【連載小説】踊る彼女が、日本に来た本当の理由。会いたかったのは誰なのか。祝祭のなか曝された真実は。連載最終回! 真藤順丈「ビヘイビア」#12-4
真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
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誰にも真似できない鮮烈なノ・ペを踏みながら、たしかにカレンはその眼差しをしきりに見物者のほうへと投げていた。
「捜してる人は、見つかりましたか」
「ガフ? いま話しかけんな」
「じつは風祭さんが、カルナヴァルのどこかに来ています」
「え、まだ見つかってないって」
「風祭さんではなかったけど、風祭さんでした。キクコさんではなくぼくたちはブルーナを見つけました。彼女はあなたもよく知っている、カルロス・フェレイラと親しくしていたんですよ。あなたとお兄さんはすごく仲が悪いけど、アッシュが日本に来ていたのもあなたとだいたい理由はおなじでした」
主となる運動を旋律のように残し、空間を
城之内がそこで沿道に手を振った。わざわざ遠くから足を運んでいるのは、風祭ブルーナだけではない。大泉町からはロドリゴとマルコ、鈴木マヌエルも来ている。
「あなたもお兄さんとおなじ」とガフはつづけた。「ずっと前にいなくなったお父さんが日本にいることを知っていた。風祭さんの名前を出したのは、もちろん
「こんなときでないと、家族に聞かれないようにひそひそ話もできないからな」
「お父さんがどこで何をしているか、家族のなかで
城之内とガフで、二人で挟むようにしてカレンの耳に言葉を吹きこんだ。
「派遣業をしていたカルロスは、そのコネクションを使って自分自身もこっそり日本に渡っていた。出稼ぎが目的じゃなくて、地球の裏側に身を隠すためです」
「
「そもそもどうして、兄妹だけが行方を知っていたのか──」
「わかった! わかったよ! なにもかもブルーナに聞いたのね。隠してて悪かったよ」
「あなたのお腹の傷が、
事の発端はリベルダージにさかのぼる。犯罪組織とほとんど同一視されるエスコーラに出入りしていたのは、アッシュだけではなかった。父のカルロスも家族には伏せて、秘密裏に通じることで人材を
鹿賀から聞いたあの事件──兄と妹の骨肉の争いがきっかけとなった騒動の直後に、避難していたホテルの一室でカレンはもういちど暴漢に襲われた。大事な体に刃物で深い傷を入れられて、出血多量で生死の境をさまよったが、意識を失う前にカレンは、アッシュの部屋から護身用に持ちだしていた拳銃でとっさに相手の頭を撃ち抜いていたというのだ!
こうなると事態は
うっかり射殺してしまった刺客の男は、ちょうどカレン襲撃を最後にして組織の仕事から足を洗い、リベルダージを離れて出稼ぎに行くことになっていた。そこでカルロスは書類を
指示どおりにカレンを傷物にして、その後に日本へ発ったことにすれば、追及の手は伸びてこない。カルロス自身は、女系一家に愛想をつかして逐電したことにすればいい。「母さんにも
数年を日本でやりすごして、エスコーラの幹部たちも代替わりするころに戻ってくるとカルロスは子どもたちに言い含めたが、海の向こうで待ちかまえる想像を絶する受難が、よもや父と子の運命を永遠に引き裂くとは思いもよらなかった。
複数の叫びが、天に向かって放たれる。
刺すようにヒステリックな叫喚、
何かが、その一瞬で決壊する。祝祭の
遅れずに行進しながら、ガフはカレンに語りかけつづけた。
「お父さんは帰るに帰れなかった。連絡も途絶えていたんでしょう。浜松でどんな運命をたどったか聞きますか。片足を切断する事故を起こし、労災にもありつけず、切った足が
「噓でしょう、噓だ。だってブルーナはそんなこと……」
「二人が電話したときには、まだかろうじて生きてたんだよ」
城之内が言葉を継いだ。カレンの踊りが激しさも速度も増していく。
「だけど最期まで、オリヴェイラのサンバを観たがっていたって」
「こっちに来てからは、連絡はとらなかったんですね」
「あたしはただ父さんが、行方をくらませたって聞いて……キクコさんを捜せばいずれ、親父の居場所もわかるんじゃないかって……」
ガフたちの視界で、カレンの足元が、あたかも
運動の速度がめざましすぎて下半身が消える。旋回する腰、脚の動きがふたすじの螺旋の渦となってその体を吞みこんでいく。タ・タ・タ・タ・タ・タ・タンと速く、力強く、血と肉と皮膚でかき乱して風景を変化させる。彼女が踊る渦のなかには、涙の滴も散っている。
「だけど、来てるはずだ、父さんも、キクコさんだって!」
カレンが叫んだその瞬間だった。群衆から飛びだしてきた目出し帽の男たちが、カレンに飛びかかってきた。カレンを生け贄にしようと──
城之内がとっさに組みつき、ガフはカレンの体を抱きすくめるように
この国で非業の死を遂げたブラジル人の忘れ形見を、サンバの王女を、身を挺してかばう護衛になる。パレードは騒然となり、隊列も崩れかけたが、それを見たカレンは「あたしに抱きつくな、あたしは踊る」とガフを突き飛ばし、「ひれ伏せ」と暴漢たちにも告げる。
あらゆる喜怒哀楽を吞みこんで、カレンは腰を旋回させ、律動を刻んで、歓喜と弔いのノ・ペを踏みつづけた。立ちのぼる蜃気楼が世界をどこかに運んでいく。
熱く潤んだ眼差しは群衆のなかを漂う。見てほしい人の姿を見つけようとしている。あるいはその人が存命なら、ここにいるかもしれない。一緒に父も来ているかもしれない。そうしてこのたえることのない歓喜の轍をともに深めていくのだ。ガフもつられて人波のあいだに視線を滑らせた。後景へと流れさる群衆も、ガフも城之内もおなじだ。たがいにすれちがい、また別れ、パレードの行方だけを眺めながら、歩みをともに進めていく。
ガフの目はふと群衆の一点に吸い寄せられた。
人だかりの奥に、ちらちらと覗いている顔がある。
豊かなグレーヘアのたおやかな面持ちが、この祝祭の創造主かも知れない
カルナヴァルはまだ終わらない。ガフがこのとき嚙みしめていたものが、カレンの、オリヴェイラ家の、新たに生きなければならない物語だった。いつかふたたびサンバの軌跡を描き、天まで昇りつめさせなくてはならない物語だった。
※本作は、書き下ろしを加え小社より単行本として刊行予定です。
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