デビュー一〇周年を飾る大作、勝負作として単行本刊行された『宝島』(二〇一八年六月刊)において、真藤順丈は沖繩の戦後史を題材に、少年少女たちの青春群像を書き尽くした。作家自身はかの地にルーツを持たない、東京生まれ東京育ちであるにもかかわらず。そこには高いハードルがあり、リスクもあったろうことは容易く想像できるが、稀代の物語作家としての想像力で乗り越え、問答無用の説得力と興奮を作品のすみずみまで込めることに成功したのだ。結果、第九回山田風太郎賞を受賞し、次いで第一六〇回直木三十五賞に輝いた。
さまざまな祝砲が浴びせられるなか、めでたく復刊された本書『地図男』は、デビュー作の再文庫版に当たる(単行本版は二〇〇八年九月刊行、MF文庫版は二〇一一年二月刊)。既に『宝島』を読んでいる人ならば、全てはここから始まっていたんだと納得することになるだろう。まだ読んでいないという人は(うらやましい!)、関東地方を舞台に据え、「土地の記憶」から無数の物語がこしらえられた本作に触れれば、沖繩を舞台にした『宝島』の傑作性を確信することになるはずだ。
実のところ、これまでに真藤が刊行してきた全一三作の中で『宝島』ともっとも親近性が高い作品は、『地図男』のように思われる。びっくり箱みたいな作品であり、物語の構成要素が膨大に含まれているのだからシンクロするのは当然……かもしれないが、「語りの物語性」あるいは「語りのミステリー性」という一点において、二作は激しく共鳴している。
この物語を語っているのはいったい誰なのか。目の前に展開する状況やその歴史的背景を、言葉で律儀に記録しようとする意思はどこからやって来るものなのか? 多くの作家がいちいち考えなくていいものとしてスルーしているその問題系に対し、真藤順丈は立ち止まり、解を見出そうと立ち向かってきた人だ。この作家にとっては、語りこそが、物語そのものなのだ。
『宝島』においては、一人称複数(=「われら語り部」)を語り手に据えている。それは沖繩の「歴史」であり「土地」であることは、読めばたちまちのうちに触知できるが、それだけじゃない。戦後沖繩を舞台にしている以上、物語は悲しみの記憶を参照せざるを得ない。本作は徹頭徹尾、歴史に翻弄される個人についての物語でもある。にもかかわらず、悲しみに暮れることなく読み進めることができるのは、「われら語り部」による沖繩弁全開の軽やかな語り口、音感だけで心躍らせてくれる間の手(「あきさみよう!」「カフー!」「ハイサイ!」)の介入のおかげだ。この物語は、この語りがあるからこそ可能となった。しかも驚くべきことに、この語り自体に「謎」があるのだ。明かされるべき「真実」がある。やがて最終ページに辿り着いた瞬間、読者は魂の震えを感じることとなる。
では、『地図男』ではどのような語りが採用されているのか。旧文庫版で執筆させていただいた解説を、一部表記を変更しつつ引用したい。真藤順丈という作家のデビュー時の衝撃と感動が、真空パックされていると感じるからだ。
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一九七七年東京生まれ東京育ち。真藤順丈は、二〇〇八年度のエンタメ小説新人賞四冠を達成した。
①『地図男』で、第三回ダ・ヴィンチ文学賞を。
②『庵堂三兄弟の聖職』で、第一五回日本ホラー小説大賞・大賞を。
③『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で、第一五回電撃小説大賞・銀賞を。
④『RANK』で、第三回ポプラ社小説大賞・特別賞を。
映像作家と小説家の両立を目指していた彼は、三〇代突入のタイミングで映画の夢をストップさせて小説一本に絞り、それぞれの新人賞のカラーを意識した投稿作を仕上げていった。まず『RANK』(二〇〇九年五月刊)を書き、『庵堂三兄弟の聖職』(二〇〇八年一〇月刊)を書き、『地図男』を書いて、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』(二〇〇九年二月刊)を書いた。そして、受賞発表スケジュールの関係で、『地図男』の単行本がデビュー作となった。
新人賞は複数取れるが、デビュー作はひとつだけ。
偶然ではない。必然だ。唯一無二のデビュー作だからこそ生じるリアリティが、『地図男』の物語と呼応する。それは、こんな物語だ。
映画作品に最適な風景を探す、ロケハン仕事に借り出されたフリー助監督の〈俺〉は、年齢不詳の路上生活者・通称〈地図男〉と出会う。男は関東地方のぶあつい地図帖を持ち歩き、それぞれの土地にまつわるオリジナルな物語を各ページに〝語り書き〟していた。千葉県北部を旅する天才音楽児Mの成長物語、東京23区の区章を奪い合うプレイヤー達の格闘物語、奥多摩で巡り会ったムサシとアキルの恋物語……。
ふたりの出会いの物語という大枠の中に、あらすじ程度から中編サイズまで、さまざまな長さの物語内物語が幾つも登場する。〈だれかに語りかけるような文体〉で書かれた、主人公いわく〈ポップで、ちゃんとエンタメしてる〉地図男の物語群が。ダ・ヴィンチ文学賞の応募規定が「四〇〇字詰原稿用紙換算一〇〇~二〇〇枚」であったため、本作の分量はわずか一四〇ページと短いが、その熱量は一〇〇〇ページの長編に匹敵する。
全体の三分の一を過ぎたあたりで、〈俺〉の後輩にあたる青年・名倉が現れる展開は重要だ。名倉は地図男を目撃し、直に会話を交わす。その描写が入ることで、地図男は実在しないんじゃないか。主人公の妄想では? という読者の不安感が払拭される。だからこそ、その直後で主人公が独白する「謎」に、まっすぐ向かい合うことができるようになる。すなわち――。
地図男が地図帖を開くとき。 物語を、地図男はだれに語っている?
〈俺〉は映画監督志望だ。どうやら脚本も書く。だから、豊かな物語を次々産出する地図男の想像力に対して、憧れと、きっとそれだけじゃない、ある種の劣等感も抱いていた。そんな彼がラストで、地図男と対等に対峙する。これまで読み継いできた物語群をヒントに推理を働かせ、地図男の「謎」に回答を提示する。その時、初めて、〈どこか瞑想的な、遠いまなざしを揺らしている〉地図男の顔に、〈スッとシリアスな影〉がよぎる。
その光景を目撃する読者は、特別なカタルシスを味わうことになるだろう。地図男という稀有な物語産出装置のコア部分に、〈俺〉はさわることができたんだ。匹敵は叶わずとも、一太刀を浴びせることができたんだ、と。大事なことは、もうひとつ。〈俺〉は地図男との最後の対話の中で、物語という表現形態の意味と、その肯定的な力に気付く。そして、物語ることへの、勇気と欲望を手に入れる。『地図男』は、〈俺〉が真の物語作家になる物語である。
もちろん、〈俺〉は作者の分身だ。ここには、デビューの産声が、二重三重にこだましている。何者でもなかった頃の不安と無鉄砲さと瑞々しさと透明な欲望がめいっぱい詰め込まれた、人生でたった一度だけ描ける種類の、これは、完璧なデビュー作だ。
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その先の文章では、こう記した。
デビュー時の「産声」が、自らの足で立ち始めた後、どんな「声」へと育っていくのか。「声変わり」はいつ、どんな作品でもたらされるのか?
リアルタイムで新作を欠かさず読み継いできた人間としては、真藤順丈は作品ごとに己に課題を与え、トライを繰り返しながら、語り部としての喉を鍛え続けてきたように思う。そんなふうに作家としての思春期を駆け抜け、ついに『宝島』で「声変わり」を果たした。その道のりは、例えば、こんなふうに記述することができるかもしれない。
新人賞四賞受賞後第一作にあたる⑤『バイブルDX』(二〇一〇年三月刊)では、空間のスケールを一気に拡張させることに挑戦した。聖書に匹敵する雑誌創刊、というプロジェクトの顛末を綴り、日本に始まりロシア、イースター島、イスラエルへと地図が広がった。『地図男』と本作、いつか書かれるもう一作で「書物シリーズ三部作」を完成させたい、と作家は公言している。⑥師と仰ぐ平山夢明が原案・構成を務め、真藤が執筆を手掛けた『GANTZ/EXA』(二〇一一年一月刊)は、大ヒット漫画のノベライズだ。師匠がフルスロットルで投げかけてきた奇想を、いかにして言葉に着地させるか? 月が受精卵になる、悪夢極まりないシーンの描写の数々が、作家の筆を成長させたことは間違いない。⑦全三篇+αからなる『畦と銃』(二〇一一年七月刊)では、架空の過疎村ミナギを舞台に、架空の方言をちりばめながら、土地と血の物語にチャレンジした。登場人物のみならず、空間自体に憑依し、そこから物語を組み上げる。農業、林業、畜産業という題材選びも、五官の爆発に一役買っている。⑧『墓頭』(二〇一二年一二月刊)では、歴史という題材と向き合った。頭にこぶを持つ主人公・ボズの半世紀にわたる人生を、アジアの近現代史と重ね合わせながら語っていく。史実を踏まえたうえで、あり得たかもしれない歴史=物語をいかに展開するか?
⑨『七日じゃ映画は撮れません』(二〇一四年二月刊)は、一言でいえば、登場人物を全員主人公にするトライアルだ。前半は、撮影や美術など映画製作に関わる九部門のスタッフを主人公に据えた、一話完結型の全九篇。後半では、彼らが一本の映画製作を行う長編小説として再起動を果たす。⑩『しるしなきもの』(二〇一五年一月刊)は、日本最大のやくざ組織・早田組の跡取りである桂介が、男でもあり女でもある真性半陰陽に生まれたことを隠して、父殺しに挑む。主人公が内面で「あたし」と語り出した頃から、物語は新たなフェーズへと進む。究極の男社会を舞台にしながらも、いや、しているからこそ際立つ、女性性、母性についての物語だ。⑪『黄昏旅団』(二〇一五年四月刊)では、他人の心象風景=〈道〉を旅する男達の様子が綴られていく。道中での肉体的な疲労感、ファンタジックな風景描写を分厚く盛り込みながら、辿り着いたラストで描かれるのは時空を超えたバトンタッチだ。真藤が初めて書いた、凡人がヒーローになる物語かもしれない。⑫連作短編集『夜の淵をひと廻り』(二〇一六年一月刊)は、ミステリーとしての想像力がアップデートされている。地域住民を危険から守るべく、ストーカーすれすれの見回り調査を行うシド巡査が、難事件を次々に解決していく。
デビュー作『地図男』以来、こんなふうに新たな課題にアタックし、小説家としてひと回りもふた回りも大きくなるためにトライしてきた幾つもの道のりが、一本に縒り合わさって『宝島』という物語が生まれたのだ。
最後に、旧文庫版解説を再び引用したい。
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『地図男』を読むことで、物語ることへの勇気を獲得し、小説という表現ジャンルの面白さを実感する人はきっと少なくない。優れた才能は、隠れた才能を刺激し開花させる。そんな確信さえ抱かせてくれるからこそ、本作が、無数の読者の手に、耳に、届けられればいいと心から願う。
語ってくれよ、と俺は願う。 その物語を。
あなたにしか書けない、その物語を。
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文中の『地図男』を『宝島』に、あるいは「真藤順丈」に入れ替えても、意味は変わらないだろう。これらは、そういう作品であり、彼は、そういう作家なのだ。
書誌情報はこちら≫真藤順丈『地図男』
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