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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.47

【連載小説】踊る彼女が、日本に来た本当の理由。会いたかったのは誰なのか。祝祭のなか曝された真実は。連載最終回! 真藤順丈「ビヘイビア」#12-4

真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
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 誰にも真似できない鮮烈なノ・ペを踏みながら、たしかにカレンはその眼差しをしきりに見物者のほうへと投げていた。
「捜してる人は、見つかりましたか」
「ガフ? いま話しかけんな」
「じつは風祭さんが、カルナヴァルのどこかに来ています」
「え、まだ見つかってないって」
「風祭さんではなかったけど、風祭さんでした。キクコさんではなくぼくたちはブルーナを見つけました。彼女はあなたもよく知っている、カルロス・フェレイラと親しくしていたんですよ。あなたとお兄さんはすごく仲が悪いけど、アッシュが日本に来ていたのもあなたとだいたい理由はおなじでした」
 主となる運動を旋律のように残し、空間をしびれさせるように踊りながら、カレンはガフたちにも面差しを向けた。昂揚こそすれ動揺するそぶりはない。すぐそばで王女のノ・ペを見ていると、骨にまで鳥肌が立つようだった。世界がぐらぐらと揺れて、激しい眩暈をおぼえてちょっとかがみこみたくなる。
 城之内がそこで沿道に手を振った。わざわざ遠くから足を運んでいるのは、風祭ブルーナだけではない。大泉町からはロドリゴとマルコ、鈴木マヌエルも来ている。いいぐらかたまちブラジリアン・ダンス・クラブの面々はエスコーラに参加しているし、秩父の老人ホームからはタクシーの迎車つきでむろこしさんも招待していた。城之内はこんなことを言っていた。探偵の大団円はこうでなくっちゃな──たったいまこの祝祭には、ブラジルと日本をまたいだ一つの謎をめぐる調査行で行き逢った人びとが集結している。ガフと城之内は一同の視線に見守られながら、初めから謎の中心にいた人物に、つかみとった真相をぶつけようとしていた。
「あなたもお兄さんとおなじ」とガフはつづけた。「ずっと前にいなくなったお父さんが日本にいることを知っていた。風祭さんの名前を出したのは、もちろん信頼できる日本人ジヤポネス・ガランチードへの敬意もあったけど、本当のところは〈お父さんにサンバを見せに行きたい〉と言っても絶対に動かない家族を動かすためだった」
「こんなときでないと、家族に聞かれないようにひそひそ話もできないからな」
「お父さんがどこで何をしているか、家族のなかできようだいだけが知っていた。そうですね」
 城之内とガフで、二人で挟むようにしてカレンの耳に言葉を吹きこんだ。はたからは違和感がないように、夢中になって腰と腰をぶつけたり、もろをあげて身を反らしてへこへこと揺れたりしながら。
「派遣業をしていたカルロスは、そのコネクションを使って自分自身もこっそり日本に渡っていた。出稼ぎが目的じゃなくて、地球の裏側に身を隠すためです」
鹿にも問い詰めたぞ。あいつもアッシュに抱きこまれて、父親と再会させるために動いてたらしい。アッシュのことだから、親父に会って何をどうするつもりだったのか、おおかた金の無心だったのかもしれないけどな」
「そもそもどうして、兄妹だけが行方を知っていたのか──」
「わかった! わかったよ! なにもかもブルーナに聞いたのね。隠してて悪かったよ」
「あなたのお腹の傷が、おやの運命を変えたんですね」
 事の発端はリベルダージにさかのぼる。犯罪組織とほとんど同一視されるエスコーラに出入りしていたのは、アッシュだけではなかった。父のカルロスも家族には伏せて、秘密裏に通じることで人材をあつせんしてもらい、日本に送りこんでマージンを組織に入れていた。
 鹿賀から聞いたあの事件──兄と妹の骨肉の争いがきっかけとなった騒動の直後に、避難していたホテルの一室でカレンはもういちど暴漢に襲われた。大事な体に刃物で深い傷を入れられて、出血多量で生死の境をさまよったが、意識を失う前にカレンは、アッシュの部屋から護身用に持ちだしていた拳銃でとっさに相手の頭を撃ち抜いていたというのだ!
 こうなると事態はおおごとになる。正当防衛などのロジックはの地では通用しない。カレンを襲ったのは、アッシュやカルロスが出入りしているエスコーラが送りこんだ刺客だった。リベルダージのサンバ業界で名声をほしいままにするオリヴェイラ家への見せしめ、カレンという命脈を絶つことで一家の歴史を途絶させ、カルロスを決定的に引きこむための示威行為だった。返り討ちにしたことが発覚すれば、組織から永遠に追いまわされる。エスコーラにかぎらず中南米の犯罪組織の恐ろしさや執念深さはここ数年でメディアにけんでんされ、カレンたちでなくてもよく知るところだった。
 うっかり射殺してしまった刺客の男は、ちょうどカレン襲撃を最後にして組織の仕事から足を洗い、リベルダージを離れて出稼ぎに行くことになっていた。そこでカルロスは書類をねつぞうし、偽名を騙って、死んだ男になりかわって日本に渡ることにした。
 指示どおりにカレンを傷物にして、その後に日本へ発ったことにすれば、追及の手は伸びてこない。カルロス自身は、女系一家に愛想をつかして逐電したことにすればいい。「母さんにもたちにも、家族の誰にも言うんじゃない」とカルロスは兄妹に言った。「それがおまえのため、オリヴェイラの名誉のため、おれ自身のためだ。なぁに、向こうでたんまり稼いでほとぼりが冷めたころに帰ってくるさ」
 数年を日本でやりすごして、エスコーラの幹部たちも代替わりするころに戻ってくるとカルロスは子どもたちに言い含めたが、海の向こうで待ちかまえる想像を絶する受難が、よもや父と子の運命を永遠に引き裂くとは思いもよらなかった。
 複数の叫びが、天に向かって放たれる。
 刺すようにヒステリックな叫喚、こうしようともえつともつかないごうこくが突き上がる。
 何かが、その一瞬で決壊する。祝祭のたかぶりは最高潮に達している。
 遅れずに行進しながら、ガフはカレンに語りかけつづけた。
「お父さんは帰るに帰れなかった。連絡も途絶えていたんでしょう。浜松でどんな運命をたどったか聞きますか。片足を切断する事故を起こし、労災にもありつけず、切った足がを発症して、避難用のシェルターの一室で冷たくなっていたそうで……」
「噓でしょう、噓だ。だってブルーナはそんなこと……」
「二人が電話したときには、まだかろうじて生きてたんだよ」
 城之内が言葉を継いだ。カレンの踊りが激しさも速度も増していく。
「だけど最期まで、オリヴェイラのサンバを観たがっていたって」
「こっちに来てからは、連絡はとらなかったんですね」
「あたしはただ父さんが、行方をくらませたって聞いて……キクコさんを捜せばいずれ、親父の居場所もわかるんじゃないかって……」
 ガフたちの視界で、カレンの足元が、あたかもしんろうのようにゆがみだす。
 運動の速度がめざましすぎて下半身が消える。旋回する腰、脚の動きがふたすじの螺旋の渦となってその体を吞みこんでいく。タ・タ・タ・タ・タ・タ・タンと速く、力強く、血と肉と皮膚でかき乱して風景を変化させる。彼女が踊る渦のなかには、涙の滴も散っている。
「だけど、来てるはずだ、父さんも、キクコさんだって!」
 カレンが叫んだその瞬間だった。群衆から飛びだしてきた目出し帽の男たちが、カレンに飛びかかってきた。カレンを生け贄にしようと──
 城之内がとっさに組みつき、ガフはカレンの体を抱きすくめるようにたてになる。
 この国で非業の死を遂げたブラジル人の忘れ形見を、サンバの王女を、身を挺してかばう護衛になる。パレードは騒然となり、隊列も崩れかけたが、それを見たカレンは「あたしに抱きつくな、あたしは踊る」とガフを突き飛ばし、「ひれ伏せ」と暴漢たちにも告げる。ごうまんなまでの踊りの力でいっさいのそうじようを平定する、かつてのあの人のように──
 あらゆる喜怒哀楽を吞みこんで、カレンは腰を旋回させ、律動を刻んで、歓喜と弔いのノ・ペを踏みつづけた。立ちのぼる蜃気楼が世界をどこかに運んでいく。
 熱く潤んだ眼差しは群衆のなかを漂う。見てほしい人の姿を見つけようとしている。あるいはその人が存命なら、ここにいるかもしれない。一緒に父も来ているかもしれない。そうしてこのたえることのない歓喜の轍をともに深めていくのだ。ガフもつられて人波のあいだに視線を滑らせた。後景へと流れさる群衆も、ガフも城之内もおなじだ。たがいにすれちがい、また別れ、パレードの行方だけを眺めながら、歩みをともに進めていく。
 ガフの目はふと群衆の一点に吸い寄せられた。
 人だかりの奥に、ちらちらと覗いている顔がある。
 豊かなグレーヘアのたおやかな面持ちが、この祝祭の創造主かも知れないひとが、笑ったような気がした。

 カルナヴァルはまだ終わらない。ガフがこのとき嚙みしめていたものが、カレンの、オリヴェイラ家の、新たに生きなければならない物語だった。いつかふたたびサンバの軌跡を描き、天まで昇りつめさせなくてはならない物語だった。


※本作は、書き下ろしを加え小社より単行本として刊行予定です。 

◎第 12 回全文は「カドブンノベル」2020年12月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年12月号

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