは無辺様がお泊まりになる、その無辺様にお客人がいらしていると仰せになり、それはもう仰天いたしました」
 北河原与作も郡十右衛門も、西念とはまともにことばを交わせなかったと言っていた。だがふだん世話をしている半左には西念のことばがわかったというのはあり得ることだ、と村重は思った。
「取り急ぎ無辺様に挨拶に参じ、お客人に御酒など献じてもよいか伺ったところ、無辺様はそれは厳しいお声で、用はない、客はとうに帰ったと仰せにござりました。行を勤めるゆえ妨げるでないぞ、とも」
 客というのは密書を届けた郡十右衛門のことであろうが、無辺が半左に厳しい声を投げつけたというのは、どこか村重にはに落ちなかった。とはいえ、用人を相手にすると話しぶりが変わるというのは、世間にはざらにある話である。無辺の知らざる顔を見たようで、村重は何となく楽しまなかった。
「それからは水みなどいたしおりたるところ、客間からは薫香が漂い、無辺様は真言など唱えておいでのご様子にござりました。いちどかわやに立たれたのをお見かけいたしましたるところ、無辺様はそれはそれは険しいお顔つきで、生き仏と名高い無辺様も勤行の折はさすがに御熱心と、深く感じ入りましてござりまする」
「……続けよ」
「西念様のお許しを得て衣足庵を出ました頃には、もうとっぷりと夜にござりました。このようなことはしばしばにござります。手前は夜目が利く方で、星明かりがあれば慣れた道を戻るぐらいは造作もござりませぬ。そう、表に出た折、ずいぶん大柄な御家来様が立っておいでにござりました。もし、とお声をおかけしたら何者と叱られましてござりまするが、寺男の半左と名乗りますると、別段とがめもござらず。後は昧霊寺に戻って休むばかりにござりました」
 半左の物言いはなめらかで、ただの一度も言いよどむことがなかった。物覚えがよく、物おじもしない。顔を上げようともしない半左の頭を見ながら村重は、これで二十歳、いや十五歳若ければ登用して家中の雑務を任せたいところだが、と思っていた。
 半左には、帰り際に銭がいくらか与えられた。村重は大広間に戻り、乾助三郎を呼ぶよう小者に命じた。


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