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レビュー

自分という人間が他者や世界に対して いかに色眼鏡のフィルターをかけているか ──島本理生『憐憫』【評者:吉田大助】

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。
物語を愛するすべての読者へ
ブレイク必至の要チェック作をご紹介する、
熱烈応援レビュー!

『憐憫』島本理生(朝日新聞出版)

評者:吉田大助



 恋愛小説とは、「恋愛とは何か、恋愛は人生にとってどんな価値があるのか?」という問いを巡る小説のことだ。当該ジャンルを書き続けてきた島本理生の最新作『憐憫』は、最初の問いに対する一つのアンサーを書名に掲げている。その一語は、本文三ページ目に早々と登場する。〈洪水のような憐憫がいっぺんにおしよせた。息もできないくらいに〉。主人公が恋に落ちた瞬間の描写だ。
 沙良(私)はかつて人気を誇ったものの、二七歳になろうとしている今はあまり仕事に恵まれていない女優だ。〈家庭に入るほうが向いているのかもしれない〉と考え年上のテレビディレクターと結婚したが、〈最近すべてに行き詰まってる〉。ある夜、六本木のバーで柏木と名乗る男と出会う。年齢を尋ねると「沙良さんよりも、八歳ほど」と答えた柏木と、沙良は別の日に二人きりで再会。距離が近付いたのは、家族についての話題になった時だ。詳しく語られることはないものの、彼の中には家族に関する何かしらのわだかまりがあった。そのことを知り、〈なんだか急に抱きしめたくなって、私は柏木さんをホテルに誘った〉。そして、二人の関係は始まった。
「かわいい」と「かわいそう」は語源が同じであることはよく知られている。どちらも元は「顔映ゆし(かほはゆし)」。顔を向けていられない、気の毒でいたわしい、憐れで不憫という意味の言葉だ。その意味に推量の「そう」が付けられることで「かわいそう」になり、その心情から相手への愛しさが引き出された状態を「かわいい」と呼ぶようになった。つまり、「かわいい」には「かわいそう」が重ね合わされている。恋愛の何割かが「かわいい」の感情から始まるならば、恋愛の何割かは「かわいそう」から始まると言うこともできるだろう。沙良は、少し目を離すといなくなりそうな危うい空気を纏う年上の柏木に、その感情を向ける。
 そのように始まった恋愛が、どのように継続していくのか。もしくは、どのように離別することになるのか。シンプルにして強固な物語構造を前に、読み手は二人の関係の継続もしくは離別の判断に繫がりそうなシグナルが出てはいないかと、一文一文に対して敏感になっていく。その敏感さが、多様な解釈を呼び込むことになる。例えば、沙良は未成年の頃に稼いだお金を、母を始めとする親族にむしり取られていた。家族にわだかまりを抱える柏木への憐憫は、自分の人生や感情を相手に投射したうえで慰撫する、自己憐憫ではないのか。自己憐憫が解消できたなら、相手への憐憫は消えるのか? よく恋愛はタイミングと言うが、それはその時の自分にとって足りないものと、相手が与えてくれるものとのマッチングを意味しているのか。
 本作は、沙良の女優としての再生ストーリーでもある。ここに、恋愛小説の必要十分条件の二つ目「恋愛は人生にとってどんな価値があるのか?」が絡んでくる。恋愛は、他者が自分とは異なる価値観や内面を持っていることを痛感する経験だ。それは同時に、自分という人間が他者や世界に対して、いかに色眼鏡のフィルターをかけているかを知る経験でもある。そこで得た学びを他の人間関係に持ち込むことで、自分を取り巻く環境を変えることができる。この小説は、そう記す。
 二読、三読するたびに読み味が変わった。ある男女の恋愛を描いたわずか一七〇ページほどの物語の中に、さまざまな人生の真理が詰め込まれている。恋愛小説の真髄が、ここにある。

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『ミトンとふびん』吉本ばなな(新潮社)

「何ということもない話」(「あとがき」より)を目指して書かれた全六編の短編集。「SINSIN AND THE MOUSE」は、母を亡くし台北にやってきた女性が、自分の誕生日を知らない男性と出会う。表題作は若い頃に子宮を摘出した女性と、弟を亡くした男性の物語。どちらの恋愛にも、ふびん(不憫)が顔を出す。第五八回谷崎潤一郎賞受賞。


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