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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.7

直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ! 技能実習生・シトラの死の謎をめぐって、物語は動き出す。「ビヘイビア」#2-3

真藤順丈「ビヘイビア」

 誘いだされた屋上は、まさに軍艦の甲板もさながらだった。艦橋のオブジェには砲台のような貯水槽が設置されていて、壁の上にはフックつきの鉄パイプが並んでいる。ここにも四角い大小のげんそうが開いていて、その向こうに見晴らせるのは夜光虫やさんしようがひしめく夜の光の密集、げんわくをもたらす夜景の海だった。
「けっこう壮観だろう、ほら、そこから顔を出してみろよ」
 言われたとおりにするしかない。肩までは通らないので突き落とされることはあるまいと思いながらも、ギロチンに首をめるような心地は変わらない。
「おお、すっぽり入ったな。真下を見てどうだ?」
「さすがに足がすくみます」
たけえよな、落ちたらアウトだ」
「はい、アウトです」
「便器に落ちたスマートフォンみてえにな」
「その節は、マジですみませんでした。もう二度とおなじ過ちは犯しません」
 するとそこで、俺の定位置、とばかりに犬が股間に寄ってくるのがわかった。顔だけを外側に突き出した状態では、万代たちが体の側で何をしているかわからない。両脚のあいだでうなり声が高まって、たまらずに首を抜こうとしたが、オサとイケドに背中を押さえつけられた。風前のともし火となっているのは十四階ぶんの高さにくらまされる視界よりも、むしろ下半身のほうなのだと気づかされていた。
「うちの新事業が、軌道に乗ってるのは知ってるよな」
 万代の声が聞こえた。このままの状態で話をするつもりなのか?
 風の音もうるさくて、逆向きの鼓膜に意識を凝らさないとうまく聞き取れないのも地味に拷問の効果をあおっていた。
「もちろん知ってますとも、うんと時代を先取りしていた。このところは後追いの業者も出てきているそうで」
 マクシミリアンが吠えた。おおむね次のような意味だろう。調子のいいおべっか使ってんじゃねえぞ、さっきみたいにガブッといってやろうか。
「うまくすりゃもっと伸びる。原資になってんのは信頼関係だ。だから昨日のような無様な凡ミスは、事業の命脈を絶ちかねねえ」
 万代のなぶるような問責に、ええ、はい、ごもっとも、と追従を返すしかない。マクシミリアンが吠える。てめえわかってんのかよ、こうがんを破砕するぞコラア?
「あの〈六人〉がどこから逃げてきたかは、おたくにも話したよな」
「アウトレットモールですよね、小田原のほうの」
「あそこは充実してるぞ、〈小田原アウトレット・ガーデン〉な。中国の観光客が言うところのゴールデンルートにも乗ってるしな。この野郎、なんべんリニューアル・オープンすりゃ気がすむんだよってペースで店舗を増やして規模拡張して、いまじゃ売上高三五〇億、純利でも九〇億だったか? 後進のアウトレットモールのなかじゃピッカピカの成功モデルだよ」
 万代はレジュメでも読むような淡白な口調を、尻上がりに興奮させていく。城之内はその身に有刺鉄線が絡みついてくるような恐れを抱いた。
「他のデベロッパーと違うのは、主要幹線沿いの観光コースってだけに満足しねえで郊外の生活圏の消費モデルをみこんだところでよ。無料のシャトルバスを出す大型複合施設として、ブランドショップがあれば、イベントホールやらライブハウス、飲食チェーンやスポーツジムやユースホステル、果てには託児所やデイケアセンターまで直営してんだから畏れ入る。全体の従業員のうちの六割は技能実習生や留学生で、そこでまあ、お決まりの移民クライシスってわけだ」
 特定技能が創設されてからも後を絶たない。低賃金、時間外労働、パスポート取り上げに給与未払い、それらが横行する職場に耐えかねて、働き手の外国人は逃げだす。万代はそんな彼らに金の卵を産ませようとしていた。
「現代人の至らなさはもはやギャグだ、そうだろ?」
 権力者も弱者もひとしなみにあざけり飛ばす、ある意味ではフェアネスに満ちた男なのかもしれない。あんたもそうは思わねえか、と万代はわらう。この国が少子高齢化を脱することはありえないと断ずる。よそさまの労働力を借りなきゃ弁当もサンドウィッチも食えねえ、ビルも建たねえ、新聞も宅配便も届かねえ、老後のしもの世話なんてへろへろに弱った家族かテメエでするしかねえ。自前の労働力だけじゃとっくに回らねえところまで落ちぶれてひさしいのに、どいつもこいつも便利な暮らしは所与の権利と信じこんで、〈実習〉だの〈留学〉だのと名目にしがみついて、肝心の労働者たちをこぎに使う制度にあぐらをかいてんだから笑うしかねえよな?
 万代の声が高ぶる。マクシミリアンも鳴いたが、もはや人と犬のどちらが吠えているのかわからない。「誘いこまれた連中は災難でしかねえ、もはや奴隷労働! 現代のかにこうせん! これじゃあ不法就労に走る外国人が増えても不思議はねえ、使い捨ての労働力を呼びこんで、期限が来たら尻を蹴飛ばして帰らせる制度にしがみついてりゃいずれ、世界じゅうのわけえのに見向きもされねえ国になるだけだわな。経済が回らねえなかではガキの繁殖なんて進まねえ、あんたのところも子供がいたっけな、別居中だったか?」
 だしぬけに水を向けられて、ええまあ、と城之内は曖昧なあいづちを返した。万代はかまわずに話の先をつづける。
「俺ならこんな国でガキを作ろうとは思わないね。俺に言わせりゃ少子化をあおってるのは、煎じつめりゃ移民政策の不備だよ。外国人労働者の人権保護もまともにできねえ国がオリパラで目先のもうけを得たって無駄、もうとっくに手遅れだから出生数が増えることはねえ、家族や子供なんてのはどんどんぜいたく品になっていく。放っておきゃそのうち国全体がスラム化して、飢餓や少数派の虐殺も起こるだろう。そんな国から外国人の足が遠のいて子供が生まれなくなるのは、むしろ幸いなことなんだよ」
 万代の吐きつらねる気炎に合わせて、マクシミリアンが吠える。
 聞いてんのか、抜け作!
 オサとイケドも、肩を押さえる力を一瞬もゆるめない。
 つくづくこの連中は、アンビバレントの極みのような存在だった。
 万代は〈国際人材支援ネットワーク〉なるベンチャービジネスの代表を名乗っていた。隙間産業じみたニッチな需要を嗅ぎつけて、合法と非合法の境目にマーケットをいだす術にけている。数年前からは、技能実習生や留学生がらみの事業に目をつけて、瞬く間にコネクションを拡げ、オーバーステイや在留資格のない外国人にそれと承知で雇い入れる新たな職場をあつせんしたり、マーケティングリサーチと称して個人情報データを各方面に売りさばいたり、見込みのある者には日本語教育を施して母国の送り出し機関に就職させ、年間で一〇〇人から一五〇人を日本に送りこませて多額の手数料を懐に入れる循環を確立しつつあった。駒ばかりが傷つくゲームのルールの不備を難じながら、万代自身もそのゲームの指し手であるわけだ。
「あの六人が働いてたアウトレット・ガーデンは、と比べてもギャグが度を越していた。無給残業やパスポートの取り上げは言うにおよばず、猿回しの根切りばりの研修期間があってな、まずそこで徹底して屈従をたたきこまれる。日本語の間違いには罰金が科せられて、恋愛や妊娠がばれようものなら違約金を払わされる。解雇や強制帰国を常にちらつかせ、それぞれの人生や人格を否定しにかかるわけだ」
 都心から離れているぶんだけ独自のガバナンスが確立されていて、つい最近までそれが巧妙にいんぺいされていた。ある一人の技能実習生の逃亡がきっかけで、いくつかの労組や人権団体が動きだし、曲折を経たすえに万代のもとに回ってきたのは、集団で逃走したがっている六人を保護できるところまで運ぶ役割だった。
「うちにお鉢が回ってきたのはなぜか? 契約違反の逃亡を問題にしないフットワークの軽さと、同様の事例での一〇〇%の成功率のたまものだ。それがあのざまじゃあな、無敗記録が止まっちまったよ、なあオイ!」
「あっはい、本当に、本当に申し訳ありません」
「これまであんたに仕事を投げたのは、何度だったっけ」
「三度です」
「ケチはつきはじめたら止まらねえんだよ。あんたはそつなく役割をこなしてきたのになあ。他の案件で人手も出払ってたし、動いた監理側も押さえなきゃならねえってんでリレー形式で運ぶことにしたが、アンカーが不適格だった」
「うぐ」
 窮屈な姿勢のせいで頭がもうろうとしてきて、うっかり生返事になったところで、ひと吠えしたマクシミリアンが股間に咬みついてきた。あ、ブチッっていった。
 本当に咬んだ。メリーゴーラウンドのような電飾つきの眩暈にさらされた次の瞬間、直腸のあたりから背骨のほうへと激痛がい上がってくる。二つの睾丸が二つともブチッといった気がしたがどうなってるかは見えない。悲鳴のボリュームは慎んだ。さもなくば叫んだ途端に、ぼうこうのパッキンまで飛びかねなかったから。
「個人的にも楽しみにしてたことがあったからよ」と万代がつづけた。「このまま不始末ってだけじゃ終われねえんだわ」
「ああ、あひっ、もう無理です」
「離してやれマックス。あそこの経営はおおくま地所だが、株の六〇%はアメリカのチャールストン・グループが持ってる。権限委譲された大隈はチャールストンに内政干渉されたくねえ。ブラックな職場の真の実態をまとめれば、大隈とチャールストンの両者と建設的な話しあいができるはずだった」
 つまりは、企業恐喝ということか。
 万代にとっては、他の追随を許さない得意分野だった。
 驚くようなけたの収益にもつながるという、かつつきの〈ビジネス〉だった。
「受け入れ機関を可視化するってのはどこでもやってることだろ? 現場の声は数があったほうがいいからよ、その六人全員に証拠を出させて聞き取りもすることを条件に、保護と再就職斡旋を引き受けた。それがスマートフォンを便器に落としたなんていうクソくだらねえ理由でぽしゃっちまった」
 無理な姿勢のうえに股間を負傷し、腰くだけで両足がけいれんして、いよいよ意識が遠のきかけたところで首を引っこ抜かれた。へたりこんで顔をもたげると、万代の暗い眼差しがこちらを見下ろしていた。城之内の醜態を嗤いながら、人類全体の〈もはやギャグな至らなさ〉を嘆き哀れんでもいるような底知れなさがあって、城之内は背骨に鳥肌が立つような身震いをおぼえた。
「だから城之内さん、あんたは自己の責任においてその六人を見つけだして、俺のところに連れてこなきゃならねえ」
 荒くれた司祭のように万代は告げた。もしも監理側に身柄を押さえられていれば、情報は回ってくる。国籍がそれぞれに違った六人は、コミュニティに自力で逃げこんだか、ネカフェやドミトリーにでも身を潜めているか、とにかくあんたは連中を捜すしかないとにべもない。マクシミリアンも吠える。できなきゃどうなるかって? お前の縮み上がった玉袋ちゃんに聞いてみるんだな。
「だけど、俺はただのタクシー運転手ですから。逃げた外国人を捜しだすなんてそんなの何をどうしたらいいか……」
「あんたの頭は飾りかよ、犬のくそになるぐらいしか存在価値はないのか。あんたがピックアップしておきながら逃げられたのはウズベキスタン人だったな。その男はなにか言ってなかったのかよ」
「ああ、そういえば……新大久保は通らないのかと。勘の鋭い男でした、こっちから何も言ってないのに、俺の事情を見抜いちゃって」
「そんなことはクソどうでもいい。野に放たれたその六人が、警察や監理団体にしょっかれるのは時間の問題だ。そうなる前に連れてこい。あんたもわかってるだろ、債務がかさめば自由はなくなる。不首尾をつづけていれば、あんたの〈贅沢品〉にも良からぬ影響がおよぶ。単純な話だ」
 わかっていますとも。未来えいごう、ガラガラ蛇にまとわりつかれることが決まっている憂鬱と絶望感と、生殖機能は奪われなかったものの帰途もおぼつかない股間の痛みを鈍麻させたくて、軍艦マンションを去ってから赤ちようちんに捕まり、しもしんめいの駅を降りてからもおうをくりかえして、あげくにアパートの階段の途中でビバークしてしまった。
 こうやって万代は、果てしなくテストをするつもりなのだろうか。そうして次第にからめとられて、下請け業者からいつのまにか使い捨てのきく手駒になり果てるのが末路なのか? 城之内はこれまでの怠惰や過失が連れてきた自分の世界を見渡した。そこには志穂も凜子もいない。生活の資を得ようと悪戦苦闘を重ねてきたが、残ったのは孤独と悪酔いと、延々とつづく不手際の後始末だけだった。
 揺れてかすむ視界の片隅で、何かが動いた。走り抜けたステーションワゴンの窓にたたずむ黒い人影が映りこんだ。
 確かにそこにいる。目につきにくかったが、二度三度と通過する車の窓面に映った。すでにシャッターを下ろしたはす向かいの精米店から、城之内をじっと見ているふしがあった。黒っぽい服装で、通りすがりに獲物を見つけた死神のようでもあった。
 仕舞い忘れられたのぼりかなにかを人影と見間違えているのかも、と思っていたところで三戸隣に暮らす大学生の恋人が、最終電車を逃したのか彼氏の部屋に行こうとして階段でうずくまった中年男をうとましがり、お前とおなじ時間おなじ場所にいることが心底いまいましい、というようなべつと舌打ちを向けてきて、悲しくなり、夕方の娘との時間を思い返しているうちに人影のことは忘れてしまっていた。

 万代尊洋はその〈軍艦〉に乗って、移民たちの叫びが吹き荒れる極彩色の海原を渡っていこうとしている。イリーガルな航海が長続きするとは思えなかったが、どういうわけか城之内もその乗組員の頭数に入れられていた。
 それにしても面倒なことになった。どうしてタクシーの運転手が人捜しなんて?
 あいつ、ガフといったっけ。
 ガフールなんちゃら。あの男を見つければ、他の外国人の手掛かりもつかめるのだろうか。散漫な思考が苦いめいていのなかを漂う。お前たちのおかげでこの俺は、首の上まで泥沼にはまってうまく呼吸もできない。

>>#2-4へつづく ※本日18時公開

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「文芸カドカワ」2019年8月号収録「ビヘイビア」第 2 回より


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