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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.9

逃走した外国人労働者についての調査が続く。過去の死との関係は? 直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ!「ビヘイビア」#3-1

真藤順丈「ビヘイビア」


前回までのあらすじ

技能実習で来日したシトラが謎の転落死を遂げた。同じウズベキスタン出身の青年ガフは真相を探ろうとする。タクシー運転手の城之内は「仕事」として外国人実習生たちの逃亡を助けるはずだったが失敗。1人だけ乗せられたガフにも姿をくらまされる。城之内は彼ら6人を見つけるよう命じられる。一方ガフも仲間の行方を探すが、公衆電話ボックスで監理団体か入管庁と思しき人々に囲まれてしまった。

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      §

 孤立させられ、退路を断たれ、建物の高みからその身を投げだす。
 あまつさえ遠い異邦で、二度にもわたって。誰もそんな波乱の人生を望みはしない。
 わずかな期間にくりかえし描かれた軌道が、二重の像となって重なりあう。彼女にとって再度の身投げは、二十六年の歳月に終止符を打つものになった。
 では、一度目は?

 それは師走しわすの、風の強い夜だった。
 独身寮の窓を開けたとき、強風はそのほおにも吹きつけたのだろうか。
 部屋は三階。迷いもなしに跳べる高さじゃない。精神状態によっては断崖絶壁、眼下の地面をはるかな谷底に感じてもおかしくない。
 それでも彼女は、跳んだ。
 血も、鼓動も、呼吸も、激しくわなないていただろう。
 手足も、視線も、心臓も、跳ねるようにうわっただろう。
 まぶただけは合わせなかった。先に投げた毛布と衣類を詰めたバッグの上に落ちていることからもそれは確実だ。さかさまの滝のように足元からせり上がってくる風景も、背骨を貫くような感覚も、なにもかもむきだしのままで五感を高ぶらせたかもしれない。そのときばかりは墜落が、彼女の魂を跳躍させたのかもしれない。
 跳んだのは、部屋の入口と建物の玄関に見張りが立っていたからだ。教養があり朗らかで、国籍の異なる技能実習生をつなぐ存在だった。わたしは日本が好きです。ウズベキスタンの頑丈な建物を建てたのはソ連のりよになった日本人、だからみんな日本を信頼しています。最初の面接でそうほほんでいた彼女も、その夜は鈍重なみとへいにまみれ、遠目からもわかるほどにやつれて、くしの通っていない髪はてんでんばらばらの方向を向いていた。
 無謀な脱走を試みたわけじゃない。ちゃんと受け皿は用意されていた。ただ三階から跳ぶそのときに、お姫さまだっこをしてくれるような誰かがいなかったということだ。
 毛布とバッグの上にお尻からばふっと落ちた彼女は、骨折もねんもしないで立ち上がると、まさか窓から逃げるとは思っていない見張りの社員にも気づかれず、建物の裏手で待っていたセダンに向かった。たしかに逃走を手助けした者がいた。後部席の扉を開けると、放りこんだバッグにつづいて彼女も飛び乗った。イグニッションが回る音がして、テールランプがともったが、一部始終を見ていた寮母には車のナンバーまでは確認できなかった。そして、彼女は去った。
 あまりに危険で、命がけの行動だったのは間違いない。
 彼女がそのとき宿していたものは、寮母や実習生にものちに知られることになる。
 新宿のひやくにんちようで、最期の日を迎えたシトラ・ヴァルヴァノワがのこしていった忘れ形見からして──
 最初に跳んだその夜に、疲れや不調と異なる体の異変とその意味を、本人が気づいていなかったはずはないのだから。

 昼の業務のなかで、ひらつかまで客を乗せていく機会があった。
 じよううちはそのまま〈小田原アウトレット・ガーデン〉に足を延ばした。
 おおかたの予想どおり、営業中の〈ガーデン〉でめぼしい話は聞けなかったが、徒歩で十分ほどの相模さがみぬま駅のそばにある独身寮の寮母は日本人ながら、そこで暮らした男女のたどった経緯にひどく心を痛めていた。
「厳しい規制のなかでもくじけずに頑張っていた。無邪気な子供のようにふるまうこともあれば、疲れ果てた老人のように達観した態度を見せることもあって。じっと我慢して、無言で空を見上げて、時間があれば半日でも雲の動きを追っていた。好きだった日本に裏切られたような思いを抱いていたとしたら……つらいことです」
 あらかじめばんだいに聞いていたとおり〈ガーデン〉にはスポーツジムやデイケアセンターも入っていたが、思い描いていたほど外国人労働者がフロアを占めているわけではなかった。もっともバックヤードに立ち入ることはできないので実際の従業員比率まではわからないけれど。ときおりすれちがう制服の外国人も厳しい環境で働かされているようには見えなかったが、いちいち足を止められ、「ようこそいらっしゃいました」と挨拶されて、そのあたりに軍隊風の全体主義っぽさを感じなくもなかった。
 寮母と話すまでは空ぶりもいいところだった。逃げた六人を追いかける手がかりを拾えたらと来るだけ来てみたが、休憩している従業員にそれとなく話を聞こうとしてもあやしまれて退散される。調査力の不足はどうにもならず、しもしんめいのアパートにいてもできるスマートニュースの検索に時間を費やすありさまだった。
 数日前の、東京国際フォーラム前での騒動。監理側の日本人たちが追いまわした実習生がどうなったかは報じられていない。
 その代わりに、半年ほど前にもここから一人の実習生が逃げていることを、小さな記事であらためて知った。
 万代もふれていた件だ。彼女は飛び降りか転落事故で亡くなった。あの万代が企業恐喝における主要なネタにしようとしているのは、ひょっとしたらこの件なんじゃないかという気もしてくる。
 愛想のいい警備員から場所を聞いて、実習生の独身寮のひとつ──といっても家族を帯同している者はいないので、働いている全員が入ることになるが──にたどりつくころには完全に居直っていた。たしかにおれはタクシーの運ちゃんだが、ここでのおれのアドヴァンテージは警官でも記者でも探偵でもないことだ。持てる手札はためらわずに切っていくしかないと決めて「ガフール・ジュノルベクに頼まれた」と言ってみたところ、涙袋のめだつ五十代の寮母が態度を変えたのだった。
「あのがまさか、死んでしまうなんて……」
 ありあまる涙をデトックスする機会を探していたような寮母は、匿名の情報提供とすることを条件に語りだした自分の言葉で、さらに瞼の合わせ目を滲ませていった。
「新宿の転落死のことで来た刑事さんにも話したんだけど、こっちで起こっていたことをあんまり重要視はしてくれてないみたいで……ほら、警察は民事不介入でしょう。結局はその言葉でかたづけられてしまう」
「おれになんでも話してください。どういう場合でもお名前は出しませんので」
 正直にタクシーの運転手であると伝えても、そんな人がどうして? と軽視されそうだったので労働者支援団体の調査で動いていますと素性をかたっていた。とっさの身分詐称もそれなりに効を奏したようだった。
「もうすぐ還暦になりますしね、ここで起きていたことは広く世間に知られたほうがいいと思っていたんです。といっても私の見聞きしたことが、あの子たちの役に立つかどうかはこころもとないけど」
「それにしても、徹底されていますね」
「ええ、これがいつもの感じです」
 寮の廊下ですれちがっても、例の軍隊風の挨拶がぎようぎようしいことこのうえない。
 壁面には、ぼつこんあざやかに大書されたモットーが貼られている。
〈日本を知る〉〈礼をつくす〉〈友を信じる〉
〈自分から動く〉〈移動のときは走る〉〈不平不満を言わない〉
 この時間帯なら本部の人間も来ないから、と三階のシトラ・ヴァルヴァノワが入っていた部屋に連れていってもらった。この独身寮では、階や部屋ごとに分けられて男女が共同で入っている。親しくなりすぎることを避けるためか、国籍や職場ごとの割りふりはされていないらしい。案内してくれるあいだも、寮母はここでの実習生の処遇がどんなものだったかを城之内に語ってくれた。
「都内では、オートロックつきの綺麗なワンルームマンションの一室をあてがわれる実習生もいるっていうじゃないですか。そういうのって運なのかしら、ここに来た子たちは悪運の星のもとにあるんですかね」
 あそこはひでえぞ、と数々の実習生の職場を知る万代も言っていたぐらいだ。〈ガーデン〉では月に三〇時間以上の時間外労働を強いられ、自己負担になる費用も多かった。たいていの実習生たちは来日前に、日本なら稼げる、寮はホテルなみ、家賃や食費はすべて無料といった説明をされてやってきて、現実とのあまりのギャップに幻滅する。実際には二段ベッドの二つ並んだ六畳一間で数人が暮らさなくてはならず、家賃も月に四万五千円をとられ、食費も自分持ち。光ファイバーは完備されているが、部屋で使用するパソコン代は徴収されていた。実習生たちはパスポートのみならず預金通帳も預けなくてはならず、給与はその何割かを貯金させられ、通帳、印鑑、キャッシュカードは申請を出さなくては自由に使えない。
「仕事場のほうでもね……どの職場でも、休憩外の時間にトイレに行ったら罰金を科せられるって。〈トイレ使用回数表〉というのが壁に貼られていて、毎日のトイレに行った回数と時間を書きこまなきゃならないんですって」
「出ものれものまで管理するんですか、それはひどいな。わざわざ記録に残そうってところがいやらしい」
「この寮で実習生が使う水道は、近くを流れる川に取水ポンプを設置して、そこから汲みあげたものが出てくるんです。そりゃドブ川ってわけじゃないけど、一度、油やゴミが浮いた茶色い水が噴きだして保健所が来る騒ぎにもなって。それから実習生たちはみんなペットボトルの水を飲んでいるのよ」
 あとからあとからそんな話が出てくる。実習生たちに相談されて、寮の職員たちは何度も実習生の管理を司る〈ガーデン〉の統括本部に改善を訴えたが、すべては策定されたコンプライアンスにもとづいて運営されていると聞く耳を持たなかった。
「それからこういうのもあって……これぐらいどこの職場でも珍しくないのかしら」
 こっちにやってきて最初に実習生たちがサインさせられるという、禁止事項が記された契約書のコピーも一部を見せてもらった。

 ▼本部の許可をとらずに外泊した者は即時強制帰国。
  あわせて賠償違約金五十万円。
 ▼期間中に恋愛をした者にはまず警告処分を与える。
  警告を聞き入れない者は、賠償違約金三十万円。
  二度目には即時強制帰国。あわせて賠償違約金五十万円。
 ▼本人が過去の疾病(すでに患っていた疾病や病歴を
  隠していた場合)により就労不可となったときには、
  賠償違約金三十万円。
 ▼期間中に妊娠をした者は、即時強制帰国。
  あわせて賠償違約金八十万円。
  なお、これらの項目の適用による帰途の費用は自己負担。

 ああ、こりゃ逃げるわ。
 すくなくとも十八歳以上の実習生に〈外泊〉も〈恋愛〉も〈妊娠〉も禁じている。
 五十万、三十万、と罰金額を連発する文面の圧たるや。実習生たちが労働以外にうつつを抜かすのが許せない監理側の意向が透けている。そんなもん中学生が働きにくるわけじゃねえんだから、と城之内ですらきそうになった。
 寮母はこのコピーを労働組合や支援団体にも渡しているらしい。それでも大きく報道されることがないのは、このぐらいの禁止事項は実習生を受け入れている職場では珍しくないからなのか。
「……うわ、これは高いな……」
 部屋の窓から屋外を見晴らして、軍艦マンションの屋上でおぼえた眩暈めまいと犬にまれた下半身の痛みがよみがえった。のどかな田園風景がひろがっているが、半年前のシトラの目にここからの風景がどう映ったかは想像するに余りある。
「そのシトラって娘は、妊娠していたから」
「ええ、でしょうね」
「罰金や強制帰国を拒んで、逃げだした」
「わたしがその姿を見たのは、そこから跳んだあの日が最後」
「そんなひどい話になっていたのに、それこそ組合や人権団体はなにもしないんですか」
「わたしも雇われだからよくわからないけど……よそでは支援を受けて労災申請ができたり、強制帰国されないですんだりってこともあったみたいよね。だけどここでは、困っていればいるほど外部とはつながれない感じでしたね」
「ガフール・ジュノルベクは、おなじウズベキスタンの出身ですよね。実習生のあいだで助けあうことはできなかったのかな」
「あのう、城之内さんはガフくんに頼まれて調査してるんですよね。本人はなんて言っているんですか」
「ああ、それは、彼も細かいことはあまり話したがらなくて」
「へえ……」
「ええ、それはもう本当に」
「失礼ですけど、所属なさっている支援団体の名前をもう一度教えていただけますか。そういえば名刺もいただいてなかった」
「すみません、うっかり名刺を忘れてきてしまって」
「わかりました。こういう場合にどうするべきか、知り合いに聞いてみます」
 雲行きが変わった。いくらなんでもなにも知らなすぎると思ったのか、寮やガーデンの実態をつまびらかにしてくれた寮母は、にわかにいぶかしげな眼差しになってスマートフォンでどこかに連絡をしはじめた。知己のある組合や支援者に連絡を取っているらしい。こうなってしまったら長居はできない。
 そろそろ失礼します、と玄関に向かうどさくさにまぎれて「あとひとつだけ教えてもらえませんか」とコロンボ風にいてみた。「シトラのおなかの子の父親はもしかして、ガフール・ジュノルベク?」
「そこにいてください、勝手に出ていかないで!」
 あいにく答えを聞くことはできなかった。善意の告発に泥をひっかけられたように感じたのか、寮母は頰を紅潮させてつうふんをあらわにする。そりゃそうだよな、おれが逆の立場でも騒ぐ。他の職員まで呼ばれてあわや取り押さえられかけ、いくつもの手をすり抜けて転げ出るように玄関をあとにするはめになった。
 てんで締まらない、なけなしの知恵と機転を利かせても素人調査には限界があった。すんません寮母さん、聞かされた話や見せてもらったコピーの悪用はしませんから。城之内は離れたパーキングにめてあったタクシーに戻り、帰路の車中でもさまざまな思いをめぐらせた。

>>#3-2へつづく ※9/19(木)公開

◎「ビヘイビア」第3回全文は、発売中の「カドブンノベル 2019年9月号」でお楽しみいただけます。
(登場人物名の表記を雑誌掲載時から一部変更しております)


「カドブンノベル」2019年9月号

「カドブンノベル」2019年9月号


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