物語は。
これから“来る”のはこんな作品。
物語を愛するすべての読者へブレイク必至の要チェック作をご紹介する、熱烈応援レビュー!
綾崎隼『盤上に君はもういない』(KADOKAWA)
評者:吉田大助
史上最年少の一七歳でタイトル獲得、一八歳一ヶ月で二冠を達成した藤井聡太棋士の存在により、「現実がフィクションを超えた」という声が巻き起こった。将棋を題材にして、いかなる形で「現実を超えたフィクション」を創造することができるのか? 恋愛小説とミステリーを融合させる作風で知られる綾崎隼は、『盤上に君はもういない』でその難題に挑戦し、フロンティアを開拓してみせた。現在、男性とは別のリーグやタイトルを争う「女流棋士」は存在するが、男性と同じく奨励会に入会し三段リーグを突破してプロ棋士になった女性は存在しない。本作は、史上初となる「女性棋士」の物語だ。部ごとに視点人物=語り手が替わる、連作群像形式が採用されている。とにかく、第一部の熱気が凄まじい。語り手に選ばれたのは、将棋の観戦記者である佐竹亜弓。今の仕事に転職するきっかけとなった永世飛王の孫娘である天才少女・諏訪飛鳥が、高校一年生にしてついに三段リーグに初挑戦することとなり、年の離れた友人でもある少女の戦いに伴走し始める。
男だらけの報道陣の中から発せられた「あれで顔も可愛ければな。アイドルにも勝てたんだが」という飛鳥への戯言を耳にして、亜弓は〈生まれて初めて誰かを殴りたいと思った〉と拳を握り締める。そして、これまで取材を重ねることで知った、目には見えない飛鳥の人間性の本質を想起する。この描写を盛り込むことで、読み手も亜弓にシンクロし、飛鳥に勝ってほしい、と願うようになる。綾崎という作家は、読者から願いを引き出す演出と技術が、いつも上手い。
プロ棋士=四段になれるのは、わずか二人だけだ。歴史を塗り替えようとする少女の前に立ちはだかったライバルは、ひとり目が、史上最年少一四歳一ヶ月での昇段を目指す神童・竹森稜太。ふたり目は、千桜夕妃。数期前から三段リーグに在籍しながらも病弱で不戦敗続き、年齢制限により今回が最後のチャンスになる可能性が高い、もうひとりの女性だ。最終日、最終局。勝ったほうが史上初の女性棋士となる、運命の一戦が始まる。
第二部以降は、千桜夕妃の失踪という「謎」を物語の中心に据え置きながらも、飛鳥や竹森稜太を語り手に、それぞれの人生を濃厚に描き出していく。作中に、棋譜は一切出てこない。その代わりに満たされているのは、ライバルとなる棋士への「愛」の描写だ。将棋とは、人が数十センチの距離で向き合い、お互いの思考を読み、相手を理解しようと想い合うゲーム。それは「愛」と呼ばれるものであると、作家は筆を進める。
その先に、千桜夕妃を巡る「謎」の真実が現れる。終盤はずっと堪えていたものの、ラスト三ページが涙なくして読み進めることなどできなかった理由は、登場人物たちが心を震わせていたから、だけじゃない。三七〇ページかけて掻き立てられ、引き出された自分の中にある願いが、叶えられた、と感じたからだ。人をこんなにも感動させる願いは、一種類しかない。愛が叶うこと、それ以外にない。
この題材、この切り口だったから表現することが可能となった、未だかつてない「愛」の物語だった。
▼綾崎隼『盤上に君はもういない』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000999/
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