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連載

青崎有吾「坊主衰弱」 vol.3

【連載小説】ミステリ界の旗手・青崎有吾が贈る頭脳バトル小説第2弾!「坊主衰弱」#3

青崎有吾「坊主衰弱」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 信号待ちに差しかかったらしく、先輩の息切れが止まった。私はカフェの前で携帯を耳にあてたまま、ぽかんと口を開けていた。
『おまえさっき、店主の指示をいろいろ聞いただろ。妙に思わなかったか? 閉店中の札なんてものは店主が自分でかけ替えるのが普通だ。それにどの百人一首でもゲームはできるのに、奴はメーカーと箱の場所まで正確に指定した。こだわりがあるならカウンターを出て自分で取ったほうが簡単なのに、わざわざおまえに取らせた』
「……言われてみれば」
『射守矢は妙に思ったんだろうな。おまえから箱を受け取ったとき、あいつが箱の下の角にベリーソースをつけるのを俺は見た』
「ソース……チーズケーキの?」
 ぜんぜん気づかなかった。でも確かにあのとき、私は真兎に箱をパスした。真兎が「ヘイ鉱田ちゃん」と手を伸ばしてきたから。
『もちろん微量だがな。そのあと箱がどうなったか思い出してみろ』
 あの箱は旗野さんの手に渡り──そして一度、彼の手元に消えた。カウンターが邪魔になり、私たちの視界からは隠れた。
 次に現れたとき、箱はふたが開けられていて。真兎はその箱を手に取り、下から覗き込むように眺めていた。
『現れた箱の角にソースはついていなかった。ということは、カウンター内で箱がすり替えられた可能性が高い』
「カウンターの内側に同じ箱がもうひとつあった……ってことですか?」
『そう。奴のじようとう手段なのだろう。口実をつけて客を棚のほうへ行かせ、ついでを装って箱を取らせる。自分たちで取ったという記憶が妨げになり、客の頭にはフェアが印象付けられる』
 でも実際には、カウンターの内側で箱がすり替えられている──
『すり替わった箱の絵札にはおそらく細工が。店主は仲間内でよく遊ぶとも言っていた。大方坊主衰弱で賭けでもやってるんだろう。確実に勝ち、仲間から金を巻き上げるためのイカサマゲーム。酒の席ではありがちな話だ』
 だから先輩は真兎を止めようとしたのか。「わかってると思うが」は箱のすり替えを指した言葉だったのだ。
「でも、細工ってどんな」
『あのシチュエーションからならほぼ絞れる。たぶん札の側面だ』
 信号が青に変わったらしく、駆けだす音と「通りゃんせ」のメロディーが聞こえた。
『〈狸光堂〉の札は通常よりかなり分厚く、側面に印をつけやすい。それに札はすべて同じ方向──俺たちから見て上下が逆さになる向きで並べられていた。したがってゲーム中、基本的に札の下側の側面は店主からしか見えない。客側が手札にした場合でも普通は札を下から覗き込んだりしない。おそらくその下側の側面に、よく見ないとわからない程度の点や傷が刻まれている。〈姫〉なら一つ、〈坊主〉なら二つといった具合にな。二ターン消化して射守矢も同じ結論に達したようだ』
 ゲーム開始前。真兎と椚先輩は札の並べ方を不自然なほど注視していた。
 最初のボーナスタイムのとき。真兎は考え込みながら、手札にしたばかりの二枚を額にかざしていた。まるで札の下を覗き込むように。
 それに、札のめくり方。旗野さんのめくり方が横方向なのに対し、真兎のめくり方は縦方向だった。縦にめくれば札の上下が逆になるので、真兎にも下側の側面が確認できる。真兎がミスしたとき、素早く手を伸ばして札の向きを戻したのは? 旗野さんだ。思い返せばいろいろと、水面下で行われていた攻防が見えてきた。
 真兎があえて先攻を選んだのもこのためかもしれない。一刻も早く各札の側面を確認し、イカサマを確かめる必要があったから──
『カウンターを挟んだ勝負、というのがミソだ。カウンター内は店主の領域だから客は心理的に入りづらい。相手に後ろに回り込まれたり、ふところの中を確かめられる心配はない。カジノならバレるようなイカサマでもあの店内でなら通る』
「じゃ、旗野さんには絵札の種類が全部……」
『見えてるだろうな』
 ひとけのない通りに私の叫びが響いた。ずっるう、という声が。
「なんですかそれめっちゃずるいじゃないですか! 止めましょうよそんな勝負!」
『射守矢は止める以外の方法で勝つつもりのようだ。……着いた。もう切るぞ』
 通話が終わった。着いたって、どこに? 勝つって、どうやって? スマホの画面には頰の汗が移っていて、私はブラウスの端でそれを拭いた。
〈CLOSED〉のドアを開け、冷房の中に戻る。
 ゲームは順調に進んでおり、三分の一くらいの伏せ札が減っていた。安木さんが寄ってきて現状を教えてくれる。
「いま射守矢さんの番。勝ってるよ。マスターもう三回も〈坊主〉引いててさ、運悪いみたい」
 真兎の手札は十枚ほど。対する旗野さんの手札は四枚で、捨て場には二十枚弱が溜まっていた。
 真兎はのんびりした動作で札をめくる。きよはらのもとすけしきぶのない。〈男〉と〈姫〉のミスで、ターンが移る。
「〈姫〉は確かさっきも出てたな。ええと、どこだっけ……」
 旗野さんはひげをでながら、中央付近に片手を伸ばす。さまよう指が引き当てたのは──せん法師。〈坊主〉だった。
「うわあ」と、彼はうめいた。「マジか。やばいな、今日はついてないぞ……」
 手札プラス坊主の五枚が捨て場へ送られ、真兎とさらに差がついた。旗野さんは困ったように額を押さえ、かるた部の面々からはくすくす笑いが漏れる。
 私の目には、さっきまでとはまるで違った景色が映っていた。
 旗野さんにすべての札が見えているなら、いま〈坊主〉をめくったのはわざとで、悔しがるのもただの演技だ。彼はやろうと思えば〈坊主〉を一枚もめくらずに勝つことができる。が、それだと「運がよすぎでは?」と相手や周囲に怪しまれてしまう。だからゲーム中、ある程度〈坊主〉を引く必要がある。
 どうせ引くなら、ゲーム序盤に連続して引くのが一番よい。手札もあまり溜まってないからダメージが少ないし、中盤以降に自然な形で逆転もできる。何より、相手や周囲に「運が悪い人」という印象を刻むことができる。そうしておけばゲーム終盤、〈坊主〉を一枚もめくらず勝つというミラクルが起きても、たいして疑念を持たれることはない。前半の揺り戻しがきたのかな、ツキが回ってきたのかなと、そんなふうに思われるから──
 いつの間にか頰がまた汗ばんでいた。やっぱり旗野さんはやり慣れている。このゲームと、この不正を。
 とりあえず私は、安木さんに真兎からの〝おねがい②〟を送ることから始めた。文面はすぐかるた部のグループLINEに共有されたらしく、全員がいぶかしげな顔で勝負を見守るだけになった。
 真兎はまた頰杖をついている。その手からも頰がなかばずり落ちて、手首でなんとか支えている、みたいな状態。昼休みにスマホをいじっているときと何も変わらぬ姿に思えた。イカサマに気づいていると椚先輩は言ってたけど、本当にそうなのだろうか。何が起きても絶対驚くなと指示にはあったけど、何をするつもりなのか……。
 答えがわかったのは十分後で、私は思わず声を出しそうになった。

〈かるたカフェ〉のマスター旗野には、ささやかな夢があった。
 店を上質にすること。金を稼ぎ、内装やメニューを凝ったものにし、テレビやネットで採り上げられ、競技かるたの選手や、引退した名人や、読手や作家や歴史家──業界の著名人に訪れてもらう。やがて彼らは常連となり、あたたかな日差しが降り注ぐ朝、ドアベルを鳴らした彼らを旗野は笑顔で出迎える。この店はかるたの新たな聖地となる──
 そのビジョンには、あそびでかるたをやっているだけのキャーキャーうるさい近所の女子高生なんて、もちろん含まれていない。
 時計を見る。四時三十分。掃除や料理の仕込みもあるのに、心底無駄な時間だった。やはり五十枚勝負にしておけばよかった。
 何枚だろうと、僕が勝つことは決まっているのだから。
「どーれーにーしーよーうーかーな」
 カウンターに伏せられた札は残り三十枚ほど。勝負を持ちかけてきた射守矢とかいうちゃらけた女子は、毎ターンごとにうなったり祈ったりしてめくるのに時間をかけていた。札の位置を覚える気もあまりないらしい、見た目どおり頭が悪い。
 両者の手札は射守矢が四十枚、旗野が二十枚、捨て場の蓄積は十枚弱。依然射守矢がリードしている状況。だが、これはフェアに見せるための演出だった。数ターン前から旗野は〈坊主〉を取ることを避け、射守矢の自爆を待っていた。そしていま、地雷は踏まれようとしている。天の神様が選んだその右から二番目の札は〈坊主〉だ。旗野にはちゃんと見えている。
 めくられたのはどういん法師だった。
 思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり──おもい人のつれなさに、耐えきれずこぼれた涙を詠んだ歌。
 射守矢は「あらま」とつぶやき、ギャラリーはがくりと肩を落とした。四十枚の大量蓄積が捨て場へ送られる。
「あはは、残念だったね。さて、〈姫〉は確かこのへんにあったはず……」
 軽快に言いながら旗野は選択する。札ではなく、この先のゲームの展開を。
 坊主はいまので十枚目、場には残り三枚。自分もすでに何度か引いたし、これ以上は引かなくても怪しまれまい。〈姫〉ペアを取り、勝ち逃げ状態に入るとしよう。
 そう、旗野にはすべてが見えていた。
〈姫〉と〈坊主〉の札の下側の側面に、札の色とほぼ同じ深緑のマーカーで、小さな点を打ってある。〈姫〉には一つ、〈坊主〉には二つ。これによって〈男〉〈姫〉〈坊主〉全種類の位置と残り枚数を把握できている。札の下側はすべて旗野を向く形で並べられているので、射守矢からは基本的に見えない。目に入るとすればめくった瞬間くらいだが、その一瞬でられる心配はない。知っている者にとっては一目瞭然だが、知らなければ絶対に気づけない──そんな絶妙な差異なのだ。
 旗野は毎回この方法でゲームに勝ち、仲間から金を集めていた。ステップアップのための必要悪。今回の勝負も目的は同じで、邪魔なガキどもを追い払うためだ。
 萌葱色の海の上で指を漂わせる。ふと、何年も前の記憶がよみがえった。名人戦予選の一回戦。当たったのは無名の高一で、背後で祈るようなポーズを取る友人たちが目障りだった。大学四年で部のエースでもあった旗野に負ける要素はなかった。なかったのだ。なのにどうして、あんな、ガキのくせに──
 カラン、とドアベルが鳴った。
 椚とかいう生徒会の男子が戻ってきた。忘れ物を取りにいくとか言っていたか、走って往復したらしく汗だくだった。彼はすぐこちらに来て、射守矢の後ろからカウンターを覗く。
「戦況は」
「残り二十九枚です」
 自軍絶対不利の状況だったが、椚はなぜかほっとしたように息を吐き、射守矢の右手側のカウンター席に座った。ふと気づくと、射守矢の友人らしき女子も二つ左に座っていた。旗野は内心で舌打ちする。座るなら何か注文しろよ。
「えーと、〈姫〉は……確かこれだ」
 二列目、左から五枚目。点が一つ打たれた札をめくった。じよういんの讃岐さぬき。当然〈姫〉だ。
「よしよし。そしてもう一枚が……これだったかな」
 三列目、右から八番目。むらさきしき。これも数ターン前に一度めくられた札なので、幸運を演出する必要はなかった。
 できた〈姫〉ペアと捨て場の五十枚が、すべて旗野の手に渡る。これで差は、約七十対ゼロ。
 かるた部の女子たちはぽかんと口を開け、椚は硬い表情で、射守矢は薄く笑っていた。百対ゼロで勝ちます、と宣言したゲーム開始前と同じように。
 ブラフスマイルという言葉が頭をよぎり、旗野も頰を緩ませた。こちらは見かけ倒しではなく、心底からの嘲笑だった。
 十枚ごとに出禁解除? 百対ゼロで勝つって?
 おまえには十枚だって取らせてやるもんか。

#4へつづく
◎「坊主衰弱」全文は「カドブンノベル」2020年11月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年11月号

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