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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.46

【連載小説】排外主義が盛り上がるこの日本。開催が危ぶまれたサンバ・カーニバルが開幕し、彼女は踊る。真藤順丈「ビヘイビア」#12-3

真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
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 そしてホイッスルの音が、パーカッションの演奏が聴こえてくる。
 手拍子、足踏み、腕や腰をひっくるめた全身の躍動が渦となり、せん状の響きとなって地面を揺らしはじめる。
 数日前の騒ぎの直後には、開催も危ぶまれたが、それでも日本最大のサンバ・カーニバルは浅草の夏の風物詩にもなっている。実行委員会は決行に踏みきって、大幅にタイムスケジュールを調整して、パレードの動線も絞りに絞りこみ、沿道にとどまる客の数を限定することにして、委員会から出す警備の数をおよそ三倍に増員したうえで当日を迎えていた。
 正午前からスタートした祝祭は、例年にない胸騒ぎを参加者にも常連客にも与えていた。危険行為におよぶ者はかならず出てくる。目には見えないし、音にも聞こえないが、祭りの高揚感とはまったく質の異なる殺気立った気配が張りつめている。ふいにクラクションを鳴らされた。交通整理にいらった一般の車が、路地を横切ろうとしたガフの前を猛スピードで通過していった。何ごともなく終えられるはずがない、と肌があわつような恐れが背筋を這い上がってきた。
 これでも制限されているのか、と思うほど路上には人があふれかえっている。濁流となった人の流れは、平穏な街並にあふれだした色とりどりの炎の行列のようだった。羽根飾りがたいまつのように見え、湧き出づる火はどこから来るとも知れない。最大の華となるパシスタ陣はひときわ盛大に燃えさかる装飾をまとっている。音楽と踊りとともにどこまでも果てることなくつづいていくパレードは、そのまま赤道をぐるりと一周して、故郷のブラジルまでへも永遠に行進していきそうだった。
 正午をまたぐカーニバルの冒頭は、実行委員会や地元のお子さまたちによるいわば露払いだと聞いていた。露払いでもうこの熱狂なのか、二時過ぎからのリーグチーム戦の時間になって、招待枠のエスコーラ・オリヴェイラがいよいよ出番となった。
「おお、カレンすごい……」
 そしてサンバの王女が、浅草の地に降りたつ。
 本場のトップ・パシスタとして、他のどの踊り手よりも衆目を集めている。
 あたかもたいかんの儀式に立ち会っているようだった。宝石をちりばめたかんむりにかぶさる羽根飾りも実寸以上に大きく見えて、じやくの羽根のように悠然とひろがる小宇宙を背負っているみたいだった。オリヴェイラの血を色濃く継いだその胸や尻は、浅草の男たちに新大陸を発見させた。恐ろしいほど引き締まった腹筋や腹斜筋をさらすタンガをまとっていて、隠すことなくおへその十文字を満天下に露出していた。
 稽古のときのあの見事な踊りですら、あくまで稽古だったんだと思わせる。いざ本番となって集中しきったカレンの踊りは究極の身体表現だった。両手の指が激しい残像をはらんで二十本にも三十本にも映る。その腕も、顔すらも、ヒンドゥー教のヴィシュヌやカーリーのように数えきれないほど増殖して見えるのだから自分の目を疑いたくなった。
 腰と膝とで滑らかなパッセージを渦巻かせ、それを紡ぐことで重力を克服し、自壊しそうな全身運動とともに雄弁に物語を語っていく。それはスコールのように沿道の見物者に降りそそぎ、その目を釘づけにして、思うままにカレンが人だかりへと進んでいっても、海が真っ二つに裂けるように進路が開かれる。その道はカレンだけに開かれている。
「傷があるからへそ出しできないじゃんとか言ってたけど、カレン、ふっきれたのかな」
 城之内もガフも行列に加わっていた。タイツ型の衣裳を着せられ、スティックで打つ金属楽器やバスドラムを持たされ、に交ざって列の後方についていた。カレンの踊りにふれると、ガフは自分も動きだしたくなる。残像を刻まれるように眼裏がうずきだし、巨大な踊りの波にどこまでもさらわれていきたくなる。
 これまでに幾度となくたどってきた歓喜のわだちをいまふたたび、力強くなぞって深めるようにカレンはその軌跡をつらねていく。カーニバルを支配し、後方にすべての見物客の眼差しを引き連れて、天上へと延びていく見えない階段を駆け上がるように運動を高ぶらせる。カレンがその気になれば、いつだってその階段の前まで躍り出られるのかもしれないし、歳月を費やしてようやくそこにたどりつけたようでもあった。
 カレンはその身心に刻みつけた物語を、自分たちが生きなくてはならなかった悲喜劇を、天上へとそっくり昇華させるように踊っている。彼の地をかつてせつけんしたという〈勝ち組〉と〈負け組〉の抗争をも思い起こさせた。
 エスコーラにまでおよんでいた対立を、たがいに攻撃しあってしばしば暴力沙汰にも発展していた大いなる内輪もめを、アナちゃんや風祭喜久子の世代がサンバによって平定した。重なり合って境界線のない一体感を、祝祭の真の多幸感をよみがえらせることで、いさかいが起こる以前の状態に人も街も立ち帰らせた。卓越した時代の担い手が、すばらしい踊り手がいたからこそ、リベルダージの人々は自滅してしまわず、瀬戸際で踏みとどまって、カレンたちの代まで存続することができた。
 たったいまこの国で起きている憎悪や不寛容は、当時のブラジルとも一脈通じるのかもしれない。勝ちそびれたことを受け容れられない人たち、負けていることを認めさせようと躍起になる人たち──それはガフが、ほんのすこし前に身をもって体験した出来事についても、おなじようなことが言えそうだった。
 はからずもこの世界の一部で生まれてしまった、世界全体をもろくも瓦解させるほどの恐ろしい悲劇は、目を覆わんばかりに凄惨な物語は、みずからその当事者となった踊り手たちと一緒に階段を上っていって、この星から有害な毒素を抜くように葬り去られる。生命を燃やしながら悪い物語を昇天させるために、世界をすこしでも生き長らえさせるために、カレンたちは、祝祭の担い手たちは踊っている。
「踊るほうに見る阿呆、って言葉があってだな」とつぶやいた城之内も、ガフと似たようなことを考えているようだった。「ようはメメント・モリってやつだ。踊り手たちはみんながみんな、死へ向かって行進している」
「ジョンノチさん、急に哲学者っぽくなったね」
「お前だって神妙な顔してたぞ。そろそろ自分の仕事しろ」
「哲学者じゃなくて探偵だからね、ぼくたち」

 サンバ・カーニバルにまぎれこんだある者たちにとって、列の中心となって踊るパシスタはかつこうの獲物だった。外国人が、移民が、純血の日本人以外が大手をふるうイベントの崩壊を望んでやまない者たちは、生けにえを欲する。その種の人間は、浅草の市街のあちこちに散らばっていて、特異にきわだった嗅覚を発揮する。他のどこよりも見物客の注目をほしいままにしている一団で、先頭に立ったなんだかものすごい踊り手に狙いをさだめて。
 顔を目出し帽で隠して、人波をかきわける。

 オリヴェイラ一家は、揃ってカレンにつづいている。ベアトリスは演出家カルナヴアレスコとなり振付師コレオグラフアーとなってエスコーラ全体を統括し、たちとともにみずからもサンバに欠かせないバイアーナの隊列に加わっていた。
「ソロは、カレンに任せたわ」
 フレア状のスカートの裾をひるがえしながら母はつぶやく。
 ガフと城之内は、バイアーナの隊列の先へと進み出る。

 ウンベルト祖父ちゃんの監督により、動く宮殿か祭壇のようなウルトラバロック風の山車アレゴリアも出されていた。サンバの王族ロイヤル・フアミリーの面目躍如といえそうなネオンぎらぎらの象徴シンボルがゆっくりと前へ、前へと進んでいる。ガフと城之内は、山車アレゴリアも追い越して最前列へと向かった。
 オリヴェイラ家総出だったが、そこには一人の男の姿がなかった。

▶#12-3へつづく
◎第 12 回全文は「カドブンノベル」2020年12月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年12月号

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