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レビュー

困難な状況やハードな家庭環境に押しつぶされることなく前へと進もうとする全ての人々への、エールと祝福の物語だ。 窪 美澄『ははのれんあい』

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(評者:吉田伸子 / 書評家)

 私は「おっぱいマシーン」かっ!

 新生児の息子に授乳する日々が、一週間を過ぎたあたりだったか。なんだか自分の存在価値が授乳〝だけ〟に特化されたような気がして、心の中でそう叫んでしまったことを今でも覚えている。

 新生児の一日は、寝る→(乳を)飲む→(尿や便を)出す、の無限ループ。新生児が人間の新米だとしたら、こちらは母の新米だ。手際の良さなど一ミリもなく、授乳にも時間がかかるし、おむつ替えにも時間がかかる。ようやく寝るまでに持ち込んだと思った直後に、また飲むが始まる、といった具合。

 一ヶ月健診で外出するまで、私は一歩も家を出ないままだったし、その間はずっとパジャマのままだった。小さくて柔らかくて良い匂いがする赤ちゃんは可愛かったけれど、その可愛さと大変さは背中合わせだ。あの、一日が数時間くらいにしか感じられなかった嵐のような日々をなんとかかんとか乗り越えられたのは、私がたまたま運が良かっただけだ。

 なので、本書に出てくる「はは」である由紀子が、出産後、息子・智晴の泣き声を「うるさいと思うたび、見えない誰かに責められているような気になった」というくだりには、駆け寄って、手をとりたくなる。そんな自分の気持ちに気づくことなく、隣で寝ている夫の智久に由紀子が「無性に腹がたって」、ガーゼを投げつけるくだりには、枕を投げてもいいよ、蹴飛ばして起こしてもいいよ、とさえ思う。


書影

窪美澄『ははのれんあい』


 本書の第一部では、由紀子と智久の夫婦が、智晴という子どもを得て新たな家族を築き、さらにそこへ智晴に双子(!)の弟も加わるものの、智久の心が由紀子から離れ、別の女性に向かっていくまで、が描かれている。

 智晴一人でも大変なのに、下の子が双子。想像を絶する育児の負担が、妻にのしかかっているというのに、何やってんの、智久、おい! と思ってしまうけれど、窪さんが巧いのは、そんな智久の、弱さ故の苦悩までをも、丁寧に描き出しているところだ。

 第二部は、高校生になった智晴を中心に描かれる。由紀子は智久と離婚し、女手一つで三人の子どもを育てている。ばりばりと働く由紀子を、少しでもサポートするために、平日は智晴が双子の弟の母親がわりとなって、家事をこなしている。この智晴がすごくいいんですよ。父親の再婚相手の連れ子と同じクラス、という居心地の悪い日々を送りながらも、そのことで荒れたりすることもなく、父親に対する鬱屈した思いを抱えつつも、グレたり捻くれたりもしない。

 そんな〝大人しくて良い子〟な智晴が、人知れず自分の複雑な家庭環境のことに悩むその姿は、もう、切ない、切ない。けれど、智晴はそのことを彼なりに乗り越えていく。成長していく。その意味では、第二部は智晴を主人公とした青春小説にもなっている。本書のタイトルは、「ははのれんあい」となっているが、力点が置かれているのは、自分も初めて恋をしたことで、「ははのれんあい」を受け止め、自分なりにそのことを消化し、さらに成長する智晴にある。

 妻子を捨て、浮気相手のもとに走った父親に、ずっとわだかまりを感じていた智晴が、ひょんなきっかけで父の新しい家庭に踏み入ることになった時に、こんな風に思う。「人を好きになる、ってことは、知らず知らずのうちに台風に巻き込まれるような出来事だ」「だからといって、母と子どもたちから離れた父を百パーセント許せるわけでもない。けれど、父を許す、という自分は、果たして父よりも上の場所にいるのだろうか」

 物語のラスト、保育園時代からの幼馴染である大地とともに、智晴は蓮の花の開花を目にする。「ちりん、と音がして次々に」開いていく蓮の蕾。池を埋めつくす満開の蓮は、智晴への祝福であり、エールである。そして、そのエールと祝福は、困難な状況やハードな家庭環境に押しつぶされることなく、前へと進もうとする全ての人々へのものでも、ある。

窪美澄『ははのれんあい』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321612000240/


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