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連載

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」 vol.9

【連載コラム】『日本のヤバい女の子』著者による、思考実験エッセイ はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」#9

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」

第九回〈怒ったときに思わず乱暴な態度と言葉遣いになるのはダメじゃないんじゃない〉



※乱暴な言葉遣いが出てきます。苦手な方はご注意ください。

「ダメじゃないんじゃない」と言いながら、冒頭から注意書きを入れてしまった。なぜなら乱暴な言葉遣いというものは、存在するだけで人を攻撃するからだ。
 私はどちらかというと言葉遣いが乱暴である。「おい、パチこくなや(こら、適当なうそをつくんじゃないぞ)」とか「ハシャいでんちゃうぞ(浮かれて調子に乗っている場合ではないぞ)」とか言ってしまう。一度ラジオに出させていただいたときなどは、しやべった言葉がそのまま電波に乗るのだと思うと冷や汗が出た。
 そんな私とルームシェアをしている友人は、突然の怒号や罵声が大の苦手である。生活を共にしているとムカついたりけんすることはお互いに多々あるが、ちょっとムカついたからといって前述のように心のままに叫んでいては、たとえ相手が怒号や罵声が得意なタイプだったとしても人間関係が破綻するだろう。
 というわけで、最近はいきなりキレずに「『今キレそうになってますよ』と警告するフェーズ」を挟むことにしている。こう書くとほんのりと不機嫌を匂わせて相手をコントロールしようとしているやばいヤツだと思われそうだが、そうならないようになるべく間抜けなサインを採用した。すなわち、中腰になって両手を体の横に広げ、拳を握りしめながら全身をプルプルと震わせる漫画的ジェスチャーである。相手がこの状態になっているのを見かけると、「はっ! そういえばアレを出しっぱなしにしているの、今週に入ってからもう1000回目だったな」とか、「やべっ、今週は10000:0くらいの比率で家事をやってもらっていたな」と気づき、キレ本番を回避できるという寸法だ。キレの前夜祭のようで私もルームメイトも気に入っている。
「普通に口頭で指摘しろよ」というご意見もあるかもしれないが、「今週に入ってから7回目」とか「8:2の比率」程度ではこのフェーズには至らないため、悠長に構える段階はとうに過ぎている。関係を続けていきたいからこそ、穏やかでないときにも円満に怒りを伝え合う方法を模索しているのだ。

 しかし、こんな風に「円満に……」と気を回していられない事態に直面することが、生きているとときどきある。それは普通に身の危険が迫っている場合だ。
 引き続き言葉が乱暴で恐縮だが、のっぴきならない状況により伝え方や言葉遣いに気を回せなかった事例を紹介したい。

①「お前はいつまでってもそんなんやから、いつまで経ってもそんなんやねん!」
 これは駅のホームにて、高齢の男性に後ろからおそらく故意にぶつかられ、「痛いな! ボケ! 謝らんかい!」と絡まれたときの私の返答である。おそらく故意に、というのはホームにほとんど人がおらず、偶然や過失でぶつかるような要因が見当たらなかったため判断した。とつのことですいこうできず前後で文言がかぶっているが、「言い返してこなそうな人を選んでわざとぶつかるような根性だから、成熟した年齢になっても言い返してこなそうな人間を選んでわざとぶつかることしかできないような人間のまま成長できないのだ。今すぐ自省し、そういった行為をやめろ」というメッセージを短くしたものだ。

②「お前、ナメとんのか? ナメとったらどういうことになるか分かっとんのやろな? 覚悟の上やろな? どういうことになるか言ってみろや! オラ!」
 これは朝の住宅街にて、高齢の男性に歩道に車を横付けされ「なあ……姉ちゃん……オメコしよや……」と声をかけられたときの私のリアクションである。「今、お前は、そういう声かけをされたときに私が感じるであろう不快感を全く無視し、自分の思い通りに私を行動させようとしたな? 行動を支配し、思考の自由と安全を脅かし、思い通りに行動させようとした……ということは、私に生きることを放棄させようとするも同然である。つまり、私という人間の魂を殺してもいいと宣言したようなものである。人の魂を抹殺してもいいと考えているからには、自身が同じことをされても後悔はないのだろうな。お前がしていることは、それくらい重大なことだと反省するべきだ」というメッセージを短くしたものだ。

③「何しとんねん、どつきまわすぞ! このクソカスが!」
 これは夜道にて、自転車に乗った中年男性につかみかかられたときの私の反応である。こちらは特にメッセージはなく、言葉通りの意味だ。

 それぞれシチュエーションは異なるが、3パターンとも普通に身の危険が迫っており、真剣にのっぴきならない状況だった。3パターンとも、相手が始めたアクションを中断させ、安全を確保するために発した言葉だ。

 しかし、私の対応は眉をひそめられた。①②は直後に会った知人、③は通報を受け駆けつけてくれた警察の方によると「ちょっと言い過ぎなのでは」「そんな言い方はよくないのでは」とのことだった(とはいえ警察の方はとても親身になってくれた)。
 この「言い過ぎ」「言い方がよくない」というのが、不思議なのである。
 エレガントな言葉遣いでなかったことは確かだが、しかし──普通に身の危険が迫っているときに「この言い回しは失礼過ぎるかな」などと気にする余裕があるだろうか?

「苦情申し立てをする際に乱暴な態度や言葉を使うのはいかがなものか?」というように、主張そのものではなくその際の態度や言葉遣いを批判することは、トーン・ポリシングと呼ばれている。


苦情の内容も分かるけどさ、相手が誰であれ、そんな態度と言葉遣いはよくないのでは?

そんな態度と言葉遣いをするなんて、人間性が知れちゃうな。

あなたが怒っている相手と同レベルなのでは? どっちもどっちなのでは?

そもそもそんな態度と言葉遣いをするような人間性だから、そんな目に遭ったのでは?

人間性に問題がある人の主張を果たして聞く必要があるかな?

というか、聞いてあげたとしても、そんな態度と言葉遣いじゃよく分からないなあ。


 ……という論調で話がどんどんずれていき、なぜか最初の苦情は後回しになる。
 ここには2つの課題が存在する(あるいは2つの課題が存在するかのように見せかけられている)。

(1)Aという行為をやめてほしい。Aという行為をされて嫌だ。Aにショックを受けている。
(2)Bという態度と言葉遣いをやめてほしい。Bという態度と言葉遣いが嫌だ。Bにショックを受けている。

(1)の主張をしているときに(2)をもつて割って入り、後から被せて注意することは、(2)を優先して(1)を軽んじることになる。(2)をクリアしなければ(1)の話はできませ~ん、というわけだ。この「そもそも論」は、実は全く「そもそも」ではない。なぜなら(2)は(1)によって発生しているからだ。既に(1)が起きてしまっているなら、まずはとにかく(1)を解決しなければならない。

 例えば、私は裁縫がとても苦手だ。家庭科の成績は10段階評価で【2】だった。それなのに一念発起してミシンを使おうとし、親指の爪にミシン針が刺さったことがある。自分の爪と一緒にミシン針が規則正しくダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダと上下するのを見て、私は思わず「ぎょえーーー!!」と叫んだ。「どひゃーーー!!」とか「おげーーー!!」とか「ばかーーー!!」とか「クソがーーー!!」とかだったかもしれない。痛いし、怖いし、ショックだし、動揺していたので覚えていない。
 この場合、ミシンは何も悪くない。私が家庭科【2】なのにミシンを使おうとしたのが悪い。それでも「痛いのは分かるけどそんな下品な悲鳴を上げない方がいいよ」と言われても「確かに……」とは思わなかっただろう。「あの、ミシンさんが良かれと思って針を動かしてくれているのは分かってるんです。クソがなんて言ってすみません」と謝罪することもないだろう。そんなこと、考えている暇も余裕もない。(1)親指の爪にミシン針が刺さっている真っ最中に、(2)「ぎょえーーー!!」という物言いの良ししを検証しても、穴の開いた爪は絶対に元に戻らない。それより一刻も早くスイッチを切り、ばんそうこうを貼ったり病院に行くべきだ。ばい菌が入ったらのうするかもしれない。
「ミシン針が刺さる」という100%私の落ち度によって引き起こされた事態でもそうなのだから、「通りすがりに普通に身の危険を感じる」という100%落ち度のない事態ならなおさらだ。身の危険(A)によって態度と言葉遣い(B)が引き起こされているなら、まずはAを解決しなければならない。既に親指には針が刺さっているのだ。



 ちなみに、態度と言葉遣いを言われた通りに変えればそれで終わりかというと、全くそうではない。「言い方に気をつけろ」の次には「エビデンスを持ってこい」「想像できるようにうまく説明しろ」が続く。しつこくミシン針に例えると、「本当に親指が痛いという証拠は?」「痛さが伝わってこない」というあんばいだ。
 これらの要望に全て対応した本が1冊ある。韓国の作家、チョ・ナムジュ氏による小説『82年生まれ、キム・ジヨン』だ。言うまでもないが、韓国では130万部以上売れた大ベストセラーのフェミニズム小説で、2018年にちくしよぼうから日本語版が刊行された。「ごく普通」の生活を送る33歳の専業主婦キム・ジヨンが、生まれてから進学し、就職し、結婚し、退職し、出産し、子育てをする中で社会構造によって抑圧され、精神科に通う……というストーリーだ。

『82年生まれ、キム・ジヨン』はすごい。小説の形を取っているが、数ページに1度の頻度で、あらゆるデータがさりげなく紛れ込んでいる。韓国現代史が一般家庭にどんな影響を与えたか、「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定されたのはいつか、産児制限政策による男女出生比率の推移、就職採用情報サイトが調査した女性採用比率の推移、出産した女性勤労者の育児休暇取得率の推移、etc、etc、とにかく事実ベースの数字がちりばめられている。一般家庭の生活を盗撮して放送し、定刻になると自然な日常会話に見せかけて商品のコマーシャルを入れるテレビドラマをテーマにした映画『トゥルーマン・ショー』よりももっと自然に、数字が紹介される。
 数字は細やかなストーリーの中に練り込まれている。キム・ジヨンがどんな半生を送ってきたか、痴漢にった子供時代に父親に何と言われたか、学生時代にどんな風に男子学生から品定めされたか、キム・ジヨンの母親が男児を産むために女児をたいしたときいかに誰も寄り添わなかったか、などが物語として語られる。さらに社会構造に乗っかっている夫や義両親の人生ものぞかせることで、「うんうん、みんな大変だよね。でもね……」と高い視座から事実を突きつけている。

 ん? この形式、どこかで……と私は思った。
 もしかしてこれは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社)ではないか?
 言うまでもないが、『もしドラ』とは2009年にブログをきっかけに刊行された、かわいらしいイラストが表紙のビジネス書である。ごく普通の高校2年生であるかわしまみなみは思わぬことから野球部のマネージャーを務めることに。偶然出会ったピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』にヒントを得ながら、部員のモチベーションや人間関係の確執など様々な課題を解決し、鳴かず飛ばずだったチームを甲子園へ連れて行く……というストーリーだ。
『もしドラ』はすごい。小説の形を取っているが、数ページに1度の頻度で、ドラッカーのマネジメントがそのまま紛れ込んでいる。ドラッカーは細やかなストーリーの中に練り込まれている。
 なぜそんなことをするかというと、うまく説明するためだ。事実ベースの情報とストーリーを同時に提示することで、読者はエビデンスを正確に把握し、豊かに想像できる。

 つまり、『82年生まれ、キム・ジヨン』は最大限に「言い方に気をつけろ」「エビデンスを持ってこい」「想像できるようにうまく説明しろ」という要求を満たしているのだ。なぜそんなことをするかというと、とにかく親指に針が刺さっていることを伝えたいからだ。ちょっと爪に穴が開いて血が出るどころではない、巨大な針が。
 それでも『82年生まれ、キム・ジヨン』の読書レビューには「ごく一部の女性に起きている、ごく一部の出来事を、全体であるかのように誇張しているだけ」というようなコメントがいくつもついている。「言い方に気をつけろ」「エビデンスを持ってこい」「想像できるようにうまく説明しろ」をクリアしても、次は「それは事実ではない」が待っている。要するに、言い方に気をつけなくてもいいということである。
(ついでに、ドラッカーと最もかけ離れている、ドラッカーを読んでいたら最も意外な存在として「引き」を演出するために「女子高校生」が選ばれた背景についても考えようと思ったが、今回はやめておこうと思う。「せっかくここまで聞いてやったのに、態度が悪い」と言われるかもしれないから。)

 さて、冒頭の事例が方言満載なのでお分かりかと思うが、私は関西で生まれ育った。
 おそらく関西の人間に「乱暴な態度と言葉遣い」について問えば、大多数の人がよしもとしんげきの鉄板ネタを思い浮かべることと思う。2019年に亡くなったやまスミ氏からやすえ氏に受け継がれた、「温厚でかよわい女性が突然めちゃくちゃにキレる」という芸だ。ゴロツキに捕らえられ人質にされたやすえ氏が突然それまでのおっとりとした態度をひようへんさせ、「おどれら、何してけつかるねん」「ナメとったら頭スコーン割ってストローで脳ミソ吸うぞ」「南港に沈めたろか」とたんを切る。ビビったゴロツキが逃げ出すと、やすえ氏はすぐに元のキャラクターに戻って「怖かったぁ~」とおびえた様子を見せる。それを見た共演者たちが「いやいや、怖いのはアンタやがな!」とツッコむ。
 巻き起こる爆笑。
 しかし、果たして怖いのは「アンタ」なのだろうか。やすえ氏の生まれ持った気質がどんなものでも、ゴロツキが彼女をしようとしなければ、それが披露されることはなかったに違いない。
 そして自分を守るためにエマージェンシーの中で発せられる態度と言葉は、本当に「怖い」のだろうか。「怖い」ことはみな一様にツッコまれ笑われることなのだろうか。むしろ恐怖と怒りを伝えて自分自身を守るため、これ以上ないほど「気を付けた」結果ではないだろうか。

 思いがけず「苦情の内容も分かるけどさ、相手が誰であれ、そんな態度と言葉遣いはよくないのでは?」と言われたときのために、私は毎日、口の中でもごもごと練習している。
 おどれら、何してけつかる。おどれら、何してけつかる……。

つづく

「カドブンノベル」2020年9月号より


「カドブンノベル」2020年9月号

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