欲しいものがない。一定の年齢を重ねていった先で、多くの人が味わうことになる感情はそれだ。なぜなら既に手に入ってしまっているから、あるいは手に入らないと諦めてしまっているから。いや、自分には欲しいものが確かにあると言う人も、次の質問で沈黙せざるを得なくなるのではないか。「本当に?」。物や情報に満たされ過ぎた世界で、自分が本当に欲しいものはなかなか見つからない。
だが、渡辺優が生み出す小説の登場人物達はみな、胸を張って「本当に!」と答えるだろう。第二八回小説すばる新人賞を受賞した『ラメルノエリキサ』で、復讐を果たすという目的に向かって突っ走る女子高生しかり。続く短編集『自由なサメと人間たちの夢』で、右腕をロボットアームに変えヒーローとなって誰かを救いたいと乞い願う工場作業員しかり。全七編収録された同書の登場人物達は全員、その人物でしかあり得ない異様な欲望の持ち主ばかりだった。
第三作『地下にうごめく星』でも同様だ。強烈だ。ただし物語の始まりは、欲しいものが特にない、読者の心情にぴたっと寄り添ってみせる。
第一章の主人公は、仙台の会社に勤める夏美だ。四〇代半ばを過ぎ、独身。強烈な幸福感はないが、毎日は小さな喜びで満たされていた。
夏美は自分の人生が好きだった。整理整頓が行き届き、清潔で、モノトーンでひんやりとした彼女の部屋のような人生。ただ、いつか喜びに飽きるかもしれないという、そのことだけが怖かった
そんな彼女が、オタクの同僚に誘われ地下アイドルのライブへ足を運ぶ。一撃で心を撃ち抜かれ、「推し」を応援する喜びを知る。第一章のラスト二行は、自分の本当の欲望に目覚めた者ならではの、野蛮なまでの生命力で満ち溢れている。欲望とは、それまでの自分を変える変身のスイッチなのだ。
夏美は「推し」のために、仕事のかたわら新しいアイドルグループをプロデュースしようと決意する。第二章以降は一編ごとに主人公=視点人物が替わり、夏美のグループに参加することになったメンバーそれぞれの来歴が語られる。その中には「地下」からいつか「地上」へ、仙台から東京・秋葉原へと夢見る者も登場する。だが、ストーリーラインは決して「成り上がり」の軌道を描かない。とにかくとことん、ひとりひとりの欲望と向き合っていくのだ。アイドルになりたい、歌って踊ってファンを元気にしたい。アイドルを応援したい、会って感謝を伝えたい……。第三章は、「女装をして地下アイドルをやりたい」と願う男子高校生の物語。こんな欲望があり得るんだと、読みながら何度も目を開かされる思いがした。本作は、誰もが知る「アイドル」をサンプルに、人間の欲望の多様さを数え上げるプロジェクトなのだ。
欲望の隣りにある「飽き」や「諦め」、「苦しみ」や「呪い」や「重荷」や「面倒臭い」の感覚もちゃんと書き込まれている。だが、最終章に辿り着く頃には必ず、うらやましくて仕方なくなっているだろう。自分も何かが強烈に欲しい。何かへ強烈に手を伸ばしたい。その「何か」が何なのかを、本気で探してみたくなる。
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『青春のジョーカー』
奥田亜希子
(集英社)
テーマは、性欲。スクールカースト最底辺に位置する中学3年生の基哉は、兄の知人でAVに出演した経験のある大学生・二葉と出会い、学びを得て……。中学生男子達の剥き出しの性欲の裏には、それを忌避する感情も存在する。カードの裏表が、逆転する瞬間が絶妙。