まずは本書のタイトル(『完璧じゃない、あたしたち』)をゆっくり黙読してほしい。すぐに気付いた、という人がいるかもしれない。次に、音読してみてほしい。速度や声色を微妙に変えて、二度三度と。分からなかったという人は、本の(背)表紙に掲げられた英文を確認してほしい。「We are not perfect. We are perfect, aren’t we?」。そう。「完璧じゃない、あたしたち」には、二つの意味がある。ニュアンスを補いながら表記すると、「完璧じゃ無い」と「完璧じゃない?」。正反対の意味を持つ二種類の語感が、常に重ね合わさりながら進んでいく、この本に収められているのは、そういう物語だ。
全二三篇ほぼ全てで「ガール・ミーツ・ガール」の構造が採用された短篇集だ。語り手=視点人物となる一人の女性が登場し、別の女性(たち)と出会う。そこで生じる関係性は、根本的に「完璧じゃ無い」。しかし、「完璧じゃない?」と感じられる瞬間が、よぎる。あるいは、「完璧じゃない?」の状態から、「完璧じゃ無い」状態へと移行する瞬間が、記録されている。とにかく読者を次の文字へ、次の瞬間へ連れ去ろうとする、抜群にグルーヴィーな文体を伴って。
象徴的な一篇を紹介しよう。「Same Sex, Different Day.」は、付き合って四ヶ月経つもののセックスができない、朝子と茉那美まなみの物語。それは何故か? 二人とも「ネコ」ではなく「タチ」、「抱かれる」ではなく「抱く」側のメンタリティの持ち主だからだ。どちらが「抱かれる」ことになるかは、己のアイデンティティに関わる問いで……。こんな関係性、こんな感情がこの世界にあり得るなんて! 〈朝子は茉那美が好きで、茉那美も朝子を好いている〉。この一文からスタートし、デコボコな二人の個性を一二行に亘って箇条書きにしていくシークエンスがせつなくてたまらない。その先で、〈こんなにこんなにしっくりくるのに、肉体だけが重ならない〉。「完璧じゃない?」の心理とは裏腹に、彼女たちは「完璧じゃ無い」。やがて二人は別れることになる。でも、出会いの経験と記憶が、彼女たちの細胞をかすかに作り替える。
全二三篇は、純文学誌に載っていてもおかしくないリアリズム小説もあれば、ミステリー、ホラー、SFとさまざまなジャンルにタッチしている。奇抜な初期設定から出発しても必ず着地してみせる、物語作家としての足腰の強さは本物だ。内容に応じて変化する文体、状況設定を支えるリアリティの厚みは、作家自身がさまざまな関係性に接続し、多様な言葉遣いの場に身をさらしている証だろう(例えば、数篇にまたがって現れる栃木弁の妙味)。たった一言で物語を反転させ、逆に「描かない」ことで想像を膨らませ後味を残す、技巧にも痺れた。何よりチャーミングなのは、「女同士」という語感から世間がイメージしがちな、ドロドロでベタベタな関係性を切り裂いていく手つきだ。
古今東西の作家たちが試みた「読めば世界の見え方が変わる」というチャレンジを、王谷晶はこの一冊で見事に成し遂げてみせた。読めば世界が豊かに見える。「完璧じゃ無い」の中にある、「完璧じゃない?」の感触が、感じ取れるようになる。
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