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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.8

直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ! 技能実習生・シトラの死の謎をめぐって、物語は動き出す。「ビヘイビア」#2-4

真藤順丈「ビヘイビア」

      §

 追悼、花束、それぞれの弔い。
 故人を知っている者も、知らない者も来てくれている。
 葬儀を知った外国籍のちようもん客が三〇人ほど参列していた。新大久保で依頼をした三日後、土曜の午後にホー・クンダウは約束の儀式をしめやかに執り行なってくれた。
 霊安室の遺体はすでに解剖され、警察の予算で火葬にされたという。在留カードの証明写真ぐらいしか遺影の当てがなかったが、ホー・クンダウが手を回しても遺品は引き取れなかった。故人の写真がないのはさみしいかぎりだが、これもしかたがない。葬儀の業者を責めることはできなかった。
 建物の横の路地で鳩がばたばたと騒いでいる。大塚の公民館を借りた葬儀はミャンマーの上座部仏教の形式で行なわれた。宗教は問わないということで、ホー・クンダウがなかいたばしに居をかまえるミャンマーの僧侶に依頼をしてくれた。日本の仏教とはかなり勝手が違うという進行で経が読まれ、参列者たちが祭壇に花を供える。遺体も遺影もないのでそれ以上のことはできず、物足りなさとせきりよう感のなかで式は進んでいった。
 ガフは参列者の顔を見回した。あわよくば〈ガーデン〉で働いていた他の実習生たちも来てくれるのではないかと期待していた。FacebookやTwitterで情報をシェアして、あるいはガフと一緒に逃げた五人も──
 けれど、知った顔はなかった。土曜日といっても小田原からは遠いし、逃げた五人もあの騒ぎのあとでは自由な行動も難しいのかもしれない。彼らはいまごろ、どこでどうしているんだろう? 国籍はおろか職種も性格も、生まれ育った環境も趣味嗜好も異なっていた六人が行動をともにするのは、数奇な星のめぐりともいえた。
 ラム・ワンディ。ジャミルディン・サザン。
 リウ・ツイレイ。ウィン・ジン・ソーボー。
 マスカラム・ジュファー。
 ネパール、バングラデシュ、中国、ミャンマー、インドネシア。それぞれの故郷からそれぞれの望みや野心を抱いて来日して、それぞれに憂き目や裏切りを味わった技能実習生たち。彼らと離ればなれになってしまったのは誤算だった。連絡の手段はない。それぞれのFacebookも更新されない。すでに五人が五人とも、更新や連絡のおぼつかない状態に追いやられているのだろうか。
「表の玄関に来てるの、警察じゃないのか」
 抜け目のないファルが耳打ちしてきた。窓から見ると、没個性のスーツをまとった中年男と、さぎのように前に身をかがめたショートボブの女性が、ごく平静に、礼儀正しくふるまいながら公民館の前にいた参列者と話をしていた。
 他に日本人は来ていない。確かにファルの言うとおり警察官かもしれない。SNSで共有された葬儀の情報を見てやってきたのか? ファルはためらわずに裏口から逃げだした。彼はすでにオーバーステイなので、在留カードの呈示を求められたらひとたまりもない。ガフはビザこそ切れていないが、東京国際フォーラムの前での一件もある。監理団体とつながっているかは不明でも、高圧電流が流れているかもしれないフェンスのようなものだ。触らないに越したことはない。
 もう一度、二階から窓の下を見たところで、二人組のうちの男性のほうと目が合った。うなじのあたりをの糸のようなぞわぞわする感触が這いまわった。視線がぶつかった瞬間に、ある直感に貫かれるのを感じた。
 あの警察官たちは、シトラのことをよく知っているんじゃないか。
 もしかしたら事件の捜査に当たった担当者かもしれない。
 葬儀とはそういうものだ。人と人のつながりの最後の欠片を拾う場所だ。
 だとしたら話を聞いてみたかった。シトラの死の周辺の、ガフが知りえない事実を教えてほしかった。どうして彼女が〈ガーデン〉を離れたのか、どういう経緯で百人町のマンションに身を潜めていたのか、それらのどれかひとつでも警察は突き止めているかもしれない。ここで話を聞けなかったら、二度と会う機会はないかもしれない。
 悩ましいところだった。すこしでも手掛かりが得られるなら、有害無害にかかわらず急いで接触を図りたくもあった。
(だけど警察が、捜査状況を話してくれるかな)
 望みはゼロに近そうだ。どんなにこっちが生前に親しかったといっても、なにしろ彼らの職務上の義務に関わることだから。高ぶった感情をなだめすかして、カーテンの陰からふたたび外を見ると、男女の警官の顔を記憶に焼きつけた。
 ファルを追おう。ここはそれが最善のはずだ。
 裏口の非常階段を下りて、建物の横の路地を抜けた。塀越しに玄関を見ると日本人たちはすでに建物に入っていた。後ろ髪を引かれながらも、自分の本能のようなものを信じて足早に公民館をあとにした。
(いまどこ?)
 駅に向かっていたところで、ファルからの送信があった。ぼくも出た、と返事をするとすぐに次のメッセージが表示された。
(お前の仲間が、Facebookに書きこんだぞ)
 すぐにログインした。スマートリストのなかに新着メッセージの表示があった。
 ジャミルディン! ジャミルディン・サザンだ。
(ただいま協議中)
 短いコメントが朝焼けの空の写真に添えられている。東京のどこかの風景だった。無事にあの修羅場から逃げきったらしい。協議中というコメントはあきらかに、このまま泣き寝入りするつもりはないというジャミルディンの叫びだった。
 最年長の二十九歳で、誰よりも自己主張の意欲をそなえたバングラデシュ人だった。外見は柄の悪い酒場のバーテンダー風だが、こよなく猫を愛する男で、〈ガーデン〉の忘れ物保管所の横のくすんだ緑色の芝地で野良猫の世話をしていた。みんなで逃げることになったときもその後継者が見つかるまでは〈ガーデン〉を離れたがらなかったほどで、猫を裏切ると良心にじんしんができるアレルギー体質なんだと自嘲していた。ガフから見れば、頼もしくはあるがすこし勇敢すぎるし、現実との折り合いをつけるということがなさすぎる。劣悪な職場からただ逃れたいという他の者とは違って、さらに環境が悪化しそうな〈ガーデン〉と対決することを決意しているふしがあった。
 すぐにFacebookのメッセンジャーで安否をたずねた。れながら待っていると、数分後に返信が戻ってきた。
(お前も無事だったか、ガフ! こっちはシティユニオンと一緒にいる。ガーデンへの対応で話を進めているところだ)
 慎重なジャミルディンのことだ。いざというときのために駆けこめる労組や人権支援者の所在をピックアップしてあったに違いない。それこそガフが、新大久保のファルのもとに身を寄せる用意もしておいたように。
(会いたいんだ、どこにいる?)
(悪いけど居場所は言えない)
 警戒している。向こうはこちらの状況を知らない。監理側の手に落ちて背後で指示されながらメッセージを飛ばしていると疑われてもしかたがない。自分たちの世界がすでに平常運転じゃないことを見誤る男ではないのだ。
(疑う気持ちはわかるけど、ぼくはいま一人だよ。どうしても話したいことがあるから電話だったらいいかな)
(すまない、外部と連絡を取らないように言われているんだ)
(シトラのことなんだ)
 間を置かずに交換されていたメッセージが、そこで止まった。
 ジャミルディンが、みずからのターンで沈黙していた。
〈ガーデン〉のなかで職場は違っても、一緒に逃げた五人が五人ともシトラ・ヴァルヴァノワのことをよく知っていた。職場からの逃走という意味では、ガフたちはみんなシトラの後発フオロワーなのだ。それぞれが独自の関係を築いていたし、ジャミルディンもシトラとの付き合いは長いはずだった。
 だからこそ行動をともにしたかったが、東京国際フォーラムの騒ぎで動線を乱され、うわずる恐怖と混乱の渦に巻かれて、ガフ自身も脇目もふらずに逃げだしてしまった。あのタクシーの運転手、ジョーノウチさん、あの人が助けてくれなかったらどうなっていたかはわからないけれど、もっと迅速に、もっとろうなく立ち回ってくれていたらともどかしさをおぼえるのも事実だった。
(わかった。すぐに連絡するからちょっと待っていてくれ)
 ジャミルディンから返信が来た。今すぐでは駄目なのかとガフは応じたが、状況を整えてからにしたいと譲らないので質問を変えた。
(他のみんなは? どうしてるか知らないか)
(ばらばらになったあとはわからない。連中に捕まってないと信じたいけどな、あそこにあいつらが来てたってことは、わかるよな。お前も気をつけろよ)
(気をつけるよ、いつも気をつけてる)
 ジャミルディンは、六人のなかに監理側と通じている者がいたかもしれないと言っている。その可能性はガフも考えた。誰とは特定しきれないし、そんなことをしてどんな得があるのかも想像したくなかったけど、確かにあれは狙いすましたタイミングだった。ガフとジャミルディンのやりとりも、おたがいに完全に信頼しあえたものとは言いづらくなってしまっていた。
 交信の最後に、ジャミルディンが連投した。
(ああ、ひとつ思い出したぞ)
(民泊ってあるだろ、都内の団地にそういう民間のドミトリーがあるって)
(ラムと話したことがあった。あいつはそこに行くのもいいかもって)
(たしか場所は──)
 ラム・ワンディの足跡、その手がかりだった。
 ふさぎ屋のヒンドゥー教徒。〈ガーデン〉に来る前には牛丼屋で働いていたが、彼自身は牛肉を一度も食べたことがなかった。あらためて注意を喚起しながらジャミルディンは、最後のメッセージでこう記していた。
(ラムは、シトラが好きだったからな)

 探すのに丸一日、来るまでに半日もかかった。あらためて地理に通じていない異郷であちこちほんそうするしんどさを痛感させられた。
 ばたにあるUR都市機構の公営団地だった。けやき並木の街路の向こうで、住棟が切りたった断崖のように連なっている。敷地内にはスーパーマーケットなどの店舗がコの字形に並んでいたが、そのほとんどがシャッターを下ろしている。介護事業や就労支援の貼り紙は剝がれかけ、雨風で色せていた。
 どこもかしこも団地は高齢化が進んでいて、孤立した生活を強いられる人々は増加の一途をたどっているという。すれちがうのは老人か、中国系や東南アジア系の外国人家族だった。民間の賃貸住宅は外国人の入居審査が厳しいが、URは収入基準さえ満たせば国籍に関係なく入居できる。おのずと外国人は増え、高齢者と外国人たちの離れ島のようになっていく傾向があるらしかった。
 隠れ民泊が、この団地にはあるという。
 旅館業法や民泊条例に反しているの民泊。大家の許しもなく借りた部屋を別の人に又貸しする〈転貸〉は違法になる。シトラも〈転貸〉の物件に身を寄せていたことを思い出して、何か意味のある一致のようにも思えてきてしまう。逃げた外国人が引き寄せられる特殊な磁場のようなものがあるのか──
 はてさて、ここからどうやってラム・ワンディの足取りを追えばいい? 総戸数は二千弱か。どの棟の、どの部屋が〈隠れ民泊〉なのかは見当がつかない。一戸一戸を当たっていては大変すぎるし、不審な外国人がインターフォンを鳴らしたところで室内を見せてくれる住民がいるはずもなかった。
(ぼくだったら、どうするかだよな)
 みずからも宿を欲している立場になって、民泊の所在を嗅ぎつけるしかなかった。
 住民たちに訊いてまわるよりも、ここはやはりSNSに頼るのが手っ取り早かった。
 ネットには民泊を仲介するプラットフォームがあった。ホストが物件登録をして、ハウスルールや部屋の写真や居住地をフォームに載せて公開する。予約を受けたあとで物件の部屋番号や、鍵を受け取るための郵便受けの解錠方法やオートロックの暗証番号をゲストに伝える形式で、評価や信頼度のレーティングも記載されていた。
 ラム・ワンディもこの手のプラットフォームを利用したんじゃないか。隠れ民泊でもサイトをめぐっていけば、こっそり情報を開示しているところがあるはずだという確信がガフにはあった。
 それらしき物件に当たりをつけられたが、さらに細かい情報を仕入れるには、利用者のプロファイルを作成しなくてはならず、監理団体がこうしたウェブサイトを監視している可能性も踏まえて、ファルを頼ることにした。
 だけど検索のしすぎで、スマートフォンの充電残量が二〇%を切ってしまった。
 すっかりモバイルアプリケーションに依存している身としては、バイタルサインが点滅しているような心もとなさをおぼえる。念には念を入れて、スーパーマーケットで紙幣を小銭に替えて、芝生の中庭にあった公衆電話ボックスに入った。
「……そう、そのサイトでプロファイルを作成してもらって」
「はいはい、はいよ」
「部屋番号とか入る方法とかを調べてほしいんだよ」
「お前って人づかいが荒いよなあ、別にいいけど。戻ったらあのいラグマンを作ってもらうからな」
 持つべきものは友達だ。細かい手順を伝えていたところで、いきなりだった。ガラス張りの電話ボックスが外から、ドンッ、と叩かれた。振り返ってみると日本人が三人ほど群がってきている。なにごと? すぐには意味がわからなかった。背広の男たちの後ろにもジャンパーを着た日本人が一人、二人、あわせて五人ほどが鬼の形相を作っている。ドンドン、ドンドン、とボックスを叩き鳴らし、出てこいと命じてくる。なんだこれ、なんなんだよ、怖いよとガフは思う。はっきりと恐怖をおぼえる。力ずくで扉を開けられそうになって、とつに手足を突っぱらかせて踏ん張った。
「おい、どうした? なんかあったのか」
 助けを呼んでもらおうとしたが、ひじがフックに当たって回線が切れてしまった。電話の上に積んだ小銭が地面に散らばった。一一〇番通報しようかと思ったが、すぐに無駄だと悟った。群がる日本人の背後には制服の警察官も控えていた。それで思い出した。この男たちは東京国際フォーラムで接近してきた監理団体や出入国管理庁の人間じゃないか。そうか、やっぱりサイトが監視されていたんだ。きっとラムの作成したプロファイルから足がついて、数日前に逃げられたせつじよくを晴らすべく追ってきたんだ。だとすれば信じられないほど執念深かった。〈ガーデン〉に逆戻りか強制送還という最悪の目がいきなり身近に迫ってきていた。
「ちょっと待って、叩かないで、叩かないでください」
 遠巻きに団地の住民たちまで集まってくる。老人が多かったが、日頃からおなじ団地のなかで外国人とのあつれきや確執があるのか、どの顔もどの顔も排斥主義者に特有の話が通じなそうな狂気を宿している。怖い。怖すぎる。命の危険を感じる。薄曇りとはいえ昼の光のなかで起こっている出来事とは思えない。騒がしい声が大気を揺らし、今にも破壊行為がせきを切ろうとしていた。
「出ないよ、出るもんか!」
 出てこい、と日本人たちが怒鳴る。引きずり出せ、と連呼する。高ぶる熱気が感染症のようにひろがって、誰かが石まで投げてくる。ボックスに籠城したいけにえをいたぶっているような異様なこうふんがあたりを包みこむ。割れ、割れ! と絶叫がつらなった。はしやいでいるようにすら見えた。ドンドンドンドンドンとガラスは叩かれつづけて、こんとんの音がガフの四囲で強烈な主張を放ちながら膨張していた。
 もう限界だ。ボックスのなかで突っぱらせた両手両足の力が抜けていく。どだい無理があったのか、見ず知らずの都市で、権力に追われながら、孤立無援で真実を追いかけるのなんて。野良犬や糸の切れたたこのほうがまだ自由に動きまわれそうだ。手配されたウズベキスタン人には無理がある、頼もしい協力者でもいないかぎり──
「叩かないでください、叩かないでください」
 震える唇からひとりでに命乞いがこぼれだす。激しく揺らされるボックスのなかでガフは、溜まった涙を嚙むように目をつぶった。

>>#3-1へつづく ※9/12(木)公開(次週からは、週1回の配信になります)
◎「ビヘイビア」第3回全文は、発売中の「カドブンノベル 2019年9月号」でお楽しみいただけます。


カドブンノベル 2019年9月号

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※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。
「文芸カドカワ」2019年8月号収録「ビヘイビア」第 2 回より(登場人物名の表記を雑誌掲載時から一部変更しました)。


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最新号 2019年10月号

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