【連載小説】排外主義が盛り上がるこの日本。開催が危ぶまれたサンバ・カーニバルが開幕し、彼女は踊る。真藤順丈「ビヘイビア」#12-3
真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
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そしてホイッスルの音が、パーカッションの演奏が聴こえてくる。
手拍子、足踏み、腕や腰をひっくるめた全身の躍動が渦となり、
数日前の騒ぎの直後には、開催も危ぶまれたが、それでも日本最大のサンバ・カーニバルは浅草の夏の風物詩にもなっている。実行委員会は決行に踏みきって、大幅にタイムスケジュールを調整して、パレードの動線も絞りに絞りこみ、沿道にとどまる客の数を限定することにして、委員会から出す警備の数をおよそ三倍に増員したうえで当日を迎えていた。
正午前からスタートした祝祭は、例年にない胸騒ぎを参加者にも常連客にも与えていた。危険行為におよぶ者はかならず出てくる。目には見えないし、音にも聞こえないが、祭りの高揚感とはまったく質の異なる殺気立った気配が張りつめている。ふいにクラクションを鳴らされた。交通整理に
これでも制限されているのか、と思うほど路上には人があふれかえっている。濁流となった人の流れは、平穏な街並にあふれだした色とりどりの炎の行列のようだった。羽根飾りが
正午をまたぐカーニバルの冒頭は、実行委員会や地元のお子さまたちによるいわば露払いだと聞いていた。露払いでもうこの熱狂なのか、二時過ぎからのリーグチーム戦の時間になって、招待枠のエスコーラ・オリヴェイラがいよいよ出番となった。
「おお、カレンすごい……」
そしてサンバの王女が、浅草の地に降りたつ。
本場のトップ・パシスタとして、他のどの踊り手よりも衆目を集めている。
あたかも
稽古のときのあの見事な踊りですら、あくまで稽古だったんだと思わせる。いざ本番となって集中しきったカレンの踊りは究極の身体表現だった。両手の指が激しい残像をはらんで二十本にも三十本にも映る。その腕も、顔すらも、ヒンドゥー教のヴィシュヌやカーリーのように数えきれないほど増殖して見えるのだから自分の目を疑いたくなった。
腰と膝とで滑らかなパッセージを渦巻かせ、それを紡ぐことで重力を克服し、自壊しそうな全身運動とともに雄弁に物語を語っていく。それはスコールのように沿道の見物者に降りそそぎ、その目を釘づけにして、思うままにカレンが人だかりへと進んでいっても、海が真っ二つに裂けるように進路が開かれる。その道はカレンだけに開かれている。
「傷があるからへそ出しできないじゃんとか言ってたけど、カレン、ふっきれたのかな」
城之内もガフも行列に加わっていた。タイツ型の衣裳を着せられ、スティックで打つ金属楽器やバスドラムを持たされ、
これまでに幾度となくたどってきた歓喜の
カレンはその身心に刻みつけた物語を、自分たちが生きなくてはならなかった悲喜劇を、天上へとそっくり昇華させるように踊っている。彼の地をかつて
エスコーラにまでおよんでいた対立を、たがいに攻撃しあってしばしば暴力沙汰にも発展していた大いなる内輪もめを、アナ
たったいまこの国で起きている憎悪や不寛容は、当時のブラジルとも一脈通じるのかもしれない。勝ちそびれたことを受け容れられない人たち、負けていることを認めさせようと躍起になる人たち──それはガフが、ほんのすこし前に身をもって体験した出来事についても、おなじようなことが言えそうだった。
はからずもこの世界の一部で生まれてしまった、世界全体をもろくも瓦解させるほどの恐ろしい悲劇は、目を覆わんばかりに凄惨な物語は、みずからその当事者となった踊り手たちと一緒に階段を上っていって、この星から有害な毒素を抜くように葬り去られる。生命を燃やしながら悪い物語を昇天させるために、世界をすこしでも生き長らえさせるために、カレンたちは、祝祭の担い手たちは踊っている。
「踊る
「ジョンノチさん、急に哲学者っぽくなったね」
「お前だって神妙な顔してたぞ。そろそろ自分の仕事しろ」
「哲学者じゃなくて探偵だからね、ぼくたち」
サンバ・カーニバルにまぎれこんだある者たちにとって、列の中心となって踊るパシスタは
顔を目出し帽で隠して、人波をかきわける。
オリヴェイラ一家は、揃ってカレンにつづいている。ベアトリスは
「ソロは、カレンに任せたわ」
フレア状のスカートの裾をひるがえしながら母はつぶやく。
ガフと城之内は、バイアーナの隊列の先へと進み出る。
ウンベルト祖父ちゃんの監督により、動く宮殿か祭壇のようなウルトラバロック風の
オリヴェイラ家総出だったが、そこには一人の男の姿がなかった。
▶#12-3へつづく
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