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連合赤軍事件から40年余。末端にいた女性はなぜ沈黙したのか 『夜の谷を行く』(文藝春秋)

本選びに失敗したくない。そんなあなたに、旬の鉄板小説をドドンとオススメ!

西田啓子は六三歳。一人暮らし。五年前に個人でやっていた学習塾を閉じ、いまではスポーツクラブの平日コースを利用することと、図書館で借りた本を読むことだけを楽しみにしている。つつましく目立たず生きている彼女には、一つだけ他人には絶対に言えない秘密があった。それは、かつて連合赤軍事件に連座し、五年余り服役していたという過去だった。

一九七一年から七二年にかけて起きた連合赤軍事件については、当事者が書いたものを含めかなりの数の関連書籍が出ている。とくに永田洋子、坂口弘の手記は有名で、私も読んだことがあるくらいだ。しかし、『夜の谷を行く』の主人公、西田啓子は、彼らのような指導部ではなく、被指導部、つまり末端のメンバーだったという設定である。自分もリンチされるのではないかとおびえながら仲間の世話をし、遺体を運んだ。そして、命からがら逃げ出し、生き延びることができた。連合赤軍事件のなかでは脇役どころか端役といっていい。しかし、それだけに彼女はあの時代の精神に感化された、普通の女性に近い存在だった。

刑期を終えた啓子を待っていたのは、父母を亡くし、親戚に縁を切られ、わずかに妹とその娘、佳絵とだけ付き合うというひっそりとした人生だった。しかし、永田洋子が亡くなり、東日本大震災が起きた年、その平穏な日常がついに終わりを告げる。直接的なきっかけは佳絵の結婚である。サイパンで式を挙げることになり、啓子がかつて米軍基地に放火し、ボヤ騒ぎを起こした事件が問題になる。サイパンで逮捕されるかもしれないというのである。そのため啓子は、これまで黙っていた自分の過去を佳絵に話さざるをえなくなる。

物語の中盤、啓子が佳絵に過去を打ち明ける場面はこの小説のハイライトの一つである。啓子は、連合赤軍事件をスマホで検索する佳絵を前に、何をどう伝えればいいかわからず困惑する。リンチしたのかと聞かれ、「していない」と答えたときにはこう独白する。
「嘘ではなかったが、嘘も少し入っている。この言葉にはできない僅かな差違に、常に焦燥があった。違うと抗議したい気持ちと、そうだと認める思いが。」
言葉にできない僅かな差異は、違う時代を生きている者同士の間にあるギャップであり、当事者とそれ以外が決して共有できない溝でもある。

事件が発覚した瞬間から、彼らの存在は社会から排除されるべき異物になり、忌むべきものとしてその存在を否定された。その象徴とも言えるのが、作中にも引かれている、永田洋子に対する判決文のなかの「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」を永田が有していたと断じる一節だろう。裁判という場で投げかけられたこの言葉は、連合赤軍事件を永田個人の問題に矮小化し、社会から切り離すために使われたとしか思えない。桐野夏生は、『夜の谷を行く』を書くことで、そのような「男性特有の」見方が支配的な社会で、連合赤軍の末端にいた女性の心のうちをあぶり出す。黙して語らぬ当事者たちの、言葉にならない言葉を、想像力と物語の力で伝える——その困難な試みを見事に成功させた傑作である。

あわせて読みたい

「女神記」桐野 夏生
『夜の谷を行く』もそうだが、桐野作品の魅力の一つに、定型に収まらない物語展開と、それを支える絶妙な語り口がある。『女神記』は物語の原型ともいえる『古事記』をベースにした長篇小説。幻想的な世界だが登場する女と男の姿は普遍的であり、興味をそそる。


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