【カドブンレビュー×カドフェス2017】
生まれ変わったら平安時代の貴族になりたい。
まだ見ぬ相手に想いを馳せ、歌で愛を伝える。なんてロマンチックなんだ!
なんてトンチキなことを10年くらい前から思っているのですが、なんでこんなこと考えるようになったんだっけ?
思い返してみると気持ちの悪い話でした。
当時フラれた元彼女をまだ好きで、でも返信すらもらえなくなっていって、匿名で気の利いたメールでも出したらば別人だと思ってまた自分のことを好きになってくれやしないか、それを平安時代だったらサラッとやれたのにな〜、なんてことを考えていたのでした。
現代においてもだいぶ気持ち悪いけど、平安時代でもやっぱり気持ち悪いこと間違いなしですね。
まー過去の話は置いておいて。
生まれてこのかたフラれてばかりの人生でしたが、それでも「つきあわなければよかった」とは一度もならないのが不思議なところ。
〜白露の 置くを待つ間の 朝顔は
見ずぞなかなか あるべかりける〜
『はなとゆめ』 を開いてまず出てくるこの歌の通り、
華を知らずに生きるのがよいのか。それとも失った後は喪失感に苛まれ、夢を見続けてしまうとしても華を知るべきなのか。
それは平安時代も今も変わらない永遠の人間の悩みだけれども、実はみんな答えは出ていると僕は思っていて。
きっと誰もが華へ向かって生きているんですよね。
舞台は宮中。華に憧れていた清少納言はひょんな事から、お内裏へ。
そこで仕えることになるのは、人でありながら限りなく神に近い身分の中宮定子(天皇の妃。
中宮様から才能を見出され、そして開花させ、
「春はあけぼの~」で有名な 『枕草子』 が生まれます。
もしかしたら中学の時に習ったのかもしれないけれど、「冬はつとめて~」までを暗記した以外の記憶はもはやありません。
なぜ枕草子が生まれたのか? どういう想いで書かれたのか? 清少納言にとっての「華と夢」を知ることができます。
そして、せっかく『はなとゆめ』 を読むのであれば、ぜひとも解説まで読んでいただきたい。
解説まで読むと、にわかに泣けます。『はなとゆめ』 という一冊の本を通して、清少納言が人生を費やして仕掛けた優しい罠にハメられていたことがわかるから。
もちろん宮中ならではのドロドロや権力争いはたくさんあるんだけれど、そんな殿上人のドラマよりも、殿上人にしか生み出すことのできない知性のきらめき、すなわち「をかし(明るい知性的な美)」を楽しむ本だと思います。
とにかく雅な気持ちになりたい。そんな人におすすめです。
きっと、僕のように一度でいいから歌に歌を返すなんて風流なことをしてみたくなるはず。
ふと思いついたのですが、歌に歌を返すといえばラップバトルもそうですね。
平安時代の貴族に憧れる人は、現代でビーボーイになれば貴族体験できるのか。うーむ、それはそれで難易度高いな。
〜夢に見し 風の流るる 歌の世は
現世に俗と 漂いし華〜