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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.10

逃走した外国人労働者についての調査が続く。過去の死との関係は? 直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ!「ビヘイビア」#3-2

真藤順丈「ビヘイビア」

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 シトラ・ヴァルヴァノワに何があったのか。
 お腹にいたのは、誰の子なのか?
 おそらく寮母たちも、その答えは持っていなかったにちがいない。
 それから、シトラの逃亡をたすけた者がいたという。普通に考えたらどこかの労働者支援団体の使いが車を回したということになりそうだが、個人のシトラの庇護者ということもあるのかもしれない。
 独身寮を逃げだしてからおよそ半年後、シトラは東京にいた。その転落死からしばらくして、あらたに六人が逃げだした。時系列を追っていくと、すくなくともガフール・ジュノルベクは、シトラの死をきっかけに〈ガーデン〉を去ることにしたようにも思える。城之内がどういうわけか負わされた使命は、たったいまも逃げている六人の実習生を追うことだが、その逃避行の発端にはシトラがいて、万代の思惑や城之内のほんそうもすべてシトラを中心に渦をなしているような気がしてならなかった。
 国道二四六号をあおだいまで北上したところで、の言葉を思い出した。
 青葉台には、別居中の妻の実家があるのだ。
(こういうときだからこそ、一人ひとりのふるまいが問われるのよ)
(他の国のお店で、大きな間違いも犯さずに働ける?)
(そんなのほとんどの日本人に無理よ)
 たとえば、と城之内は思った。この国の未来がにっちもさっちもいかなくなってりんがよその国に働きに出なきゃならないとしたら。おれは、おれは動物なみに排泄を管理されて、外泊も恋愛も禁じるようなところからは逃げろよって思う。産前や産後にもかかわらず二度も、ああ二度もだ! 高いところから身投げしなくちゃならない運命を想像するだけで悔し涙が出そうだ。知らない世界で生きる心細さ、すぐ目の前のことしか見えない恐ろしさを、おれたちは何もわかっちゃいないのかもしれなかった。
 と、そこでスマホが鳴った。万代からだった。呼び出しは三コールまでと指切りげんまんさせられていたので、ただちに路肩に車を停めて通話ボタンを押した。
(城之内さん、いまどこにいる?)
 調査でガーデンに行ってきました、いや、予想以上にひどかったですわと経過報告しようとしたが、万代はこちらにしやべる間をあたえずに用件を告げた。
(逃げた六人、そのうちの三人の居場所がわかった)
 急いで向かえ、と低い声が言った。

      §

 こちらガフ。こちらガフ。至急の助けを乞う。どのぐらい至急かというと、焦げ目のついたローストチキンになって、持ちやすいように銀紙まで巻かれて、サバンナに放りだされちゃったぐらいの至急だ──

 今、ガフール・ジュノルベクはばたのUR団地の敷地でよるべなく突っ立っている。電話ボックスの外だ。足が震えているのは、ボックスを出まいとしてつっかい棒にしつづけたからというよりも、精神のショックに負うところが大きかった。
 結局、ボックスからは引きずりだされたわけだが、時間稼ぎは無駄にならなかった。数十分前、ボックスのなかでガフは諦めと恐れをどうにか退しりぞけて、降ってわいた危機を逃れるための策をめぐらせた。自分のいる場所はとんでもない外圧にみまわれている。さらにその外側からの助けを願うしかないが、一一〇番通報に期待はできない。ウズベキスタンびいきで弱い者いじめを憎むエメリヤーエンコ・ヒョードルが通りすがってくれるぎようこうも望めない。というかエメリヤーエンコ・ヒョードルは心優しくてもウズベキスタンびいきかどうかまでは知らなかった。
 だから充電残量のわずかなスマホで、メッセージを出した。相手がすぐに読むかは賭けだったが、やりとりをしたばかりだったので希望は抱けた。それからどのぐらいったのか、十分? 二十分? そのあたりでほとんど扉を破壊されるかたちでボックスから引きずりだされ、興奮のあまり獣の臭いを放つ背広の男たちや団地住民に八つ裂きにされかけたが、そこで駆けつけた人物はエメリヤーエンコ・ヒョードルとは似ても似つかなくても、まぎれもなくガフの救世主にほかならなかった。
「あなたたちは受け入れ機関に委託されてこんなことを? お手数ですが一人ひとり名刺を見せていただけますか。いずれにしても彼を連れていくことはできません。この国の技能実習制度が本人の意思に反した帰国をさせないと規定してるのとおなじようにね。わたしはNPO法人全国労働者支援会議のかい、弁護士です。諸官庁を問わずわたしは、どんな相手でも訴えることができます」
 ああ、救世主はこうでなくっちゃ。みずから名乗りを上げるぐらいでなくっちゃ。彼女の声は高く響いて団地の棟と棟のあいだにこだまを呼んだ。ガフはかいさいを叫びたかったがショックが尾を引いてぼうっとしてしまって、じようぜつをふるう三十代ぐらいの女性にただ目を奪われていた。
 青いサテンのシャツ、濃い朱の口紅を塗った唇。グレーのペンシルスカートから筋肉質だけどほっそりしたふくらはぎがのぞいている。これは世の中を知っているふくらはぎ、あらゆる困難な局面を切り抜けてきたふくらはぎだとガフは思った。彼女のうしろには、一緒にやってきた瘦せと太っちょの男二人が控えていて、太っちょのほうが小型のビデオカメラを回している。鵜飼早葉子その人のぜつぽうの鋭さとカメラのレンズを向けられた男たちは、腕ずくでガフに接することができなくなっていた。
「ほら、あなたも」
 鵜飼早葉子はガフのほうにパン・パンとりようたたいてみせた。
「ぼんやりしないで。いまは助かったことを喜ぶ時間じゃない。弁護士の助けを借りて活路をひらく時間よ。ガフール・ジュノルベク。つづりはJ・U・N・O・R・B・E・K・U、これでオッケーね」
「あっはい、オッケーです」
「ジャミルディン・サザンを知ってるね」
「知っています、ジャミルディン、知っています」
「彼があなたのメッセージを読んで、われわれにSOSを求めた。全労議の人間にその旨が一斉送信されて、別件で上野にいたわたしがせ参じた」
 なんという女性だろう。いっさいのよどみなく経緯を明らかにするそのさまは場慣れしきっている。きりっと白い歯、ベルベットのように上品な舌先、それらがガフの目には鮮烈に映えた。
「われわれ全労議は、こうした緊急事態にそなえてマニュアルを構築しています。そこであなたには決断をしてもらわなくちゃならない。ジャミルディン・サザンは全労議の保護下にあり、立場のおなじあなたも支援を必要としているはずだと言っています。あなたはこの人たちと交渉するにあたって、弁護士の立ち会いを望みますか?」
 断わる余地なんてなかった。「おねげします」
「これで彼は、わたしの依頼人となりました」鵜飼は背広の男たちに向き直って、「あなたがたが暴力の行使によって彼の身柄を取り押さえようとしたことに抗議します。それとも行政の命令書でもあるんですか、あるなら書面を見せてください」
「しゃしゃり出てくるのはいつも全労議だな」男たちのなかの一人が言った。「おたくらは労働者の支援団体だろう。この連中は実習生で、労働者じゃない」
「あー、そこから?」
 鵜飼はふふんとさげすむように笑った。
「だったら彼らが、職場で月三〇時間以上の〈残業〉をしていたのはなぜ?」
「あれはボランティアだ。ボランティアと残業とはちがうだろう」
「彼らは時間外労働にあたって、選択の余地を与えられたことはなかったそうです」と言うとガフを見て「なかったよね?」
「あ、はい。なかったです」
「それは、ボランティアじゃないね」
「こいつは逃げたんだ、議論の余地はない」熱くなった別の男が怒鳴った。
「えっ、議論をしなかったらどうするの。彼の右手と左手をつかんで綱引きするの」
「そんなことは言ってない。この男は契約書にサインをしていて……」
「ねえ、おたがいにもっとプロらしく事を進めませんか? たとえ契約の不履行があったとしても、わたしの立ち会いなしにあなたたちは彼を拘束も尋問もできません。彼らの職場の労働実態には、実習制度や労基法に照らしてもたくさんの問題が認められます。こっちとしては彼らと協議して、証拠の開示請求も出して、そのうえで受け入れ機関や監理団体と話しあいの席を設けることになると思います」
 鼻先でひらひらとせんでもふられるようにあしらわれる男たちは、顔の筋肉をひきつらせて歯嚙みしている。それでも乱暴なふるまいには出られない。ずっとカメラは回っている。私刑のご相伴にあずかれるものと期待していたのか、群がってきていた野次馬たちはほとんどが白けて退散しはじめていた。
 はったりのきいた弁護士の口舌が、こんなにもあざやかに形勢を逆転させるなんて。ガフは驚きを隠しきれなかった。ヴィーガンの母親なみに線が細いけど、頭の回転が速くて場数も踏んでいて度胸もそなわっている。こういう人に伴走してもらえれば、追いたてられながら異邦で真実を探すのも不可能じゃないかもしれないと思った。
「ざっと見たところ、アウトレット・ガーデンに実習生を派遣する監理団体と、横のつながりがある協同組合、出入国管理庁、それぞれの追跡担当たちの野合ってところね。その連動はクリーンなのかしら」
 さらにひと太刀を浴びて、すごんでいた男たちも顔色をなくす。
 鵜飼は付き添いの男に、一人ひとりの顔を撮っておくように指示をした。
「とすると一番大きいのは出入国管理庁ね。関係各位に予算の浪費は控えるように伝えておくことをお勧めします。わたしが出てきたからには、これからすごくお金がかかるから。実習生に支払う賠償金や慰謝料がかさんで看板を下ろさなくちゃならなくなった監理団体の名前もいくつか挙げられるけど聞きますか」
 鵜飼はなおもまくしたてながらガフの肩に手を添え、きびすを返して歩きだす。団地の車止めの向こうに停めたセダンに向かう。瘦せのほうが扉を開けてガフを後部席に乗りこませた。扉を閉めてから窓越しに、さっきまでいたあたりに目をやった。
「独りでがんばってくれたおかげで間に合った」反対側から乗りこんできた鵜飼が言う。「だけどまだ、あなたが不利な状況にあることに変わりはないから。彼らだってこのまま引き退がるわけないんだし。わたしたちにすべてを託してくれるなら、かなり風向きもよくなると思うけど」
「あ、ちょっと待ってください」
「どうかした?」

>>#3-3へつづく ※9/26(木)公開

◎「ビヘイビア」第3回全文は、発売中の「カドブンノベル」2019年9月号でお楽しみいただけます。
(登場人物名の表記を雑誌掲載時から一部変更しております)


「カドブンノベル」2019年9月号

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