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連載

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」 vol.29

【連載小説】手術中の妻の無事を祈る宮里のもとへ、充代が写真をもって現れて……。赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#8-1

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

※本記事は連載小説です。

前回のあらすじ

矢ノ内香は、不思議な火災で父母を亡くし恩師・宮里を頼りに上京したところ、宮里がアパートでAVを撮影しているのを目撃し、カバンに切断された指を入れられたという。病気の妻のためAVを撮る宮里と暮らす太田充代は、弟の猛から、宗方という男に見込まれ、殺人の罪をかぶって姿を隠す、と言われる。指がホテルで死んでいた真田という男のものと判明し、有里と村上刑事が捜査のため〈Kビデオ〉へ向かうと、そこには吉川という老人が孫娘のマナを捜しに来ていた。充代のもとを訪れると、マナもビデオに出演しており、連絡がつかなくなっていたと分かる。

12 希望

 みやざとは、ただひたすらに待っていた。
 待つ以外にできることがないのは、何と辛いことか。──しかし、妻のひさは、今もっと辛い手術に耐えているのだ。
 固く握り合せた両手ににじんだ汗を、何度となくズボンで拭った。
 それにしても……。もう何時間たっただろう?
 担当の医師が、力を尽くしてくれていることは分っていた。
 赤の他人の久子のために、そんなに頑張ってくれているのだ。──宮里は頭の下がる思いだった。
 もちろん、それが医師の役目だと言えば、その通りだ。それでも、宮里にはとんでもなく大変なことに思えた。
 廊下の長椅子にじっと座っているので、腰がきしむように痛んだ。しかし、楽な姿勢になろうとすると、
「久子はもっと大変なんだ」
 と思ってしまう。
 自分が痛みに耐えた分だけ、久子の痛みが減るという──およそ科学的でないことを考えていた……。
「──宮里さん」
 そっと声をかけられて、ハッとした。
みつか……」
「ごめんなさい、こんな所にやって来て。私なんかが。奥様が大変なのに」
 と、充代は早口に言った。
「いや、いいんだ」
 宮里は大きく息を吐いて、「このまま一人で座っていたら、体がどうかなっていたかもしれない。助かったよ」
「手術はまだ……」
「うん。ずいぶん長くかかってる」
 宮里は、〈手術中〉の、赤くともった文字へ目をやった。「しかし、長くかかるってことは、まだあいつが生きてるってことだ。そうだろう?」
「ええ、そうよ」
 と、充代はうなずいた。
「何かあったのか?」
「それが──〈Kビデオ制作〉が倒産したらしいの」
「そうか。──まあ、もともといい加減な会社だったからな。ふしぎじゃない」
「それで、この子を……」
 充代は、ケータイに送られて来たよしかわマナの写真を出して見せて、「あなた、見たことある?」
 宮里はしばらくその少女の顔を眺めていたが、
「──ああ、あの事務所で見かけたことがあると思う。あそこの社員と話してたよ。この子がどうかしたのか?」
「待ってね」
 充代がエレベーターの方へと小走りに向うと、むらかみを連れて戻って来た。
「──行方が分らない?」
 村上の話を聞いて、宮里は、「それは……もしかして……」
 と、口ごもった。
「何かご存知ですか」
「はっきりしたことは分りませんが、ルイを使って僕が撮ったビデオの前に、その子で一本撮り上げているはずでした。それが何かあって、中止になったとか……。あのスタッフはみんなすぐに姿を消してしまったようでした」
 村上と有里は顔を見合せた。
「それって……」
 と、有里は眉を寄せて言った。「どう考えても、ビデオの撮影中に、吉川マナさんの身に何かあった、ってことですね」
「そうだな……。『あの子は、何でもやるんだ』と言ってたスタッフがいた。危険なSM物のビデオをやらされてたんじゃないかな」
 と、宮里は言った。
「調査する必要がありますね」
 と、村上は言った。「その撮影に係ったスタッフを誰か知りませんか?」
「さあ……。個人的に知り合いになるほど一緒にいませんよ」
 と、宮里は言って、「待って下さいよ。充代、あの医者は?」
「ああ、あの年輩の……。撮影のとき、誰かけがしたりすると、必ず呼んで来るお医者さんがいたんです。内緒にしたいことが多いんでしょう。あのお医者さんの所なら分ります」
「そこへ案内してください」
 と、村上は言った。「どうやら、急ぐ必要がありそうだ」
「心配だな」
 と、宮里はため息をついて、「僕も結局同じだった。女の子の体を、ただの〈物〉としか見ていなかった。そうでなきゃ、あんなものは撮れない」
「宮里さん……」
 と、有里は言った。「ご事情は知っています」
「言いわけですよ。ルイだって、どんなにきれいに撮ってやっても、結局は裸を見せる口実だ」
 そして、宮里は首を振ると、「もうやめよう。何とかして、生きて行くように……」
 そのとき、
「宮里さん」
 と、看護師がやって来て言った。「今、先生が」
 振り返って、〈手術中〉の赤い灯が消えているのを見ると、宮里は青ざめた。
「──どうも」
 廊下へ出て来た医師の顔は汗で光っていた。
「宮里さん、何とかうまく行きましたよ。奥さんも頑張ってくれました」
「先生──」
 宮里は顔を伏せて、「ありがとうございました」
 と、うめくように言うと、泣いた。
 充代が、見えない手で押されるように、宮里から離れた。
 有里はその充代を見て、宮里と別れると決めたのだと思った。
 宮里を、その妻に返すのだ。
「良かったですね」
 と、有里は宮里へ声をかけ、「じゃ、村上さん、行きましょう」
 有里と村上、そして充代の三人は、泣いている宮里を後に、その場を立ち去ったのだった……。

▶#8-2へつづく
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