幕末から明治初期を舞台にした歴史小説は、常に西郷隆盛の影が差している。当然だろう。維新の立役者でありながら、明治十年に西南戦争を引き起こし、逆賊として死んだ西郷を抜きにして、この時代を語ることはできないのだ。実力派の歴史小説家として、旺盛な執筆を続ける、伊東潤の作品もそうである。未来を嘱望されながら、西南戦争で西郷と運命を共にした村田新八を描いた『武士の碑』。西郷と大久保利通に仕え、初代警視庁大警視になった川路利良の走狗としての生涯を綴った『走狗』。ふたつの長篇で、間接的に西郷の肖像を活写してきたのだ。本書も、その系譜に連なる物語といっていい。ただし前二作が実在の薩摩藩士を主人公にしたのに対し、こちらは実在したふたりの加賀藩士になっている。
幕末の加賀藩は、中立の立場を選びながら、勤王・佐幕の二派が対立していた。足軽の島田一郎(朝勇)は、尊王攘夷に憧れ、国事に奔走したがっている。同じ足軽の千田文次郎(登文)は、親友の一郎に引きずられながらも、冷静な心を失わない。加賀藩に投降した天狗党との交誼や、新政府軍として参加した北越戦争など、さまざまな体験をしながら、一郎と文次郎は激動の時代を生きていく。
だが明治の世になり、ふたりの道は分かれた。加賀藩門閥の長小次郎たちと親交を深める一郎は、反政府活動にのめり込んでいく。一方の文次郎は、陸軍軍人として頭角を現していった。やがて西南戦争が起こると、文次郎も参戦。薩軍によって隠された、西郷の首を発見する。しかし皮肉なことに、これが影響を与え、一郎たちは大久保利通暗殺へと向かっていくのだった。
幕末維新を扱った作品は無数にあるが、加賀藩の視点から描いたものは珍しい。有為の人材を失う幕末の状況から、明治初期の迷走と、興味深い藩の歩みが綴られているのである。さらに、その渦中を生きる、ふたりの加賀藩士が魅力的だ。いつまでも志士たらんとする一郎と、変化した時代を受け入れる文次郎。道を違えたふたりだが、どこかで心が繋がっていたのである。
これに関連して注目したいのが、本書で何度か言及される、陽明学の“知行合一”だ。簡単にいえば、知識と行動は一体であるべきだという教えである。陸軍軍人として出世した文次郎。大久保卿暗殺犯として、処刑された一郎。人生の明暗を分けたふたりだが、共に知行合一の精神で、激動の時代を精一杯に生きたのではなかろうか。だから、ふたりの人生が交錯した、終盤の場面に感動せずにはいられない。重厚に表現された、一郎と文次郎の軌跡が、読みごたえ抜群なのである。
また、村田新八と川路良利が、カメオ出演していることも見逃せない。たしかに西郷の出番は、ほとんどない。でも、村田と川路の存在から、本書がふたりの加賀藩士の物語であると同時に、西郷隆盛の物語でもあることが、伝わってくるのである。
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